2020年12月22日火曜日

文学歴史ウオーク(万博記念公園)

1970年の夢の跡「太陽の塔」

                               2020-12-6  28名

                  

 集合日時 2020年12月6日 13:00

 集合場所 大阪モノレール万博記念公園駅改札内 

 コース  万博記念公園駅~万博記念公園入園~EXPO70パビリオン見学~

      太陽の塔~民族学博物館見学~万博記念公園駅解散(16:00頃 約4km)

 講師   井村 身恒(いむら みつね)先生

       著書「カリスマ案内人と行く大阪まち歩き」「堺今昔写真帖」他多数



万博記念公園駅構内

















                  公園駅構内に樹の枝で約2メートルの球体オブジェ
        3月15日~9月13日
会長      石坂泰三(1886~1975
プロデューサー 丹下健三
来場者数    6.421万8770人
参加国     77国    テーマ「人類の進歩と調和」


              記念碑 石坂泰三会長


 塔の中を4階まで人類の歴史を見ながら昇っていく

岡本太郎のデッサン




  内部は原生生物から人類に至るまでの生命の進化の過程を表現しした「生命の樹」が

  あり大小さまざま292体の生物模型が取り付けられている 

  アメーバーーーー恐竜ーーー原始人ーーー現代人に至る進化過程を表現

黒い太陽は過去を象徴する

  

  この時代から始まったもの

  動く歩道. モノレール. 電気自動車. 電気自転車.

  テレビ電話. 携帯電話. 缶コーヒー. 

     ファミリーレストラン. ケンタッキーフライドチキン. 

  アポロ12号から持ち帰った「月の石」.



国立民族学博物館  (みんぱく)  1977年11月に開館             


オセアニア地方の古民具

                             
石の貨幣



 教会に行くときの衣装(腰箕)

文化人類学 民俗学の研究活動と その成果を
展示公開
 1974(昭和49)年に創設され 1977年11月開館
 
民族学の研究者が世界各地で収集した生活用具や
民族衣装など約34万5千点







 
 

 ゴツゴツとおどろおどろして気分的には
 なじめないがオセアニア地域の歴史を感じる










 バラ園の優しい笑顔にほっとする



   夕陽に映える太陽の塔を眺めながら当時義父と一緒に2度も来た事を思い出す
   人混みの中を興味だけでパビリオン見学し歩いた。若かったなあ (おわり)



2020年11月17日火曜日

第239回 文学 歴史ウオーク (嵯峨嵐山)

 トロッコ列車と保津川下り

                             2020-11-1   46名

  集合場所 JR嵯峨野線 嵯峨嵐山駅改札口 午前10時30分

  コース  嵯峨嵐山駅(10:30)-トロッコ嵯峨駅(11:02)~トロッコ亀岡(11:25)

       -送迎バスで湯ノ花温泉・烟珂(けぶりがわ)昼食ー保津川下り渡船

       ー(14;30~16:30)ー嵐山船着場・・・16:45解散


JR嵯峨嵐山駅
 平成2年(1990)JR山陰線の複線化によって使われ              
   なくなり
 廃線後荒れていたが保津川渓谷沿いの素晴らしい                 
    景観を車窓から楽しめる列車に改めて発足した

 平成3年(1991)4月27日にトロッコ列車を走らせる
 
   
車窓から美観を楽しむ
 







廃線後に
桜守の佐野藤右衛門さんの姿や       
又楓の苗木を植える人達の姿がテレビで
報道されていたことを思い出す
 




保津峡駅ではタヌキさん達が迎えている





                            トロッコ亀岡駅に到着して
送迎バスで湯の花温泉「京都・烟珂(けぶりがわ)」に到着
ゆっくりと温泉に浸かり 露天風呂では賑やかに歓談
おしながき 
    前菜 汲み上げ京湯葉
       煮蛸 煎り栗 秋刀魚炙り 古代米寿司
    造り 活鮮盛り込み 鯛 戻り鰹 京都の生麩
    焜炉 京都ぽーく麹甘酒鍋
    焼物 秋鮭幽庵焼き  
    油物 海老新丈東寺揚げ 季節野菜いろいろ
    逸品 松茸茶碗蒸し
    お食事 亀岡のお米 自家製京つけもの  
                  水物 旬果物


