2015年3月18日水曜日

美術館めぐり

 
名古屋ボストン美術館と愛知県美術館
                                      2015-3-11      47名 


       枚方市民会館大ホール前7:10=御在所SA=名古屋ボストン美術館=昼食
       愛知県美術館=関ドライブイン=枚方市民会館前着 18:30

(公財) 枚方市文化国際 財団が主催する美術館めぐり

  名古屋ボストン美術館(名古屋市中区金山町)
  「華麗なる ジャポニスム展」

  19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋では浮世絵をはじめ
  日本美術が大流行した。
  
浮世絵の大胆な構図と色使い、独特の装飾模様は西洋の美意識に
                    根本的な変革をもたらし、ジャポニズムという現象が生まれた

                    ボストン美術館の所蔵品より 絵画 版画 工芸など150点を展示


    





 












喜多川歌麿(母子図たらい遊び)             メアリー・ステイウ”ンソン・カサット(湯浴み)


                                      



 


  

               






                                

歌川広重                          エドウ”ァルド・ムンク{夏の夜の夢(声)}
(名所 江戸百景 神田明神曙之景)                                           1893年                  


    



                                           
                                      



                                 
                        
                          
                  クロード・モネ(睡蓮) 1899年













クロード・モネの大作(ラ・ジャポネーズ)

                                      モニュメント看板で変身でござります


愛知県美術館 (愛知芸術文化センター10階)  名古屋市東区東桜



   ロイヤル・アカデミー展

英国最古の美術学校であるロイヤル・アカデミーのコレクション展

18世紀から20世紀初頭までの英国美術を代表する画家の作品
を展覧している


英国最古の美術学校であるロイヤル・アカデミーは英国美術の伝統が継承され強化された。





チャールズ・ウェスト・コウプ (1875年度のロイヤル・アカデミー展出品審査会)  1876年

                画面左側は審査員達      右側は出品者達




    ジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナー
                   (ドルバターン城) 1800年
 








  ジョンウ”ァレット・ミレイ
    (べラスケスの思い出)1868年


 1859 年ルーブル美術館を訪れたミレイが
17世紀スペインの宮廷画家ベラスケスが
描いた3才のスペイン王女マルガリータの                             肖像画にインスピレーションを受けて               描い たと言われている
                                                               ベラスケス
                        
                          (マルガリータテレサ王女の肖像)
                                   ルーブル美術館蔵






           帰路のバスの車窓から 「寒緋桜」の華やぎに歓声が上がった

2015年2月14日土曜日

お遍路

四国八十八ヶ所   第7回
                                   2015-2-12~13      41名

行程 一日目  梅田(7:40)=明石海峡大橋=大鳴門橋=39番延光寺=アカメ会館=
           =四万十川遊覧=ホテル足摺園(泊)

    二日目  ホテル(7:40)=38番金剛福寺=足摺黒潮市場=40番観自在寺=41番
           龍光寺=42番仏木寺=43番明石寺=松山道 石鎚レストパークリンリン
         徳島道 吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=明石海峡大橋=梅田(22 :00)

  一日目
          第39番 寺山院 延光寺              高知県宿毛市平田町中山


 本 尊  薬師如来
 開 基  行基菩薩
 創 建  神亀元年(724)
 真 言  おん ころころ まとうぎ そわか

土佐路の最南端、「修行の道場」の最後の霊場である
行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて薬師如来を彫像し
これを本尊とした

                         弘法大師がこの寺を訪ねたのは延歴年間(782~805)で
      桓武天皇の勅願所として再興


眼洗い井戸
 大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が今日に伝わる
 「眼洗い井戸」である



四万十川遊覧
柿田川、長良川と共に三大清流の一つ で
 ある四万十川を30分ほど遊覧する

遊覧船で投網漁法と 柴漬け漁法を見る
投網漁法は体力と熟練がいる
実演で引き揚げた網の中には残念乍ら
何もなかったが漁師のユーモアで爆笑した

柴漬け漁は枝に葉のついた柴を束ねて水中に沈めて置き 翌日に引き上げ大網で掬い捕る漁法
これには もずく蟹が3・4匹ひっかかっていたが 本命はうなぎがいるそうな これも又言い逃れ的な解説に笑わせられた。

