2018年12月26日水曜日

吉例顔見世興行


 当る亥歳  吉例顔見世興行  東西合同歌舞伎
 
   南座発祥四百年 南座新会場記念  

まねき
                           桧の板に勘亭流の文字で役者の名前が書かれている

新装なった客席
緞帳も新しく











       緞帳  「赤地草花連紋」
    日本画家上村淳之氏監修のもと 有職文様である「立湧文様」で杜若の花
    格調高い菊、可憐な小花、蔦、鴨川の飛沫など、自然豊かな京のイメージ
    を取りいれられ華やかである

    製作 株式会社川島織物セルコン 寄贈 聖護院八ッ橋総本店

  菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋

魁春 芝翫 孝太郎     愛之助 扇雀
魁春    愛之助







       
 舞台となるのは貴船神社の奥の院の山道の芹生峠を
 越えてようやくたどり着く山奥の集落







    平安時代に藤原時平の讒言(ざんげん)で菅原道真が  
    大宰府に流罪になった事件を軸に
    道真の恩を受けた白太夫と松王丸の運命を描いた物語

    菅氶相の家臣武部源蔵(愛之助)は 菅氶相の子の菅秀才を匿っている
    時平の家臣春藤玄蕃から菅秀才の首を打つように命じられる

    最前 寺小屋入りして来た山家育ちの童と 異なる小太郎を身替りにする
    松王丸は本心を隠して憎々しい敵役を演じ「菅秀才の首に相違ない」

    我が子を犠牲にした松王丸の救われようのない苦悩と悲哀が泣き笑いから
    号泣になり 白装束に身を改め 小太郎の野辺送りをする

 鳥辺山心中 (とりべやましんじゅう)
 
     魁春 左団次    梅玉 孝太郎
 
岡本綺堂が大正4年に書いた新歌舞伎の名作  



  江戸から京に上った菊池半九郎はまだ初心な遊女お染と愛し合う中 ふとした
  言い合いから親友の弟を殺してしまう。                    
  切腹しようとする半九郎はお染の純愛な想いにほだされ 二人で死出の道行に出る

孝太郎  梅玉

     半九郎とお染が死装束と決めた晴れ着に着替えて四条河原に姿を現し
     鳥辺山へと向かって行く(背景が淋しくも優雅で鳥辺山の奥深さを感じる)


なだ万

         幕の内弁当を食べるのも楽しみ








  じいさんばあさん    森 鴎外 原作

時蔵 仁左衛門    孝太郎 愛之助

時蔵  仁左衛門

    評判のおしどり夫婦がちょっとした事件で夫婦が離れ離れになっていたが
    37年振りに逢い合うことになるが お互いが分からずに挨拶する姿が笑いを誘う
    「生まれ変わって新しい暮らしをしよう」と寄り添う二人

  恋飛脚大和往来 (こいのたよりやまとおうらい)         


扇雀 藤十郎
宝永7年(1710)に起こった実際の事件をモデルに
近松門左衛門が書いた「冥途の飛脚」をもとに作られた

大坂の飛脚屋の亀屋忠兵衞と遊女梅川との悲しい恋の物語
忠兵衞は遊女梅川の身請け話に故意でないとはいえ 公金の
封を切ってしまい 死を覚悟する

雪がしんしんと降る中を大和国新口村にたどりつく





     鴈次郎       藤十郎 扇雀   
    

   雪に足を取られながら孫右衞門(父)がやってくる 大罪を犯したとはいえ
   我が子は可愛い、その心情を吐露して涙にくれる孫右衛門は 寺へ寄進する
   金子を取り出し 路銀にするように梅川に手渡す 
  
   折りしも捕手の太鼓の音が響く 降りしきる雪の中二人が去って行くのを
   涙ながら名残惜しそうにいつまでも佇む  
   舞台はさんさんと止めどなく雪が降る 奥深い山里の寂しさに心がつまる

  ( 忠兵衞は捕えられ処刑 梅川は尼になったと伝えれている(宝永7年))




       

2018年12月13日木曜日

大覚寺



  「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経」 特別公開            
 
                                  2018―11-26


大覚寺門前
嵯峨野の紅葉がしはじめる













 旧嵯峨御所大覚寺門跡は弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山
  
 嵯峨天皇宸翰勅封般若心経が60年に一度のご開封され、多勢の拝観者が入ってゆく


正寝殿

桃山時代様式の書院造り
障壁画は狩野山楽や渡辺始興筆

上段の間は後宇多天皇が院政を    執った部屋


村雨の廊下



諸堂を結ぶこの廊下は 縦の柱を雨、直角に折れ曲がって
いる廻廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれる

天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、
床は鶯張りとなっている



浄めの煉り香を手に頂く
勅封心経殿










ご開封由来





嵯峨天皇般若心経





 1200年前の平安時代、都で大飢饉による疫病が流行り嵯峨天皇が弘法大師の勧めで
 写経され 勅封(封印)として奉安 国民の安泰を心から願われた

 その年が818年戊戌(ぼじゅつ)(つちのえいぬ)の年で 以来60年に一度その写経 (勅封心経)を開封して天下泰平をお祈りするのが伝統儀式「戊戌封法会」である
 金を削って蜂蜜で溶き 一文字一文字書かれたと伝わる

 とても繊細で美しいものだった  (胸のつまる思いがする)
嵯峨菊











嵯峨菊展示

嵯峨菊
















   嵯峨菊は大沢池の菊ヶ島に自生していた野菊.
   嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を永年にわたり
   王朝の感覚を持って育成した

   この仕立ては一鉢に三本仕立てとし 長さ二メートルに育成する(殿上から鑑賞
   されるために高く育てる)
   花は下部に七輪 中部に五輪 先端に三輪で「七五三」とし 花弁は糸状で
     
   五十弁~八十弁程 長さ十㎝の茶筅状が理想とされる

いけばな嵯峨御流

いけばな嵯峨御流













宸殿の牡丹図  狩野山楽
           大胆な構図は絢爛豪華な桃山文化を伝えている

    狩野山楽は 狩野永徳の一番弟子で 狩野探幽らが江戸に移って活動したが
    山楽は京都に留まったことから「京狩野」と称される


大沢池

      平安前期の様式を伝える日本最古の人工池で周囲1Kある
      中国の洞庭湖になぞらえて 「庭湖」ともいう

      昔年友人と観月の舟に乗って満月を楽しんだ事のいろいろを思い出す
                                  (おわり)

2018年12月2日日曜日

河川レンジャー

  三川合流と京街道
                           2018-11-18  4名
 行程
   京阪八幡市駅(9:00)-木津川御幸橋ーさくらであい館ーきつねの渡しー
   ―旧御幸橋ー山崎橋跡―柳谷の渡しー淀川・桂川合流点ー京阪橋本駅(12:30)
  
河川レンジャー

   淀川管内河川レンジャーとは 住民等と行政が一緒に
   なって淀川を守り 育てるために誕生した
  
   淀川・宇治川・桂川・木津川をフィールドとして
   防災、環境保全、歴史文化、川づくり、河川管理
   支援などの川に関する様々な活動を行っている




大谷川
大谷川
    淀川水系一級河川  流入先 淀川
    起点   京田辺市松井の手水谷、口火谷、
    京田辺市を北流し石清水八幡宮の男山を抱くように
    曲流する
    樟葉で淀川左岸に注ぐ  

    別名 放生川
    





木津川にかかる鉄橋を京阪電車が走ってる

木津川












さくらであい館展望台
さくらであい館入口















   木津川御幸橋を渡る、左は背割りのさくら堤が伸びている           
   右に「さくらであい館」  

背割りさくらの堤
三川合流
展望台から三川合流を眺める






三川合流







       
       













御幸橋を戻って八幡へ



  とにもかくにも 参加者は4名なので気楽に雑談
  しながら歩く





       木津川沿いの土手下道を歩く
山崎橋跡



石積み上の倉・町屋











  山崎橋跡
  奈良時代に僧行基が「山崎橋」という橋を架けたが度々の洪水で被害が多く
  16世紀頃亡くなった


石清水八幡宮道標


石清水八幡宮登り口












柳谷渡し跡
柳谷の渡し跡
  
   西国街道の水瀬への渡し場(柳谷観音)
   谷崎潤一郎の「蘆刈」のイントロに出てくる

   古代から 山崎の渡し、きつねの渡し、広瀬の渡し
   3ヶ所あった 最後に残ったのがこの渡し



   きつねの渡し
   七変化のきつねのように 川の流れがくるくると
   変ることから言われている








窓は遊郭時代のまま
橋本遊郭跡

欄間の高級な彫








歌舞伎座跡




 橋本の地は京と大阪を結ぶ京街道の道中に位置する
 対岸の山崎への渡し場があったため交通の要衝として
 賑わったのである
 映画「鬼龍院花子の生涯」ロケ地として使われている
 
 妓楼75軒 娼妓470人 芸者30名





小金川樋門

 小金川樋門
    淀川から小金川への逆流防止のための樋門
    
    小金川が枚方市と八幡市の市境となっている




橋本樋門


     橋本樋門
     江戸時代、木津川や大谷川の堤防決壊で
     八幡地域内の水害が毎年のように起きた
     延享4年(1747)橋本尻江が樋門を築造
     明治2年(1869)木津川の付け替えに依って
     樋門が橋本に移された

     


   かれこれ80年ほど昔のことになるが三川合流あたりで帆かけ船がゆったりと
   浮かんでいたことを思い出す
   又桂川の色はどす黒かった(京都市内で染色の反物を川で洗っていたから)
   木津川は砂地で澄んでいて夏休みに度々水泳に連れてきてもらった事を思い出す
         宇治川は流れが速くて深くて危なかった
                         京阪橋本駅で解散  12:30