2015年5月29日金曜日

お遍路  第12回

四国八十八所巡り   (78番~88番・1番)
                                         2015-5-25-26 (40名)

  行程 一日目 枚方市駅 ラポール前(7:30)-高槻(8:10)-明石海峡大橋ー大鳴門橋
             78番郷照寺ー79番天皇寺ー80番国分寺ー81番白峯寺ー82番根香寺ー
             -83番一宮寺ー塩江温泉卿(18:00) 新樺川観光ホテル 泊

    二日目  ホテル(7:30)-84番屋島寺ー85番八栗寺ー86番志度寺ートレスタ白山(昼食) 
           87番長尾寺ー88番大窪寺ー1番霊山寺ー大鳴門橋ー淡路ハイウエイオアシス
           ー明石海峡大橋ー高槻ー枚方着(20:00)


           78番 広徳院 郷照寺       香川県綾歌郡宇多津町

       本 堂

   本 尊  阿弥陀如来
   開 基  行基菩薩
   創 建  神亀2年(725)
   真 言  おん あみりた ていせい からうん 

       四国の正面玄関とでもいえる場所なので 高僧 名僧との
   由縁が深い霊場である
               
    奈良時代に行基が開基、唐から帰国した弘法大師が   
      この地を訪れ阿弥陀如来に霊瑞を観じ真言密教の
      霊地と定め 大師自身の像を彫像して厄除けの誓願を
    されたこの大師像は「厄除けうたづ大師」として
     いまも広く信仰されている
   
       時宗の開祖一遍上人は3ヶ月ほど逗留して「踊り念仏」の
      道場を開くなど 真言・念仏の 2教の法門が伝わることに 
    なり  八十八ヶ所の中で特異な霊場となる                  
               
              

        79番   高照院 天皇寺           香川県坂出市西庄町天皇
                                                                                            
             三輪鳥居                                  
           本 尊  十一面観世音菩薩                                       開 基  弘法大師
        創 建  天平年間(729~749)
       真 言  おんまか きゃろにきゃ そわか 
           
                       
   三輪鳥居
     普通の鳥居の左右に小さい脇鳥居を組み合わせた珍しい
        鳥居で奈良の大神神社など全国で3ヶ所しかない
                                   この横にはm源頼朝寄進の下乗石
                             上段には崇徳天皇社が配置されている
                                                                   
                 本 堂                                   大師堂                                      
                                
                 
                      

   保元の乱で讃岐に流されて崩御された崇徳上皇を都へ奉聞する間 天皇の柩を安置した 
   ことから寺号を天皇寺と改号した。
       明治新政府の神仏分離令により 天皇社は白峯宮となる
   鳥居正面は白峯宮で 右側に本堂と大師堂が並ぶ



    80番 千手院 国分寺     香川県高松市国分寺町国分

   

    本 尊  十一面千手観世音菩薩
  開 基  行基
  創 建  天平13年(741)
  真 言  おん ばさら たらま きりく

行基菩薩は聖武天皇の勅命を受けて
十一面観世音菩薩を刻み本尊とした
弘仁年間(810~823)に弘法師が
霊場 に定めたが「天正の兵火」で焼失 
藩主・生駒氏や松平氏により再興された

            
                                                大師堂
     福松                                                                                                                      
    境内は見事な枝ぶりの松の樹が数本並び立ち「福松」と言われている樹を見上げると
    ちょうど宿り木のように鳥の巣のようにこんもりと葉が生い茂っていた(不思議?)

    81番 洞林院 白峯寺           香川県坂出市青海町      

    本 尊  千住観世音菩薩
    開 基  弘法大師 智証大師
    創 建  弘仁6年(815)
    真 言  おん ばざら たらま きりく 

   智証大師(弘法大師の妹の子)創建されたと言われている
    
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」
保元の乱で讃岐へ流された崇徳上皇の句で寂しく亡くなられる 後に都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る
 法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納し これが現在の
白峰寺になったとされる

                         崇徳天皇陵墓
                       










   82番  千手院 根来寺       香川県高松市中山町
  

            本  堂                                        本 尊   千手観世音菩薩                
 開 基  弘法大師 智証大師
創 建  弘仁年間(810~824)
真 言 おん ばさらたらま きりく そわか 

弘法大師は金剛界曼荼羅の五智如来を感じ   蜜教修行の地として「花蔵院」を建立された
智証大師が訪れ千手観世音像を彫像し
「千手院」を建て安置した 
「花蔵院」「千手院」を総称して根来寺と名づく