  送迎バス車窓から亀岡の「夢コスモス園」を眺める


2020年 10月1日~11月3日 開園

約4.2ha(約12704坪)に800万本

家族連れやカップルがそれぞれに
ゆっくりとコスモスを切り取っている








保津川下り

横列4人掛けで23人が乗ると船頭
さんが重いなあと苦笑い
船の操船方法や保津川くだりの歴史
周辺の見どころなどがユーモアたっぷりに紹介され 船の中はいつのまにか
和気あいあいとした雰囲気になった

急流すべり
  

  江戸初期の慶長11年(1606)に京の豪商角倉了以が
  木材や薪 炭などの丹波地方の産物を都に送ることを
  目的に産業水路として拓いた

  昭和の子どもの頃 国鉄山陰線の車窓から 材木を筏に
  組んで運ぶ風景を 何もおもわず眺めていたんだよ


 


トロッコ電車の客と           
船からと手を振って笑っています



時には水しぶきを「キヤー」と浴びながら 
16kmを2時間の船旅であった

                                                      おわり

2020年11月10日火曜日

第238回文学歴史ウオーク(須磨寺)

 源平合戦合戦ゆかりの須磨寺を訪ねて

                               2020-10-4 46名

  集合時間  10月4日 午前10時

      集合場所  山陽電鉄 須磨寺駅 改札口コース   山陽電鉄・須磨寺駅改札口~                            須磨寺見学(一弦琴の鑑賞) (約2㎞)

  講師    西村好子先生  1947年生まれ 兵庫県出身 神戸大学文学部講師

  著書    「寂しい近代ー漱石・鴎外・四迷・露伴」「やさしい漱石」他

須磨霊泉
  須磨霊泉  大正13年建立の石碑
  須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いている
  昭和13年阪神大水害や平成7年の阪神淡路大震災時には貴重な
  水源となり地元の人には「命の水」とよばれている
霊泉 飲用には煮沸が必要です。

ストウーバ

    亜細亜万神殿     神戸市須磨区須磨寺町
   (ネパール大震災復興記念堂)

平成26年或る篤志家が生前にアジア各地で蒐集された神仏の石像
を須磨寺に奉納された

砂曼荼羅

シヴァ神と妃
3人の女神














ネパールでは阪神大震災平成7年(1995)や東日本大震災平成23年(2011)の際 国を挙げて慰霊祭と復興記念が行われていた
平成27年度(2015)ネパールの大震災が発生し復興を願い「ネパール大震災復興記念堂」と名付けられた日本在住のネパールの方々の拠りどころとなっている

 須磨寺    神戸市須磨区須磨寺町
                
              山号上野山 宗派真言宗須磨寺派  創建仁和2年(886)
              開山 間鏡  開基光格天皇(勅願) 本尊 聖観音
龍華橋



仁王門(運慶、湛慶)









古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人も多く 境内には多数の句碑 歌碑 文学碑 漢詩碑など24基が並ぶ

正岡子規句碑
    正岡子規句碑
           暁や 白骨過ぎ行く 蚊帳の外
    松尾芭蕉句碑
           須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇
    与謝蕪村句碑 
           笛の音に 波もよりくる 須磨の秋


源平の庭












源氏の熊谷直実は 須磨の波打ち際で船に乗ろうと逃れる敦盛を見つけ 戦えと扇で
呼び止める。紅顔の公達敦盛(清盛の弟経盛の子)は戻って一騎打ちに応じるも 
百戦錬磨の 直実に組み伏せられる。直実が 相手の兜を取ると なんと自分の息子ほどの年齢の美しい若武者。 直実は逃がそうと逡巡するも源氏の追手が迫っておりそれもならず
泣く泣く首を刎ねた。敦盛、齢17歳であった
            ・・・・・・・・・・
直実は敦盛菩提のために仏門に入り法然上人の下で修行し念仏三昧院を建立する
長岡京市の光明寺の直接の始まりで建永2年(1207)9月4日に予告往生を遂げた
蓮生(宗名)の遺骨は遺言により当寺に安置された

