2018年4月24日火曜日

西国観音霊場33所めぐり

 第5回巡礼(12番~15番)         2018-3-21  17名

行程 京都駅アバンテイ前(9:10)==12番岩間寺==13番石山寺==昼食=
   =14番三井寺==15番今熊野観音寺==京都駅アバンテイ前

 
 西国12番 岩間山正法寺(通称)岩間寺       滋賀県大津市石山内畑町

奥深い参道を歩く

本堂 









日本一の長寿桂




         



            宗 派  真言宗醍醐派
            本 尊  千手観世音
            創 建  伝 養老6年(722)
            開 基  秦澄大師





大津市と宇治市の境にある標高443mの岩間山 中腹に建つ元正天皇の勅願寺院で往時は 
熊野 吉野に並ぶ並ぶ三大霊場とし隆盛していた

ご本尊は15㎝の千手観音で秘仏である。人々の苦しみを救う為 毎夜厨子を出て136の地獄を駈け巡り 苦しむ人々を救済し、日の出頃 岩間山に戻られた時には全身は汗がながれ「汗かき観音」さんと呼ばれている
ぼけ封じほうろく灸
ぼけ封じ祈願会5月17日、10月17日

古池や蛙飛び込む水の音
芭蕉発句の池














  西国13番 石光山 石山寺             大津市石山町

つつじが鮮やかに咲く参道 

      宗 派  東寺真言宗
      本 尊  如意輪観音
      創 建  天平19年(747)
      開 基  良遍 聖武天皇(勅願)


東大門
阿 吽の仁王像は運慶湛慶の作と言われるが定かでない

   瀬田川のほとり加藍山(239m)の麓にあり 奈良時代から観音の聖地である
   縁起によれば天平19年(747)聖武天皇の勅願で良遍僧正が創建
   本尊如意輪観音は日本唯一の勅封の秘仏と言われ 開扉は33年毎、
   安産、福徳、縁結びなど霊験あらたか

硅灰石(天然記念物)
石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触
してその熱作用のために変質したもの
安産の腰掛椅子
高床式の経蔵の下の岩に座り祈願する









源氏の間
紫式部は7日間参籠して物語を執筆した
月見亭
後白河上皇の行幸に際して建てられた
毎年中秋名月の日に「秋月祭」で賑う










瀬田川
樹木の生い茂る透き間から昔日の風景を偲ぶ

                       昼食タイム
洗心御膳

洗心寮(昼食とお土産)

 








  西国14番 長等山園城寺(通称三井寺)       大津市園城寺町

仁王門

観音堂(本尊如意輪観音)










 


     宗 派  天台寺門宗
  本 尊(本堂)弥勒菩薩
  創 建  7世紀
  開 基  大友与多王
     
  7世紀に大友氏(古代)の氏寺として草創され 9世紀に唐から帰国した      
  留学僧円珍(宗祖)によって再興した

  平安時代以降は皇室 貴族 武家などの幅広い信仰をあつめて栄えたが10世紀頃   
      から比叡山延暦寺との対立抗争激化し 焼き討ちに度々あったり豊臣秀吉に寺領を 
      没収されたりしたが 苦難を乗り越えてその都度再興した
三重塔


      慶長6年(1601)徳川家康により寄進された
      もとは 奈良県比蘇寺の塔で室町初期の建築


一切経蔵







  室町初期の建築で 毛利輝元より寄進された
  堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵が  
  ある

弁慶の引き摺り鐘



  むかし俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に龍宮から
  持ち帰った鐘を三井寺に寄進したと伝えられている

  その後 山門(延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山
  へ引き摺り上げて撞いてみると”イノー、イノー”
  (関西弁で帰りたい)と響いたので 弁慶は怒って鐘を
  谷底へなげ捨ててしまったその時のものと思われる
  傷痕や破目などが残っている
                      
閼伽井

  天智 天武 持統天皇の御産湯に用いられた霊泉が
  あることから御井(三井)と言われる




(近江八景)三井の晩鐘



   宇治の平等院 高雄の神護寺と共に日本三銘鐘に
   数えられ 荘厳な音色は有名で「日本の残したい
   音風景百選」に選ばれている
   
   近江八景

 三井の晩鐘。石山の秋月。堅田の落雁。粟津の晴嵐
 唐崎の夜雨。瀬田の夕照.矢橋の帰帆。比良の暮雪。

藤棚・咲いていたのは白藤であった
写真処理の露出を変えるときれいな薄紫になっちゃった!

  
  西国15番 新那智山 今熊野観音寺         京都市東山区泉涌寺山内町

本堂
宗派  真言宗泉涌寺派
  本尊  十一面観音(秘仏)
     創建  伝大同年間(806~810)
     開基  弘法大師       
                       

鳥居橋を渡る
一の橋川(今熊野川)
泉涌寺の境内に発した流れは細い












                                                                                                                   



弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示をうけ 嵯峨天皇の勅願により観音像を
刻んで本尊とし安置した

後白河法皇は本尊を深く信仰し 持病の頭痛が平癒したので「新那智山今熊野」と名称を
与えられ 以来 中風 厄除けの観音として繁栄している

後白河法皇が頭痛でお悩みの時に今熊野観音様が枕元に立たれて後霊験を発せられた事
から枕の信仰が生まれ多くの人々が御祈祷された「枕カバーの御守り」を授かっている

御詠歌  
    むかしより たつともしらぬ いまくまの ほとけのちかい あらたなりけり

                                    合掌礼拝 

2018年4月10日火曜日

春の訪れ


   雛の茶会  
    於いて  三井家下賀茂別邸      2018-3-2  16名



 下賀茂別邸は下賀茂神社の南、高野川と鴨川の合流地点の北岸に位置する
 この地一帯は明治31年に三井家が購入した
 呉服を商う三井家は 養蚕の神「木嶋神社」を下賀茂神社内に社殿を設けていた
 明治42年三井家の遠祖 三井高安の300年忌に際し 宿舎 茶室を新築し別邸として
 整備した