                                  

  宿泊  ホテル足摺園  高知県土佐清水市足摺岬

   豪華な皿鉢料理を部屋毎グループの3人と仲良く珍しい
 料理を一品一品 取り上げて楽しく頂く
 知らない者同士が食べることで お互いの話題が広がる
 一人は登山家でリーダー格、一人はけもの道歩きが好き、
 偶然に山好きが三人集まって嬉しい会話になった


二 日 目        ホテル出発 7:30 
                                                   

 第38番 補陀落院 金剛福寺   高知県土佐清水市足摺岬

 本 尊 三面千手観世音菩薩
 
 開 基 弘法大師
 創 建 弘仁3年(822)
 真 言 おん ばざらたらま きりく


   弘法大師は足摺岬突端に広がる太平洋の  大海原に 観世音菩薩の理想の聖 地 補陀落の世界を感得した。

岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、断崖に砕ける波涛、 観世音さまの浄土を連想させる

ここにたどり着く遍路の旅は壮絶で、      前の37番札所から80余Km。           車で2時間余歩いたら約30時間で3泊4日は かかる まさに「修行の 道場」である



        第40番 薬師院 観自在寺          愛媛県宇和郡愛南朝
       


 本 尊  薬師如来
 開 基  弘法大師
 創 建  大同2年(807)
 真 言  おん ころころ せんだり おとうぎ そわか

 本堂は昭和39年全国の信徒の浄財だけで再建された


愛媛県は「菩提の道場」
弘法大師が大同2年に平城天皇の勅命を受けてこの地を訪れ 一本の霊木から本尊の
薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫像して安置し開創された
残った霊木に「「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝板を造って祈願された

                           第41番  護国院 龍光寺         愛媛県宇和島市三間町戸雁



  本 尊  十一面観世音菩薩
  開 基  弘法大師
  創 建  大同2年(807)
  真 言  おん まか きゃろにきゃ そわか 

  
宇和島は伊達家十万石の城下町で、往時の神仏習合の面影を
色濃く伝えている霊場である 山門をくぐると狛犬が迎えてくれる

弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの老人が現れ「われこの地に住み法教を
守護し、諸民を利益せん」と告げた

大師はこの老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、稲荷明神像を彫像し安置した。
本地仏とする 十一面観世音菩薩 脇侍として不動明王 毘沙門天も造像し一緒に安置し
「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる

           第42番  毘廬舎那院 仏木寺         愛媛県宇和島市三間町則


   本 尊  大日如来(弘法大師作)
  開 基  弘法大師
  創 建  大同2年
  真 言  おん あびらうけん ばざらばどばん

弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま
牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって
光を放っているのを目にした、これは唐から帰朝する時に、
有縁の土地が選ばれるようにと 三鈷と共に東方に向かって
                    投げた宝珠であった。

大師はこの地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を
彫像、眉間に宝珠を埋めて白豪とした、これを本尊として安置し「一山仏木寺」と名づけた。     
 

           第43番   円手院  明石寺      愛媛県西予市宇和町明石
                     

  本 尊  千手観世音菩薩
  開 基  円手院正澄
    創 建  600年代
  真 言  おん ばざらたらま きり そわか

   

  

 



       6世紀の後半 円手院正澄と言う行者が欽明天皇の勅願により建立            
       弘仁13年 (822)  弘法大師は嵯峨天皇の勅命を受け荒廃した伽藍を再興                     
       建久5年(1194年)  源頼朝は池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納                          
        室町時代に 領主西園寺家の祈願所とした 
       江戸時代は 宇和島藩主伊達家の祈願所となり末寺は70余寺をを数えた

    (土佐高知16ヶ所修行の道場 第24番最御崎寺~第39番延光寺) 

バス走行距離 一日目約500Km 二日目約500Km  帰着大阪梅田22時 お疲れ様でした。

 