写経輪堂

  写経輪堂
    お堂全体がくるくる回る 大きなマニコロ
    中には奉納された写経が納められている


敦盛の首を洗った池



敦盛首塚

  熊谷直実は義経の首実検の後 許しを得て遺品  
  馬 甲冑 弓矢 青葉の笛と共に戦死の有様を書き添
      えて父経盛に送り 懇ろに弔われた 
  敦盛首塚は今も人は絶えない



副住職小池陽人老師の法話
  温かみのある語り口と笑いを誘いながらの法話に気持ちが和む。後日改めてYouTube
  で「小池陽人」を検索し高校生から老人までどの世代にも通じる法話に感じいる
   
須磨琴(一弦琴)

 須磨琴は一弦琴(いちげんきん)とも呼ばれる
 平安時代 在原行平が須磨に流謫された時に初めて一弦琴   
   をつくり ひとりこれを弾じてその寂寞を慰めたと伝え       
    られている      (兵庫県指定重要無形文化財)






       須磨琴(一弦琴))4台が並べられた清らかな衣装の女性演奏者の
       しっとりした声音と流れるような音の響きに平安時代の趣を彷彿とさせる

            一の谷の 軍やぶれ          
            討たれし平家の 公達あわれ      明治39年
            暁 寒き 須磨の嵐に         作詞 大和田建樹
            聞こえしはこれか 青葉の笛      作曲 田村亮
                                    終わり

2020年10月19日月曜日

大阪城ホール


 青春が止まらない

                大阪城ホールへ行きました      2020-9-22

 コロナで不安は尽きないけれど、こんな時こそ青春の歌を
聴いて元気を出そう! 前を向こう!

祝 大阪城ホール制覇 太田光  
御祝 三代澤康司 山田雅人 友近









三代澤康司アナウンサー

  






  三代澤康司  1960.4.14生 60歳 
         出身地 奈良県生駒郡
   
      朝日放送ラジオ
     「「ドッキリ ハッキリ三代澤康司です」
                         月曜日~木曜日 9:00~12:00

山田雅人

 山田雅人 1961.1.22生 59歳  
      出身地 大阪市大正区

  お笑い芸人「語りの世界」という唯一無二の話芸
  「稲尾和久物語」「江夏の21球」等
  言葉のドキュメンタリーワールドが面白い
 「こうせつ市場」は三代澤アナウンサーと漫才コンビ名
 で場内を笑いの輪に引き込んだ




南こうせつ
          南 こうせつ  1949.2.13 生 71歳
          出身地 大分県大分市出身
   
     「神田川」「赤ちょうちん」「妹」(ミリオンセールス)
 
      ユニークなキャラクターと巧な語り口が人気
      いつもこうせつさんの歌があった
      若い頃に親しんだ歌を聴くことが一番





イルカ
  イルカ    1950.12.3 生 70歳 
         出身地  東京都中野区
         本名   神部としえ
                    
 女子美術大学のフークソング同好会に在籍していた当時     
 皆がギターを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」
 と言ったのがきっかけで「イルカ」になった

 「なごり雪」「夢ひとり」「いつか見る虹」
  変わらない歌声に心がなごむ




押尾コータロー
          押尾コータロー
          1968.2.1生 52歳 大阪府吹田市 
          ギターリスト 
          全国ツアーライブ活躍中






馬場俊英
  馬場俊英
    1967.3.20 生 54歳 埼玉県寄居町 出身
    シンガーソングライター
    「スタートライン」…他
杉山清貴
 






               杉山清貴
                1959.7.17生 61歳
                横浜市磯子区 出身
                シンガーソングライター
              
             
                 
          
森山良子
 森山良子
 1948.1.18 生 72歳  東京都出身
 平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞
 平成20年度秋紫綬褒章受賞
 この野原いっぱい。さとうきび畑 涙そうそう

 ピンクの軽やかな衣装をひらつかせ 舞台いっぱいを飛びまわり
 ベルデイの「椿姫」を高らかに歌い上げる

   
   場内いっっぱいに広がる歌唱力と演技にときどきウルウルと涙が出て熱くなった
                              終わり

2020年10月1日木曜日

第237回 文学歴史ウオーク(守口)


