2015年6月29日月曜日

お遍路 第9回

四国八十八ヶ所巡り (52番~59番)
                         2015-6-9~10     43名
 
  行程 一日目
      枚方市(7:30)ー高槻(8:10)ー明石海峡大橋・大鳴門橋ーレストパークりんりん(昼食)
      (53番)円明寺ー(52番)太山寺ー(54番)延命寺ー今治国際ホテル(泊)
      二日目
       ホテル(7:45)-(55番)南光坊ー(56番)泰山寺ー(57番)榮福寺ー(58番)仙遊寺
       (59番)国分寺ーりんりんパーク(昼食)ー吉野川ハイウエイオアシス
       大鳴門橋ー淡路ハイウエイオアシスー明石海峡大橋ー枚方(19:00)
 一日目 
   
    第53番 円明寺         愛媛県 松山市和気町     
  
      大師堂
      
  本 尊  阿弥陀如来(伝行基菩薩作)
  開 基  行基菩薩
  創 建  天平勝宝元年(749)
  真 言  おん あみりた ていせい からうん 
   
  聖武天皇の勅願により行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と
  観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫像して安置し、七堂伽藍を
  備えた大寺として建立したのが創建とされている 

  


 聖母マリア
 境内には聖母マリア像の石造があり 江戸時代のキリシタン
 ご禁制時につくられたもので キリシタンが密かにお参りし  
 てたとのこと

 銅版納札
 大正13年に八十八ヶ所を巡拝したアメリカのスタール博士が
 本尊厨子に打ち付けてあった銅版納札が貴重なものである  
 ことを発見。 銅版は遍路最古の納札で「慶安3年(1650)
 京都の樋口家次が四国遍路をして納めたと記されている


     第52番  護持院 太山寺      愛媛県 松山市太山寺町
 

           本 堂                   本 尊   十一面観世音菩薩
                              開 基   真野長者
    創 建   6世紀後半
    真 言   おん まか きゃろのきゃ そわか 







                           大 師 堂
 用明天皇の二年、豊後の国の真野という長者が高浜沖で
 難破しようとしたが、信仰していた十一面観世音に救われる
 お礼に一夜にして寺を建立された

 聖武天皇をはじめとする歴代天皇が十一面観世音象を奉納
 されている
  
 本堂は国宝である
 

  第54番 宝鐘院 延命寺          愛媛県今治市阿方甲

         本 堂                本 尊  不動明王(伝行基菩薩
                             開 基  行基菩薩
    創 建  養老4年(720)
    真 言  のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ   
          まかろしやだ そわたや うん たらた  
                              かんまん
    
     聖武天皇の勅願により 行基菩基が大日如来の
     化身とされる不動明王像を彫像して本尊とし、伽藍を
     建立して開創した
                 
     弘法大師が嵯峨天皇の勅命をうけ伽藍を信仰と学問の
     中心の道場として再興     


   

          大 師 堂


     梵鐘のはなし

   宝永元年(1704)の梵鐘は住職の私財で鋳造したもので
   それ以前の梵鐘は戦乱の合図の鐘に使われ夜になると
   叩かないのに「いぬる いぬる」と鳴くので恐れられた

  また、松山城へ持ち出されそうになって「イヤーン イヤーン」
  と鳴くので置き去りにされたという
   


   今治 国際ホテル  泊
             
     3人一室の相部屋で自己紹介し合う
    
   Aさん 遍路歴4回のベテラン

   Bさん 文筆家で同人誌「法螺」に在籍
       グランドゴルフクラブで大活躍中


 二日目
   第55番 金剛院 南光坊         愛媛県今治市別宮町    

      本 堂                  本 尊  大通知勝如来
                             開 基  行基菩薩
   創 建  大宝3年(703)
   真 言  なむ だいつうちしょう ぶつ
   

  文武天皇の勅願を受けた越智玉純は大宝三年(703)
  大三島に大山祇神社を建立した
  しかし 参拝には海を渡る必要があったため和同五年に
  八つの坊を四国本土に移動する
  