2015年1月31日土曜日

インフルエンザ

養生あれこれ
                          2015-1-12~~~~~1-29

1月12日 朝食のテ-ブルに座って 体がなんとなく熱っぽいので 体温計を脇にはさんで見ると
38° 「えっ!」 と思ったら咳が矢つぎばやに出る
内科診療所で「検査の結果 「インフルエンザです」! 桑原 桑原(くわばらくわばら)でござる
爾来 ひたすら安静 睡眠と 時の流れに身をまかせ 2週間余過ぎて普通の人間に戻った

日頃バタバタ動き廻ってる生活から一転静止してしまって 唯一の楽しみは食べる事しかない

・ お米からおかゆを炊いて 改めて冷ごはんから作ったものでない美味しさに感動し             
  道の駅で買った昔つくりの梅干しの酸っぱさに震えながらも体に良いような気がした

・体が熱っぽいと冷たいものが食べたいが 栄養価の高い力の付くものも食べたい
 
 豚肉を さっと炒め砂糖 醤油で甘辛くし生姜をすりおろす。小松菜のおひたし。これも良し。
 デザートに 「ハーゲンダッツの小カップ」をゆっくり食べて終了

・風邪の為に調合されたお薬を真面目に飲むのも良いが どうも胃が重たい なんとかしよう。
 美味しいにゅうめんをつくろう 
 三輪そうめん山本の「白髪」は2013年にモンドセレクション金賞をとった 太さ0,3mmで        
 ゆで時間約30秒の簡単さである あっと言う間に出来上がる
 アツアツのそうめんに 食が進む  とりの手羽元の塩焼きを両手に持ってかぶりつく
 デザートは新鮮ないちご「さがほのか」 果物はやっぱりいいな!さっぱりした

・診療所で「熱はありませんが 体がしゃんとしません」と話して 別の薬を調合していただく
 帰りにスーパーのさかな屋さんの「上にぎり鮨」とインスタントの「シジミの赤だし」を買う
 日頃出来合いのものは買わないが まあ試しに食べてみる
 シジミ汁は以外と美味しかった(これならいける)「上にぎり」はパクパク食べてお腹いっぱい

・体調も殆ど元に戻ったが 昨日からちょっと食べ過ぎて胃が重い
 本日は「雪鍋」にしようと大根のすりおろしに気合をいれる
 中土鍋の8分目まで一所懸命に大根をすりおろし だし 醤油で薄味にし カニの足 椎茸       
 かぼちゃ 大根を入れて ぐらっときたら火を止めて 食卓へ
 あっさりして お箸がよく動く     満腹 満足 安心      ごちそうさま。

・「雪鍋」は正解だった  心身ともに良好  

 

    風邪で寝込んでいる間 助けられた食材に感謝
                  毎月 産地から送られてくる野菜や果物たち
        

  

                                      
   
                1月→
←2月

蓋を開けると心の籠った品物に思わず笑顔になる











2015年1月28日水曜日

枚方山歩きの会

三輪山(460m)
                                     2015-1-10         35名

交通  京阪 枚方市駅7:43=丹波橋8:15=近鉄天理9:21=三輪駅9:33着
             J R 長尾駅8:09 = 木津8:46 = 奈良9:07 = 三輪駅9:33着

コース  三輪駅~大神神社~狭井神社~三輪山~狭井神社~玄賓庵(げんぴあん)~
      ~檜原神社~巻向駅




JR三輪駅
奈良の大神神社と云えば全国的に有名な割に JRを降り立った
この駅は以外にこじんまりとしている。


                
            大神神社拝殿
                                                            祭神 大物主大神

                       
  三輪山がご神体であるので 拝殿からお山を拝する
  入山は狭井神社で参拝証の白い鈴付きのたすきを受けお祓    
  いを済ませる
 
    三輪山(467,1m)の行程は上り下り約4㌔で3時間以内に
      下 山しなければならない 山中の情報を他人に話す事を慎むのが マナーである

曾て 山形県の湯殿山に登拝した事があるが 山全体が神のお山で 登る時は全員裸足で 
ご神体の湯壺から湧き出る温泉の温かい地肌を神妙に踏みしめた 羽黒修験道の聖地で     
古来より 「言わず 語らず 語らば聞くな 聞かば語るな」と厳しい戒律があった