 江戸川乱歩ゆかりの守口を辿る

                             2020-9-6    43名

 集合場所  大阪メトロ谷町線・守口駅改札口

 コース   守口駅10:00-狼島跡―江戸川乱歩旧宅ー旧淀川の痕跡ー謎の境界線ー                                       五荘水路跡ー江信川跡ー太子橋跡ー摂津河内の境界線ー昭和の九軒長屋ー                             旧千林村-ダイエー発祥地―京阪千林駅解散(約4km)



講師   西俣稔先生     

毎日新聞大阪版連載「わが町にも歴史あり」の案内人  

大阪保険医新聞「大阪先人の足跡をたどる」執筆…他



               江戸川乱歩の居住跡

江戸川乱歩   明治27年(1894)三重県名張生まれ  
本命は平井太朗ですが アメリカの探偵作家エドガー・アラン・ポー    
旧宅跡
から江戸川乱歩の筆名をつけた
 『D坂の殺人事件』    1925年
 『陰獣』         1928年
 『黒蜥蜴』        1934年
 『怪人二十面相』     1936年
 『探偵小説四十年』    1961年自伝
名探偵「明智小五郎」は守口生まれ?
                                (執筆は守口だった)

乱歩作品の不気味な世界の原点は書斎から眺めていた葦や木がうっそうと茂る淀川沿い
の外島跡や狼島跡だったのかもしれません
乱歩は人間に潜む心理の屈折や怖さ、あるいは錯覚を描き どの作品も論理的に解決
できる筋書です
    
守口 大阪の謎の境界線                           
道路を斜めにはしる境界線
       

守口市竹町
大阪市旭区太子橋














不思議なことに守口市と大阪市旭区の境界線は隣接する家の間を境界線が通っている


 淀川工科高校や守口第一中学校には境界線がグランドを横切っています
 さて謎の答えは なんと奈良時代の天平十三年(741)奈良朝廷は国の境界は「河川の
 中心か山の尾根」と定めた 当時ここを流れていた淀川の中心が 河内国と摂津国との
 境界だった
 明治30年代淀川の付替えで埋められて宅地化したのに境界だけが残っている

 江野川跡   大阪市旭区
             
江野川暗渠の上は     
阪神高速守口線
江野川の正式名称は[桶管統一水路]という
昭和以前の旭区は 純農村地帯だった 田畑の灌漑用水と   
して淀川の堤防に樋門・桶菅を設け農業用水の取り込みを  
していた
しかしこれらが老朽化すると堤防の安全に影響を与え
費用補修も多額に上がることから それらを統一し一か所
から取水して 堤内用水路で田畑に配分する計画をした



 枚方市字伊加賀地先に新合同樋門を建設し 上庄・出口・ 二十箇・茨田・佐太・八雲・ 五箇・榎並の8用水路を   まとめさらに流末の予備水路として在来の榎並用水の 一支江野樋の地点を起点に城北運河(現城北川)へ放流する計画で昭和9年通水が完了した

 大阪万博(昭和45年)を契機に加速した市内近郊の高速道路(阪神高速守口線)整備の  
  ため江野川は暗渠化され約3,5㎞にわたる遊歩道が整備された

 道路予定地に沿って大宮小学校 大宮中学校 大阪淀川工科高校など教育施設が並んで 
 いるため環境問題として反対運動が起きた。 話し合いが続けられ 高架橋の高さを嵩上
 げしさらにプラスチック板の遮音壁を造ること及び江野川跡を緑陰道路化する事になる

大宮小学校(創立昭和8年(1933))
大阪淀川工科高校


             大阪淀川工科高校
             創立 昭和12年(1937)
      全日本吹奏楽コンクールで金賞最多
     (NHKで練習をドキュメンタリー放送された)



豊里大橋(右折して前方に豊里大橋の斜張形が見える)
     橋長561m
江戸時代前期から「平田(平太へいた)渡」があった
明治40年には府営になり大正14年には市営になり
昭和35年には発動機船になり1日約3000人と670台の自転車
を運んだ

豊里大橋の完成に伴って長い歴史の幕を閉じた
本橋は万国博覧会の関連事業として昭和45年に完成した





💛10年程前に枚方から天満橋まで淀川沿いをグループでウオークした時 
  鳥海大橋 豊里大橋 長柄橋と見上げながら淀川の大きさとそれぞれ優美な橋の姿を
  楽しんだことを思い出す   (歩数計が23000歩だったかな)

                    千林商店街にて解散12:30 おわり