2013年4月30日火曜日

富士山麓ウオーク 第2回

         富士山麓ウオーク 第2回   2013年4月15日~16日

行程  京都近鉄竹田駅ー(名神高速ーー東名高速)-下吉田駅(富士急行電鉄)-
     新倉山(あらくらやま)浅間公園ー御殿場(ホテルルートイン御殿場) 泊

ツアー客38名を乗せた大型観光バスは快調に走って「浜松SA」に11時半に着き昼食タイム
大方の人は車内で注文してあった「うなぎ便当」を受け取って それぞれに散らばった

私も浜名湖の風景を眺められる丸テーブルに陣取って 持参の小判型の塗弁当箱を広げる
景色と美味を楽しんでいると 私よりずうっと若い女性が同席してよいかと手に持ったおでん

を置いてから ややあって不思議そうに「奥さん朝から弁当を作らはったん?」に続いて家(うち)の嫁はいつでもローソンでお弁当を買いますねんと元気な大声・・・・・・(ほな あんたは?)

串刺しのおでんを食べながら孫のことをぼろくそに愚痴る・・・・・・・(孫をぼやく人 珍しいよ)
旅行が好きで海外もよう行きますねん この服は「タイ」で買うたんで・・・・・(今度は 自慢か)

再びバスは快調に走って「富士川SA」で休憩 今回も天気に恵まれて富士山が素晴らしい
雪姿も先月とは変わらないように思う   「こんにちはーー! またきましたよーー!」

富士急行電鉄の「下吉田駅」前にバスは駐車し ツアーの旗印を先頭に新倉(あらくら)山浅間公園を めざしてゆるやかな坂道を歩き始める 間もなく浅間神社に到着して参拝し気分を新たに 

して又 坂道を登り 五重の塔の「忠霊塔」にたどり着く、添乗員のお奨めで塔と富士山を借景に 思い思いに写真を撮ってもらう

新倉山(840mの中服にある展望台へはまだまだ登らねばならず 一寸 思案の末 GOー
お互いにハアーハアー ヒイーヒイー と体を半分前に曲げてがんばる

やっとたどり着いて展望台に上る  「ウフアーツ !!!!!!」    「バンザアーイ!!」   もう言葉なんかいらない 思い切り聳え 美しい雄姿が迫ってくる どおーんと鎮座している    

そしてなだらかな裾野をいっぱいに広げて  その前は冨士吉田市街がぎっちりとつまってに広がっている

展望台まで登った者だけが大きな感動を目に沁みこませ

富士山と忠霊塔と
  心に納めて 喜びをを分かち合いながら下山する。




展望台からバンザーイ

今夜の泊まりは「ホテルルートイン御殿場」で夕食はホテル内ではなく
海鮮丼 かに味噌汁付
沼津漁港の魚市場内の飲食店街でマップには60店舗の案内が

 あるが 迷うばかりの時 「丸天」の大声の呼び込みにグループの大半は ここになだれるように入り「海鮮丼」を大声で注文し

お腹いっぱい美味しくたべた



2日目  行程

ホテル 7:30  出発ーー河口湖畔 大石公園ウオーキング スタート
ーもみじ回廊ー林作公園ー大池公園ーシツコゴ公園ー小海公園ーゴール  約12km  4時間

河口湖は 周囲全長 19,08km   水深最大15,2m

偉大な富士山を右向こうに見ながら湖畔を歩く 桜は終わりかけであるが 場所 場所に絶景
スポットがあり その都度 カメラのシャッター音が放列する


風もなく 気温も寒からず 暑からず なんと幸せなことか

と・・・突然 こみあげて涙がポロポロと溢れるように流れる  どうにもならない 胸の鼓動が
波打つのがわかる・・・ 叫びたい気持ちを ぐっと抑えて真っすぐ前をむいて歩く


全国富士山251座の各石を張り付けてある


湖面に浮ぶ六角堂





















湖畔沿いの美術館

北原ミユージアム  オルゴールに森美術館

久保田一竹美術館  山梨宝石博物館

与 勇輝 河口湖ミューズ館

岡田紅陽 写真美術館
(学生時代に家にあった分厚い写真集を
 思いだす 是非 行ってみたい)















帰路 河口湖ー鳴沢道の駅ー新東名高速

静岡SAで休憩ー名神ー京都竹田7時着







                             







2013年4月26日金曜日

花は花でも

今年の春はいつまでも寒い日が続いたりして冬服から脱却できずにいたが、我が家の草々どもは

知らない内にあちこちでのびのびと茂っている

雨上がりの草むしりは根元が柔らかくてすいすいと抜けて作業がはかどる

此の日まで怠けていた分を這いつくばって頑張ってどんどん移動する

「あッ!」と手が止まった・・・・・そうや!去年もこの辺りで見つけた草よ

高さ30センチ程のそうめんのように細い茎の先端に薄紫の小花が遠慮がちに咲いている

「なんじゃこれは?????」

思えば去年も一輪かろうじて生きていた。何処から飛んできたのか それとも何かと一緒に運ばれ

てきたのか 自然界の営みの偉大さに感動する

「こんにちは!・・・・・抜かへんよ・・・・・名前は?・・・・・」

             かすかな風が細い茎をゆらゆらり  小紫の花びらもゆらゆらり 
                                       
                                    楽しいかい?  淋しくないかい?