三輪山でも やっぱり裸足で登拝する人も数人おられたが きつい岩肌の登りは大変じゃよ

                    
        
        
    
                         
三光の滝









           
                                          奥津盤座(おくついわくら)                  
頂上には巨岩があるがこの山中で見学できるのはこの盤座だけである
古来日本の信仰は自然崇拝で巨石に神が宿ると信仰されていた
三輪山の祭祀遺跡としては 辺津磐座 中津磐座 奥津磐座などの巨石群、大神神社 拝殿裏  
の禁足地遺跡、山の神遺跡、狭井神社西方の新境内地遺跡などがある

狭井神社出発10:30~頂上11:50~狭井神社13:00 全員無事下山して広場の休憩所で昼食

午後は山の辺の道をあるいて 道端の無人販売のみかん 黒豆 等々買いながら歩く



玄賓庵(げんぴあん)

世阿弥の謡曲「三輪」の舞台として知られる
桓武 嵯峨天皇の信任を得たが俗事を嫌い三輪山の麓に
隠棲したという 玄賓僧都の庵

たまたまこの日 ほら貝の吹き慣らしを練習している人がいて
静かな寺から空気を吹き飛ばす音が空高くに響いていた



    檜原神社
       
       元伊勢と呼ばれ天照大神が伊勢神宮に移る前に
       祀られていた場所で本殿は無く三っ鳥居の向うの
       三輪山を拝す

       
新年早々に神のお山を登拝し 心身共に清められた思いであった 近鉄巻向駅 3:08
                                            お疲れさまでした。  


お遍路

四国八十八ヶ所 第6回  31番~37番
                                2014~12~25・26       35名

行程 一日目 梅田7:40=明石海峡大橋・大鳴門橋=室津SA=吉野川ハイウエーオアシス昼食         
          37番岩本寺=35番清滝寺=34番種間寺=三陽荘(泊)18:00

    二日目 三陽荘7:30=36番青龍寺=33番雪蹊寺=31番竹林寺=32番禅師峰寺=
          =日本サンゴセンター(昼食)=吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=
          =淡路ハイウエーオアシス=明石海峡大橋=梅田18:00

一 日 目              
      
                          第37番 藤井山 五智院 岩本寺   高知県高岡郡四万十町


  
  本尊  不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来
       地蔵菩薩 
  開基  行基菩薩
  創建  天正年間(729~749)
  真言  不動明王 なうまく さんまんだは さらたん 
              そはたや うん たらたかんまん
       他 四仏の真言は略す


    聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が 七難即滅 七福即生を記念して建立したと伝えられる



第35番  医王山 鏡池院 清滝寺   高知県土佐市高岡町

   本尊  厄除薬師如来
   開基  行基菩薩
   創建  養老7年(723年)
   真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 

  



縁起によると行基菩薩が行脚していたころ この地で霊気を感得して薬師如来を彫像した、
弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810~24)のころ300m離れた岩上に壇を築き五穀豊穣を
祈願して閼伽井権現と竜王権現に十七日の修法をした、満願の日に金剛杖で壇を突くと
岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという
この水は麓の田畑を潤すことはもとより 「みつまた」をさらし紙を漉くのに重宝され やがて
土佐和紙産業をおこすことにも貢献している 

          


第34番 本尾山 朱雀院 種間寺     高知市春野町秋山

   本尊  薬師如来
   開基  弘法大師
   創建  弘仁年間(810~824)
   真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


6世紀のころ敏達天皇の6年百済の皇子から経論と仏師や造寺工を贈る旨の勅書が届いた
彼らが渡来したのは用明天皇の時代で大阪四天王寺造営にあたった ようやく落慶しその
帰途の航海中に 土佐沖で暴風雨におそわれて種間寺の近くの港に難を逃れて寄港した
海上の安全を祈って薬師如来像を彫像し山頂に祀った 
その後200年以上が経過して唐から帰朝した弘法大師がその薬師如来を本尊として開創された

