2021年5月12日水曜日

文学歴史ウオーク (深草)

深草から稲荷神社
                              2021ー4ー11    45名


  集合日時  2021-4-11  午前10時
  集合場所  京阪龍谷大前深草駅改札口
  コース   龍谷大前深草駅ー聖母女学院正門ー深草十二帝陵ー真宗院ー
        深草聖天(嘉祥寺)ー瑞光寺ー宝塔寺ー茶碗子の水ー石峰寺ー
        ぬりこべ地蔵ー伏見稲荷大社    解散(4㎞ 12:00頃)

疏水
 
   京阪電鉄 龍谷大前深草駅から疏水横際の細い道を一列に
 なって歩く 川に架かる橋脚が異常に高い

 男性の会話・・「洪水のために橋を高くしてるんやなあ」
   (疏水では洪水はおこらんよ)

    疏水(鴨川運河)
  鴨川出合~伏見土橋(伏見発電所)~宇治川 

   子供の頃の思い出
 この疎水 を船に米,薪炭,砂利,等を積んで荷方2人が川の側道をロープで引っ張って 
 ゆっくりと四条、三条方面へと橋の下も歩いてたよ 時には掛け声や唄声が流れていた
     
 下りの船には荷物がなく荷方さんがのんびりと座って下っていった
           ・・・・・・・・・・・・・・・      
 そう言えば本町通りは馬が荷を積んだ大八車を引っ張ってた その台車の後方に男の子が
 こっそり乗って、馬車曳きのオジサンに「こらー!」と叱られてたなあ


  聖母女学院     京都市伏見区深草田谷町
 
 創設  明治41年(1908)
     2016年に有形文化財に指定される
 
 陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられた




京都でも屈指の歴史ある建造物で、外観は古典様式の意匠でまとめられており 
 室内の装飾は簡素ながらも 天井の真飾りや各部屋で異なる暖炉の装飾、階段の意匠など  
随所にさまざまな趣向が凝らされてい (予約すると見学できる)
 子供の頃の思い出                                       
 聯隊兵がザツ ザクとと足音高く行進して 勇ましかった

  深草十二帝陵       京都市伏見区深草坊町      
 鎌倉時代          室町~桃山時代
 第89代 後深草天皇     第101代 称光天皇
 第92代 伏見天皇      第103代 後土御門天皇
 第93代 後伏見天皇     第104代 後柏原天皇
 北朝            第105代 後奈良天皇
 4代  後光巖天皇     第106代 正親天皇(おおぎまち)
 5代  後円融天皇      第107代 後陽成天皇
 6代(第100代)後小松天皇  伏見宮家初代 栄仁親王

深草十二帝陵墓





鎌倉時代 安楽行院法華堂として創建が始まり南北朝時代の
北朝系の御陵として戦国時代までの300年間余に渡り
歴代12人の天皇の遺骨が法華堂に合祀されていた

1894年安楽行院跡地を編入して陵墓の地域が拡張された





 真宗院(しんじゅういん) 京都市伏見区深草真宗院山長
門前
             
                        
   山号 根本山号
   宗派 浄土宗西山深草派
   創建 建長3年(1251)
   後深草天皇の帰依を得て円空上人が創建
   流祖 西山證空
   本尊 阿弥陀如来

 1785年 伏見奉行の圧政反対一揆の出発場となる





山脇東洋と一族の墓がある(江戸中期日本で初めて幕府の医官として人体解剖をし公表した 1759年「蔵志」著する)  15年後に杉田玄白が「解体新書」1774年に著する