    はっこう欅     
   樹齢1600年とも言われるケヤキの老木  名の由来は
   智証大師が寺院創建の折にこの樹を伝って下りてきた
   白い猿が大師を手助けしたと言われる伝説に由来する
   






  牛鬼伝説
    江戸時代初期に この地に牛鬼がいて危害を加えて
    いた 
    弓の名手であった山田蔵人高清は3本の弓で退治した
    高清は牛鬼の角を切り取り根来寺に奉納し菩提を
    弔ったと伝えられている





    
   83番 大宝院 一宮寺      香川県高松市一宮町

       本 堂

   本 尊  聖観世音菩薩
   開 基  義淵僧正
   創 建  大宝年間(701~704)
   真 言  おん あろりきゃ そわか 

   創建当初は大宝寺という法相宗の寺であったが 諸国に
   一宮が建てられた時 行基菩薩に寄って堂宇が修築され
   一宮寺と改名 後に弘法大師空海が留まり
   聖観世音菩薩を刻んで本尊とし真言宗に改められた




     仁王門


   薬師如来が祀られる小さな祠がある
   「地獄の釜」と呼ばれ祠に頭を入れると境地が開けるという
   言い伝えがあり 悪い事をしていると頭が抜けなくなる
   昔 意地の悪いおタネばあさんは「そんなことはない試そう」
   と頭を入れると扉がしまりゴーと地獄の釜の音が聞え
      
   頭は抜けなくなった 怖くなったおタネさんは 今までの
    悪事を謝りました、すると頭はすっと抜けました
   それからおタネさんは心を入れ替え親切になったそうな
                                                                                         



  新樺川 観光ホテル
   
   夕食後ホテルのサービスで専用のバスに乗って「香東川」            へ ホタル観賞に出かける
   真ッ暗闇の川辺に点々と光るホタルの乱舞に感歎の叫び
   川の流れは見えないが木々の間を飛び交う小さな光に
    誰も飽きることなく指さして嬉しさいっぱいになった


二日目 ホテル出発7:30

   84番   千光院 屋島寺     香川県高松市島東町

    本堂(重要文化財)

                       
   本 尊  十一面千手観世音菩薩
   開 基  鑑真和上
   創 建  天王勝宝年間(749~756)
   真 言  おん ばさらたらま きりく

  鑑真和上は天平勝宝5年(753)苦難のすえ鹿児島に
  漂着した、翌年東大寺に船で向かう途次 屋島の沖で
  山頂から立ちのぼる瑞光を感得され屋島の北嶺に登った
  そこに堂を建て 普賢菩薩像と経典を納め創建された

 弘仁6年(815)弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて北嶺にあった伽藍を現在の南嶺に移し
 十一面観世音菩薩を彫像し本尊として安置した 寺運は戦乱によって衰退するが 歴代藩主
 の援助で修復され 鎌倉 江戸時代の風格を現代に伝えている


御申狸(おんもうしだぬき)
   本堂横の大狸は本尊千手観世音の御申狸として善行を つむため四国狸の大将とし    
   あがめられている
   屋島に異変があるとき事前に住職に知らせたという

   85番  五剣山 観自在院 八栗寺          香川県 高松市牟礼町牟礼
                                   

  本 尊  聖観世音菩薩
  開 基  弘法大師
  創 建  天長6年(829)
  真 言  おん あろりきゃ そわか


 八栗寺は5剣山(標高375m)の8合目に
  あり 全員が揃ってケーブルで上る

向かって右が本堂で左側に大師堂が建つ
 





弘法大師がこの山で求聞持法を修した時5っの剣が天降り 蔵王権現が守護の神託を告げた
大師はその5剣を山に埋め山の守りとし 5剣山と名付けたという

また大師は唐に渡る前 成果を占って8っの焼き栗を埋めた 帰国後焼き栗は8っとも無事に
成長していた これが八栗寺の由来である

  86番  補陀洛山 志度寺           香川県さぬき市志度
  

       本 堂                
                            本 尊   十一面観世音菩薩
    開 基   藤原不比等  
   創 建   推古33年(625)
   真 言   おん まか きゃろにきゃ そわか 


   藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し
   「志度道場」と名づけられ、その息子房前の時代
   持統天皇、行基とともに堂宇を拡張し学問の道場として
   栄えた 能楽の「海士」の舞台としても語り継がれている







仁王門は国指定の重要文化財で
     三間一戸八脚門 本瓦葺
     仁王像は鎌倉時代の運慶の作で
     桧材の寄木つくり阿形は304cm
     吽形は325cm豪快に踏ん張っている