二日目                ホテル 三陽荘7:30出発

                       第36番 独鈷山 伊舎那院 青龍寺   高知県土佐市宇佐町
                        

本尊  波切不動明王
  開基  弘法大師
  創建  弘仁6年(815)
  真言  のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ              
       まかろしゃだそわたや うんたらた かんまん

大師はこの地に堂宇を建て 石造の不動明王像を安置した
本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい 暴風雨を鎮める ために現れたと伝えられ 今も航海の安全や豊漁 世間の                 
                          荒波を鎮めてくれると深く信仰される                                                                                    
                                               力士 朝青竜はここの石段(170段)で体力を鍛えたことは有名である


第33番  高福山 雪蹊寺       高知県高知市長浜

  本尊  薬師如来
  開基  弘法大師
  創建  弘仁6年(815)
  真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

鎌倉時代の大仏師運慶とその長男湛慶がこの寺に滞在し
運慶は本尊の薬師如来と脇侍の日光 月光菩薩を製作
                         湛慶は毘沙門天像 吉祥天女像 善賦師童子を彫像した


第31番  五台山 金色院 竹林寺  高知県高知市五台山

  本尊  文殊菩薩
  開基  行基菩薩
  創建  神亀元年(724)
  真言  おん あらはしゃ なう


♪ 土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た・・・・
                               で有名な「よさこい節」の舞台であるそうな

     学僧 名僧があつまる「南海第一道場」と知られている
     夢窓国師は山麓に「吸江庵」を建て後進の育成に努めた

     門前横には 植物学者 牧野富太郎博士の記念館と
     植物園がある
      
     慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来
     祈願所として帰依が厚く 寺運は隆盛した

五重塔   昭和55年建立 高さ31,2m  総檜造り 鎌倉時代様式
        県内唯一の5重塔
 




第32番 八葉山 求聞持院 禅師峰寺
                          高知県南国市十市
   本尊  十一面観世音菩薩
   開基  行基菩薩
   創建  大同2年(807)
   真言  おん まか かろにきゃ そわか

縁起によると 行基菩薩が聖武天皇から勅命をうけて 土佐沖        
                                            を航行する船舶の安全を願って堂宇を建てた      
のが起源とされる 大同2年に弘法大師がこの地を訪れ
      
虚空蔵求聞持法の護摩を修法され 十一面観世音菩薩を彫像
して本尊とされた
奇岩 霊石が立ち並ぶ その中の一つに海の満潮 干潮毎に
岩のくぼみの水が増えたり減ったりすると伝説がある

  芭蕉の句碑  「木枯らしに岩吹き尖る杉間かな」



日本サンゴセンター  12:20       階上で昼食(さぬきうどん定食)


      サンゴの工芸品 念誦 アクセサリー  いろいろ 目を楽しませる

吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=明石海峡大橋=梅田18:00着

2015年1月7日水曜日

枚方山の会 

納 山 会(男山レクレーションセンター)

                                   2,014-12-21          48名
   集 合   京阪八幡市駅  10時
   参加費   1000円
   持ち物   アルコール類 お茶は持参
   難易度   歩行片道40分位
   コース   八幡市駅~神応寺~鳩ヶ峰山頂(142.5m)~男山レクレーションセンター


          いよいよ年内最後の例会です
          皆さん楽しいひとときを過ごしましょう   




神応寺の横の階段をフーㇷー ハーㇵー言いながら九十九折
に上って平坦な道をしばらく歩くと鳩ヶ峰山頂の三角点に到着

  「今年最後の山頂踏破ですよ~」





リーダーの手際良い配分で7テーブルに分かれ肉類 野菜類が分配され有志者ご持参の大鍋をガスコンロに据え 水 出し と
具が大胆に掘り込まれ煮え立つまでの間に会長の挨拶と共に
前会長のご挨拶 続いて長老の乾杯の合図でいっせいに    紙コップを高く上げる