2013年4月4日木曜日

東高野街道(2)交野~野崎   2013-4-3   

京阪 交野市駅ー本尊掛松遺跡ー地蔵石仏ー神祖営祉碑ー平井家ー旗掛け松ー星田神社ー

大正天皇行幸碑ー大井川万吉碑ー弘法大師祠ー打上の弘法井戸ー石室殿古墳ー大峰登山記念碑

ー二月堂灯篭ー三徳稲荷碑ー墓の堂古墳ー和田賢秀墓ー歴史資料舘ー四條畷神社ー

楠木正行墓ーJR野崎駅       (歩程約11km)
                     
本尊掛松遺跡
満開のさくら

本尊掛松遺跡・・・法明上人が「十一面尊天得如来」の画像を授けられて歓喜のあまり「尊像」を

傍らの松に掛けて、称名念仏を唱え踊りだした。(30年昔にこの地を訪れた時は荒野で往時を
郷士の甍

忍んだが現在は住宅街のなかに清潔に佇んでいる。



神祖営祉碑
出陣の時の旗掛松

徳川家康が「大阪夏の陣」の時に宿陣した事を記念する

石碑が建っている。

星田北の庄の郷士「平井家」は三河の国の地頭職であった

ことから同じ三河出身の家康とはゆかりの家柄であった。

3,600坪の敷地内に宿陣を造る

弘法大師祠


     北口と南口に(どの道のことかわからない)小さな    

      弘法大師祠があり祠から少し南の地に
     
     弘法井戸がありどんなに日照りが続いても枯れたことが
                                             なかったと伝えられている





弘法井戸











石宝殿古墳 




寝屋川市東端の打上にある北河内唯一の古墳

内部の高さ08m 奥行2m 7世紀ごろかと思われる

被葬者は不明だが政権とつながりのある豪族らしい





四條畷神社


御祭神・・・楠木正行(正成の嫡男)
               御年22才

       楠木正時(正成の二男)

       和田賢秀(正成の甥)


 明治22年明治天皇の思召により
 別格官弊社に列格仰下され
 翌年鎮座





楠木正l行墓

墓の横には樹齢550年の楠がそびえている








                                
 


和田賢秀墓 

猛將で相手の首を噛みきったので「歯の神」と崇められてる

2013年4月2日火曜日

歴史を楽しむ            2013-3-23



箸 塚 古 墳・・・最古級の前方後円墳で卑弥呼の墓との説

           築造期は3世紀後半と考えられている








黒 塚 古 墳・・・3世紀~4世紀と推定される。古墳が作られた
          当初の姿をとどめてる 石室は復元し展示公開
         
         調査の結果「竪穴式石室」で副葬品に

          「三角縁神獣鏡」が33面出土した

        鏡は直径22cm背面に神仙 霊獣を配している

三輪そうめん「山本」・・・
           昼食は「素麺御膳」(写真よりもっと豪華版」

           店内の年代表によるとそうめんを古代から食            した記事がある (知らなかったなあ)

           そうめん「白 髪」は「モンドセレクション」で
           3年連続金賞(太さ0,03ミリで絹糸のように
           細いので全員ため息の歓声


石 上 神 宮…   古代豪族「物部氏」の氏神を祀る神社

             神庫に納められている国宝「七支刀」は

             金象巖の銘文があり百済から倭王に贈
      
             られたもので資料として古代史上重要


売女神社(めたじんじゃ)・・・
            稗田(ひえだ)環濠集落内に鎮座
         古事記の編纂に関わった稗田阿礼を主祭神
         とす
         阿礼は記憶力 バツグンで建国以来の歴史
         伝説をそらんじ太朝臣安萬侶が記録した
              (阿礼は女性か男性か不明)


稗田環濠集落・・・集落全体が濠で囲まれている 濠の水深は
           どれくらいだろうか
       東西約260m 南北約260mの規模で滔々と流れる
       
       集落内の道は曲がり曲がりで迷いそうだ、歩いてると
       偶然にお遭いした人の語り口は穏やかで「ここは良い所です」と豊かな笑顔で話され

       昔 聖徳太子がこの地は水利に乏しく稗を食べているのを哀れみ水利の便を
       図られて用水をつくられたようで 感謝の祭礼の日が年に一度あるそうな。
       家は代々家系は守られて「こんにち」も続いているそうな。百軒程やそうな。