     五重塔 
        高さ33m 五層総檜造り 朱の色も鮮やか            
        志度寺33代住職十河龍澄和尚に少年時代から
        励まされて世に出た東大阪市の竹野二郎氏が報恩と
        仏法興隆のため私財3億余を寄進し、3年3ヶ月の歳月を
        かけて昭和50年5月18日落慶したものである


        四国八十八所に5重塔があるのは5ヶ寺である



   87番  観音院 長尾寺            香川県さぬき市長尾西

       本 堂

  本 尊  聖観世音菩薩
  開 基  行基菩薩
  創 建  天平11年(739)
  真 言  おん あろりきゃ そわか 


  天平11年(739)行基が当地で霊感を得て聖観世音菩薩を
  刻み堂宇に安置した
  空海が渡唐前 当地に滞在し年頭7日目の夜に護摩府を
                  丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり
  毎年1月7日の「福奪い」として今に伝わっている
  


  静御前が源義経と別れた後 母の磯禅師と共に当寺を
  訪れ得度したとの言い伝えもあり 静御前の位牌が
  左脇陣にある





   88番  遍照光院 大窪寺     香川県 さぬき市多和兼割


        本 堂                本 尊   薬師如来
   開 基   行基
   創 建   養老元年(717)
   真 言   おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

  八十八ヶ所参りの結願の寺で 行基にはじまり 弘法大師  
 が奥の院の岩窟で修行し 中国の恵果阿闍梨から授かった
 錫杖を納めて 山の窪地に寺を建てたことから寺の名前が
 ついた
   
 古くから女性の参拝を許していたので「女人高野」とも言う
   
 
                             
  希望者だけに結願の立派な証書が渡された
 







   1番 一乗院 霊山寺           徳島県 鳴門市大麻町板東塚鼻

 
            本 堂
 本 尊  釈迦如来
 開 基  行基菩薩
 創 建  天平年間(729~748)
 真 言  のうまく さんまんだ
       ぼだなん はく         
        
 
                大師堂














         一番さんといわれ 一年中白装束のお遍路さんで賑わっている
         改めて本堂に上がり ご住職の法話を聞く 感慨深く拝聴する  合掌


2015年5月23日土曜日

葦の会 ウオーキング

清水寺から将軍塚へ
                                       2015-5-13      27名

  コース  京阪電鉄「清水五条駅」9:30~五条坂~清水山~将軍塚東山公園―青蓮院-    
        青蓮院大舞台ー円山公園

  前夜来の台風状況が気にかかったが からりと晴れて爽やかなハイキング日和になった
  京阪五条駅から 五条通りを観光客の流れと一緒に東へ進み 東山五条から 西大谷本廟     
  の墓地横の清水坂のゆるやかな坂道を歩く
  
                             西大谷本廟の墓地郡












     忠僕茶屋                                   舌切茶屋                                       












    150年前の幕末に 安政の大獄で非業の死を遂げた清水寺参内の成就院住職の
    兄弟月照上人 新海上人に仕えた近藤正慎、大槻重助の子孫の茶屋

  忠僕茶屋(大槻重助)
     月照上人の九州下向に付き添い 上人の入水後その遺品を京都に持ち帰った後
     捕えられ六角牢獄いれられ 後に江戸牢獄に送られ新海上人に巡りあい 後に
     解放されて清水寺に戻り茶屋を営み乍ら 月照、新海上人のお墓を」守り続けた
  舌切茶屋(近藤正慎)
     月照上人の友で上人が西郷隆盛と共に九州へ下向した後 捕らわれて六角牢獄
     で上人の行方を問われて拷問を受けながらも 白状することなく 舌を噛み切り
     牢獄の壁に頭を打ち付け壮絶な最後を遂げ 月照上人を守りぬいた
     清水寺はその妻子が境内で茶屋を営業することを認めた
                (近藤正慎は 俳優の近藤正臣のひいお祖父さんに当たる)


阿弖流為 母禮 の碑
  平安初期の蝦夷の族長で 北上川流域を支配していた
  789年征東大将軍 紀古佐美軍を破る
  802年征夷大将軍 坂上田村麻呂に降る

  田村麻呂の助命にもかかわらず 河内杜山で斬殺された
  田村麻呂が創建したと伝えられる清水寺境内に
  平安遷都1200年を記念して平成6年(1994)に顕彰碑建立

( 枚方市牧野公園内の首塚にも平成17年(2007)に「阿弖流為 母禮」の 石碑建立している)

      音羽の滝                                     子安塔













    音羽の滝
             鴨川の地下伏流水が東山断層の割れ目から噴出し音羽山の雨水が加わり
        瀧に流れ落ちている  一口だけ口にするのが正しいいただき方で 二口飲むと
        ご利益が2分の1になるそうな
  
    子安の塔
        聖武天皇 光明皇后が千手観音に祈願され 孝謙天皇を安産されたので
        その報恩の為に建てたという
        平成25年に修復が完了し鮮やかな朱塗りの塔が空中にくっきりと聳えている

    清水寺の舞台
                                           

     
          チョット モデルになってネ!