鍋がぐつぐつ煮えて湯気が上がり寒風の中で盛り上がる
豚肉 鶏肉 いか 鮭 白菜 ねぎ 舞茸 もやし うどん

お酒を振る舞いながら渡り歩く人 おつまみを配る人 自家製お漬物を配る人
巻きずしを50人分巻いてきて 振る舞う人 ビールやワインもそそぎ廻る人

コーヒーは別コーナーに湯が沸いていて 紙コップに各々が調達し クッキーをつまみ
久し振りに逢う人と挨拶を交わし 山登り以外の趣味の達人に耳を傾け 話題が尽きない


通称「宴会部長」お手製の歌詞カードが配られる  15ページもある豪華冊子

 
「二人の山男」 「穂高よさらば」 「坊がつる賛歌」 「空になる(百名山のテーマ曲:さだまさし)」
「花は咲く(復興支援ソング)」 「枚方山小唄(前牛谷会長作詞)」等々・・・・・・・・ 

                       48人の大合唱に上機嫌なのだが どうも調子が外れてる


前会長がにたにた笑いながら「正調 {二人の山男}の歌を
歌いますから続いて歌ってください」

 「見なれた山さ!山さ!
   ゆっくり行こう!あせらずに行こう!」 

どうにか調子の良い歌になって拍手!





   干支の引き継ぎ  「午年生まれ 集まれー!
                羊年生まれ 集まれ―!」

    手をつないで今年から来年に送りましょう」






     帰路は 全員 石清水八幡宮に参拝して解散になる    良いお年をお迎えください
            

2015年1月3日土曜日

東海道五十三次を歩く 第3回

草津から石部宿・三雲
                                 2014-12-14   38名   歩程約15㌔
 

  行程  大阪7:45=京都8:22=草津8:45・・・草津宿本陣(見学)・・・追分・・・目川・・・上鉤・
       ・・手原・稲荷神社・・・六地蔵・・・(弁当昼食)・・・伊勢落・・・(田楽茶屋跡、本陣跡)・      
       ・・柑子袋・・・家棟川(トンネル)・・・針・・・大沙川(弘法杉)・・・JR三雲=草津


  草 津 本 陣 
     大津宿から3里24町 東海道で唯一完全に残っている
     建坪468坪 部屋数36
     式台のある玄関を入ると大名の関札がずらりと並ぶ
     皇女和宮宿泊の時の膨大な大福帳が展示されていた
     
     広い湯殿 畳敷きの厠など江戸時代の面影を忍ぶ

     


追 分 の 碑

東海道と中山道がここから分かれる
           目川の一里塚
                                  追分から40分ほど歩いたかな?

                                                                   






           


   足利義尚公出陣跡

  鉤(かぎ)の地に9代将軍足利義尚の御所があった          
  六角氏討伐の為 この地から出陣した
         (この後 応仁の乱になっていく)
  
    

    



                    「和 中 散」 (漢方薬)

                    豪商 大角弥太郎 家宅

              
            徳川家康が腹痛をおこしたときに この薬
            を飲んだら治った

           このことから 家康が直々「和中散」と名付けた




   石 部 宿

    「京 朝立ちの石部泊り」 と言われ京都から9里強で

    江戸へ下る旅人の多くが最初に宿泊した宿場であった

    又伊勢路への街としても賑わった
   


    



大沙川(天井川)             
                               
                        
   天井川の下の道の  トンネル



                             弘 法 杉

         トンネルの際に樹高26mの大杉が聳えている

         弘法大師がここを通りかかった際に食事に
         使った杉箸を地面に挿したところ 成長して
         樹齢750年になる
         過去は2本立っていて「二本杉」と言われていた

                    
        
                   JR三雲駅(草津線)
         

  今回の終着点JR三雲駅(草津線)に至り15:59分の電車に乗って16:40分に京都に到着



歌川広重  石部 (目川の里)
   
   目川は菜飯と田楽豆腐が名物であった 店は名物を食べさせる伊勢屋である     

   店の前で奇妙な踊りを踊りながら旅をする一郡がいる それを振り返って眺めている
   供をつれた三人の女たち  そのちょっと前を重そうな米俵を背負った農夫達が歩く
   沿道には梅が咲きみだれて 早春の気配を見せている