  深草聖天(嘉祥寺)  京都市伏見区深草坊町

 宗派 天台宗
 創建 嘉祥4年(851)
 開基 文徳天皇
 開山 真雅(空海の弟)
 再興 天台僧 空芯

878年には官寺・国分寺に次ぐ寺格を有し隆盛し広大な寺域と伽藍
を持つ大寺院であったが 平安後期に衰退する
「応仁・文明の乱」により焼失・廃絶する
 
江戸初期 寛文2年に「安楽行院」を僧空心が再興した際 同院の
境内に聖天尊を祀って「安楽行院嘉祥寺」とした

堂内に祀られている秘仏「歓喜天」(象頭人身)は「福運の聖天」
と呼ばれ多くの人がその加護を受けた

歓喜天の好物として有名な大根が軒先に沢山つるしてあった。「お寺に大根」と不思議に 
思って見ていたが やっと納得した

  瑞光寺(ずいこうじ)      京都市伏見区深草坊町

 山号 深草山
 創建 明暦元年(1655)
 開祖 元政上人
 本尊 釈迦如来


茅葺の本堂




 元政上人はもと彦根藩士で俗称を石井といったが藩士の
 身分を捨てて妙顕寺日豊の門に入り、
 明暦元年(1655)深草に庵を建立 1668年に当地で示寂

 お百度参りを時計回り歩いてお願いすると縁結びが叶い
 逆方向に廻ると縁切りが叶う
 


  宝塔寺         京都市伏見区深草宝塔寺山町   

山号  深草山
宗派  日蓮宗
本尊  三宝尊
創建  延慶年間(1308-1311)(鎌倉時代)
開山  日像
開基  藤原基経    文化財    多宝塔 総門
                          重要文化財   本堂
     敷地面積1万坪の広大な寺域に平安時代の趣を感じる、
                                                           応仁の乱(1467年)で焼失
                
仁王門(室町時代)


本堂









             多宝塔(室町時代建立 応仁の乱で焼けなかった)
 平安時代に藤原基経(899年)が発願により創建され 源氏物語「藤裏葉」帖にも登場
 する極楽寺が前身 基経の没後、嫡子で藤原時平(菅原道真を讒言して太宰府へ左遷させ
  た人物)により建立された

 鎌倉時代末期 京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論をした
 良桂は日像に帰依し、真言律宗寺院であった極楽寺は(1308~1311)日蓮宗に改宗した

満開の八重桜が美しい



  茶碗子の水(ちゃわんこのみず)         京都市伏見区深草野手町
               
                                               
                 京都の名水の一つで「茶碗子の水」と呼ばれる
茶碗子の水

 昔、都に住む茶人が いつも宇治橋より宇治川の水を汲   
 ませて茶の湯に用いていた。ある時 使いの者が水を汲 
 んでの帰り道この近くまできて水をこぼしてしまった使
 いのものはこの湧水を持ち帰って知らぬ顔をしていた

 いつもの水と違うことを主人は見破った。問い詰められた
 使いのものは恐る恐る一部始終を話したところ主人に叱ら
 れるどころか 宇治川の水よりも良いとほめられ 

 その後は宇治川まで遠出の必要がなくなったという

  太田蜀山人の歌碑
      ひとつとり ふたつとりては焼いて食う うずらなくなる深草の里

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  60年前に伏見に暮らしていたが 家の前の畑の中に「金水」「銀水」と名札のある
  井戸があった、名札は古びてて気にもしなかったが 近辺の農家はどの家にも汲み上げ
  の井戸があり 水は冷たく甘くて美味しかった。家族でお互いに讃えていたなあ

  石峰寺           京都市伏見区深草石峰寺山町

 山号  百丈山
 宗派  黄檗宗
 本尊  釈迦如来
 創建  正徳3年(1713)
 開基  千呆性按(せんがいしょうあん)





 萬福寺を本山とし第6世千呆(せんがい)によって建立された禅道場
 本尊は(1596年)土中から発見された薬師如来だったが その後本堂が焼失したため
 現在は釈迦如来になっている

五百羅漢

寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は
安永年間(1789年~1801年)画家の
伊藤若冲が草庵を結び当時の住職と協力
して製作したもので「若冲五百羅漢」
として親しまれている