                      清閑寺  

  創建は802年でこ清水寺と並ぶ大寺院だったが応仁の乱
  で焼失し 本堂と菅原道真が梅樹から彫像したいう
  十一面観音像が現存している
     
  
  宮中一の美女といわれ高倉天皇の寵愛を受けた小督局
  は清盛の娘であった為 清盛の怒りを買って宮中から
  追い出されたあと この寺で出家させられた


                       高倉天皇陵
       天皇は自分」が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言
   を残し21才の若さでこの世を去った

   高倉天皇陵の傍らに天皇の死後生涯にわたって菩提を
   弔った局の墓がある


   郭公亭跡
    安政5年(1858)清水寺成就院の月照上人が西郷隆盛と
    密かに会合して 都落ちの計画をたてた有名な茶室跡

   他にも話題
   
  ・明治の画家「黒田清輝」絵のインスピレーションを得た場所
  ・与謝野礼厳(鉄寛の父)和歌
      「年を経て 世に捨てられし 身の幸は
                      人なき山の花を見るかな」


  歌の中山清閑寺・・・・・・・清水寺から清閑寺までの山道で紅葉 桜が美しい 
            (歌の中山清閑寺とワンパックになった言い回しが古くから使われている)
    
    昔 清閑寺の真燕僧都(しんえんそうず)という人が ある夕ぐれ門外にたたずみ
    行きかう人を なんとなく見ていると、一人の美しい女性が通りかかるのが目にとまった
    平素は禁欲の身であるが ふと異性に対する愛情が起こった

    呼びかけるすべもないので 思いつくままに「清水寺への道は何れぞ」と尋ねると
    女は「見るにだに 迷う心のはかなくて 誠の道をいかで知るべき」と言って姿を消した
    その女は化人の類であるか  或いはこの寺のご本尊十一面千手観音菩薩の化身とも
    いわれるが いずれにしても歌の戒めに因んで「歌の中山」と呼ばれている

 清水山山頂 三角点 242.5m                         東山公園で昼食タイム
                                   

 






                                                  
                
                                                                                  小学生の団体が賑やかにお弁当を食べていた

青蓮院 別名「粟田御所                                               
      創建 1150年   開基 行玄  本尊 織盛光如来(天台宗に伝わる密教の本尊)
      天台宗比叡山延暦寺の五ヶ室門跡の一つとして 皇室と関わりが深く高い格式を
      誇ってきた

        青蓮院門                                      青竜殿
















   国宝  青不動明王

       密教において宇宙のすべてを司る大日如来の
       化身が不動明王である
       右手には魔を退散させ人々の煩悩を断ち切る
       剣を持ち 
       左手には悪を縛り上げる羂索(けんさく)を持つ


       
       日本三大不動明王像

              青蓮院   青不動
              三井寺   黄不動
              高野山   赤不動
                










     将 軍 塚

             794年に桓武天皇は都の鎮護のために、2,5m将軍像を土で作り 鎧兜を着せ
     鉄の弓矢 太刀を附けて塚に埋めた
     国家の大事があると将軍塚が鳴動したと伝えられている


青蓮院大舞台から京の街を眺める                青蓮院大舞台全景                    












    ガラスの茶室





 
 2014年10月4日建立 標高200m 
 清水寺の舞台の約5倍で1046㎡
 眺望の広さにびっくりしながら 御所 大文字焼きの(法 妙
  舟形 左大文字 鳥居形) 双ヶ丘等と確認して嬉しい
 
                     ガラスの茶室には驚いたが 強い日差しにさらされている       
                     ガラスのベンチに座ると暑さがなく不思議だった











知恩院の鐘 昔年大晦日に 祇園八坂神社におけら詣りの後
火縄を回しながら この鐘つきのための長い行列に並び
重々しい鐘の響きが続いていた事を思い出す


青蓮院から知恩院を通りぬけ 観光客で賑わっている
円山公園を通り抜けて解散になる

                               お疲れ様でした    楽しかったよ!!