茶菓子 ひちきり

江戸雛








一服どうぞ


ひな御膳








3階の望楼から京都市内が一望できるそうな




















     のどかな春の1日を巡りあった人々とのどかに語らい乍らお茶をいただく


   くろんど池の桜
                2018-3ー27               

精一杯 膨らむ蕾たち
鴨も まだ寒いかいな











 
 
 市内の街路樹の桜は パッと一度に満開になったが この辺り一帯は山間の所為か
 あと四,五日はかかりそう


  寝屋川点野府営団地
                        2018-3-29
             











両手をいっぱいに広げてる



大阪府営寝屋川点野住宅(1975)









ひやァー!誰かに見せてあげたいよ












静かに流れる花筏も美しい




















   府営団地を通り抜けて淀川の堤防に上ると「鳥飼仁和寺大橋」の鉄橋の弧線が
   高く伸びて空の青さが新鮮だった 


  

2018年4月6日金曜日

枚方歴史を楽しむ会



 亀山・鈴鹿方面の史跡を訪ねて
                        2018-3-24  44名

行程 
  枚方ラポール前(8:00)京滋バイパスー東海道の関宿―椿大神社ー椿会館
  ー白鳥塚古墳ー加佐登神社ー佐々木信綱記念館ー鈴鹿市考古博物館ー京滋バイパス
  -枚方ラポール前(18:30)着

 道の駅 関宿でトイレ休憩
亀山羊羹 山菜佃煮・・・・
両備バス












 東海道の関宿東海道の関三重県亀山市関街新所

    関は古代から交通の要衝であり 古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていた
 東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町である
 東西追分の間約1,8キロ 町屋200軒あまりが残っている

関宿の町屋
江戸時代の高札場








関地蔵院



 宗派 真言宗御室派
 本尊 地蔵菩薩
 創建(伝)741(天平13年)
 開基(伝)行基









 関の地蔵と一休和尚
 地蔵のご本尊が塵に汚れたので 里人が修繕して開眼供養を通りがかった一休和尚に
 頼んだが 「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ出でぬ間の かかるうき世に 目あかしの
 地蔵」と歌を詠み立小便をして立ち去ってしまった
 これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらったが その晩 高熱を
 出した村人の夢枕に地蔵が立ち 供養を元のようにせよと命じた
 
 あわてて桑名にいた一休和尚に助けを求めると 地蔵の首にかけるようにと 古びた
 下帯を手渡され 言われたとおりにしたところ高熱は下がったといわれている

 関の地蔵が麻の布きれを首に巻いているのは この故事によると伝えられている
                                              

ひな飾り
大旅籠「玉屋」












  椿大神社(つばきおおかみやしろ    三重県鈴鹿市山本町
   
伊勢国一の宮猿田彦大本宮

 主祭神 道祖猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
 創 建(伝)垂仁天皇 27年
    
拝殿











 伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は 
 神社の背後につづく高山入道ヶ嶽(たかやまにゅうどうがだけ)
 短山椿ヶ嶽(ひきやまつばきがだけ)を天然のやしろとして太古の神代より祭祀され 
 ていた「猿田彦大神」の御神霊を 第十一代垂仁天皇の27年に社殿を造営し 日本
 最古の神社である                    
猿田彦大神の妻神の椿社
宮司さんの説明を拝聴









松下幸之助社
茶室 鈴松庵
松下幸之助翁寄進の茶室









椿とりめし御膳

椿大神社 椿会館


  










    白鳥塚古墳        三重県鈴鹿市上田町 

   帆立貝式古墳 墳長80m 高さ13m 築造5世紀前半        
白鳥塚古墳コバノミツバツツジ群落

白鳥塚古墳










  この古墳は古くから日本武尊(倭建命)の墓と云い伝えがあり 尊が葬られた後に
  白鳥となり飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれている


    加佐登神社        三重県鈴鹿市加佐登町


本殿
御祭神 日本武尊 外十六神
創 建 不詳
エドヒガンザクラ








 古来 御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれ日本武尊が
 死の間際まで持っていたといわれた笠と杖をご神体として
 祀られている 
 明治6年(1873)「笠殿」から現社名へ改めた


    佐佐木信綱記念館        鈴鹿市石薬師町
佐佐木信綱  凌寒荘にて

佐佐木信綱記念館








卯の花苗木100円




佐佐木信綱は 歌人 国学者 唱歌「夏は来ぬ」の作詞者である

 明治5年 石薬師村に誕生
 明治17年(13歳)東京帝国大学最年少で入学
 大正6年(46歳) 学士院恩賜賞受賞
 大正14年(54歳)「校本万葉集」の刊行
 昭和12年(66歳)4月文化勲章受章 6月芸術院会員
 昭和38年(92歳)熱海凌寒荘にて永眠 


 信綱は5才より 父弘綱から「万葉集」や西行の「山家集」の歌 
 を暗唱するように教えられ 6才の時に初めて短歌を作り 生涯1万余首を作歌した
 

   鈴鹿市考古博物館       三重県鈴鹿市国分町      


考古博物館



    




体験勾玉づくり
館内









出土の馬の埴輪





伊勢国分寺跡の南に隣接して建てられた考古学専門の
博物館で 市内の遺跡から見つかった土器や勾玉埴生
などを展示している
体験学習で勾玉づくり、土笛づくりが楽しめる


伊勢国分寺跡






博物館の屋上に上って雄大に拡がる   
国司跡 国分寺跡を眺める










桜はまだかいな











  枚方着18:30   おつかれさま