  ぬりこべ地蔵      京都市伏見区深草大門町
ぬりこべ地蔵

  京都では歯痛にご利益があるとして有名
  歯痛平癒を祈るハガキが全国からよせられてる
  お礼に塗り箸を奉納
  虫歯予防デー(6月4日)にちなんで地元深草稲荷保勝  
  会が中心になって供養を営んでいる




  雀のお宿
 子供の頃の思い出 
 この深草に「雀のお宿」があった
 「舌切り雀」の童話を思いながら「ちゅん、ちゅん」と   
 やかましく鳴いていた家の前を通っていた


 野鳥の会の中西悟堂が書き記している

「今から230年ほど前 祖先が大層雀を可愛いがって穴をあけた瓢箪を軒や屋内にたくさん    
 吊るし これを雀の巣にあてがった、それ以来 幾百という雀が屋敷と言わず 台所と
 言わず 家の中にいたるところに巣を造り 遂に童話そのままの「雀のお宿」として
 京都名所の一つとされるに至った。 同家では代々連綿として雀のために瓢箪を吊るし
  続けて来た(定本野鳥記 第10巻) 瓢箪の数が合計300ほどあったとのこと

 ・・・ 現在その旧家は建て替えられて当時の面影はどこにも残っていない
     (戦後 食料不足で雀に与える米がなくなり 自然消滅したらしい)

 伏見稲荷大社         京都市伏見区深草薮之内町       


千本鳥居



 主祭神 稲荷大神
  (宇迦之御魂大神ほか4柱の総称)

 神体  稲荷山(神体山)
 創建  和銅年間(708年~715年)
 例祭  5月3日

 和銅4年(711)秦伊侶巨(はたのいろこ)に
 よって稲荷大神を稲荷山に祀ったことが 
  創建とされたといわれている








 平安時代・空海は東寺の守護神として稲荷大神を勧誘した、清少納言も稲荷山参拝した
 応仁の乱(1467~1477)で焼失  
 1499(明応8年)再興。 1589年(天正17年)豊臣秀吉が楼門を寄進 再興させた

 千本鳥居は江戸末期に始まり(朱色は古代より魔除けを意味する神聖な色)
 千本鳥居を通って四ツ辻を経て一ノ峰 二ノ峰 三ノ峰とお山巡りをする
 余談ですが俳優の「西村和彦」は四ツ辻の茶屋「仁志むら亭」息子さんでここから
 京都市立日吉ケ丘高校に通っていた

 お狐さん・・・狐の外見や習性が神的な存在を思わせる。
        水田によく出現することがら 田畑の守護神と考える

 5月3日の本宮祭のちょっと変わった神事
     ・藤森神社の神輿が来て「土地返せー」「土地返せー」と叫ぶ
     ・伏見稲荷大社は供物を供えて「神様が不在ですので・・・・・・・」
     ・お神輿は「また来年も来るぞ」と言って引き返す

 ・・そもそもこの土地は藤森神社の神域であった。藤森神社は神功皇后が三韓征伐を
 終えて新羅から凱旋した時に軍旗を山城の国深草・藤森の地に立てて兵具を納めて
 塚を作り、祭祀ヲ行って神様をお祀りをした

 ・・人間に化けた狐が藤森神社の神官に稲荷山の麓を稲を干すために貸して欲しいと
 願ったので承諾した 
 ところが 狐たちは大きな稲束をいくつも持ってきて稲荷山をかこんでしまった
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・ 稲荷神社の千本鳥居が世界有名度1位らしい  
  ・ オバマ大統領夫人の訪問の時の京都の通りの物々しい警備を思い出す

  ・ 子供の頃の思い出
   父はお稲荷さんにお参りすると 店先に並んでる鶉の焼き鳥をよく買って来た 
   美味しかった。
   雀の焼き鳥もあったが 味はガタンと落ちて美味しくなかった
         ・・・・・・・・・・・・・・・ 
   今回のウオークは子供の頃の思い出に度々出合 懐かしさに浸りあれもこれもと     
   語りたかった                       おわり