 弘法大師は四国巡錫のとき 坊で法楽をあげて霊地とした 



   太平洋戦争の昭和20年8月に空襲で大師堂 金毘羅堂
 以外罹災して焼失した 

 本堂は昭和56年秋 薬師堂は平成3年 山門は平成10年
 に再建    
                                                                                                                         
                                                                       56番 勅王院 泰山時      
                          愛媛県 今治市小泉
                       
    
     本 堂                       本 尊  地蔵菩薩(伝弘法大師)  
      開 基  弘法大師                 
      創 建  弘仁6年(815)
      真 言  おん かかかび さんまえい そわか  
                     
                       
                    
    泰山寺がある一帯は 梅雨の時期になると 蒼社川が
    氾濫し 田畑や家屋 さらに多くの人命を奪った
             
    村人たちは蒼社川のことを「人取川」と恐れて」いた

     大師堂
   弘仁6年 弘法大師はその氾濫ぶりを見て 村人達を
   指導して 土手を築き 河原に堰を築き「土砂加持」の
   秘法を行ったところ 満願の日に延命地蔵を感得した

    大師はその尊像を刻み 伽藍を建立した







       第57番  無量寿院 榮福寺         愛媛県今治市玉川町八幡甲  

       本 堂            
               本 尊  阿弥陀如来
         開 基  弘法大師
         創 建  弘仁年間(810~824)
          真 言  おん あみりた ていせいからうん 

  嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が弘仁年間(810~824)
  に海難防止を祈願して開基した
  
  行教上人が山頂に神仏習合の石清水八幡宮を創建した
  明治初年に神仏分離令によって現在地に移された
    奉納された箱車       
                      
             
  昭和8年のこと 足の不自由な宮本武正さん(15才)が   
  犬に曳かせてイザリ車で巡礼をしていたが 犬が急に
  走りだし 箱がひっくりかえって 宮本さんは地面に
  ほりだされたが あら不思議 歩くこと出来た事で
  感謝のあまり 松葉杖と箱車を奉納した



         榮福寺住職 の著書        白川蜜成住職は24歳(2001年)の時
                                                   先代住職(祖父)の遷化をうけて住職に就任                            
             
2010年 著作「ボクは坊さん」出版
 発売3ヶ月あまりで6刷を数える

 映画が2015年10月に全国」ロードショウ









    本は読み易く親しみを感じる


          住職蜜成の父親  化学の高校教師でありながらマラソンで激走
                       「サロマ湖100㌔マラソン」「ギリシャスパルタすロン」
                       「萩往還250キロマラソン」では2年連続優勝
              クールな観点と力強い判断力で住職を公私ともに支えている 

   第58番 千光院 仙遊寺         愛媛県今治市玉川町別所甲

       本 堂              

      本 尊  千手観世音菩薩
      開 基   越智守興
      創 建   七世紀後半
      真 言   おん ばざらたらま きりく 



    天智天皇の勅願によって 伊予の太守越智守興が堂宇
    を建立した
   
                                                               本堂の千手観世音菩薩は海から上がってきた 竜女が
      大 師 堂                        一刀三礼して彫ったという言い伝えがある

    また 40年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧
    が本寺に暮らしていたが養老2年(718)に突然に姿を
    消してしまったことが 寺名の由来になっている


    弘法大師が逗留して修法を行った折には 伽藍を復興し
    井戸を掘ったとされる

    江戸時代に荒廃してしまったが 明治初期に
    宥連上人が再興した


  59番 千手院 国分寺       香川県 高松市国分寺町

        本 堂
      本 尊  十一面千手観世音菩薩  
      開 基  行基菩薩
      創 建  天平13年(741)
      真 言  おん ばさら たらま きりく


      聖武天皇の勅願で各地に置かれた国分寺の1つ
      行基菩薩が十一面千手観世音菩薩を刻み本尊と
      とした

     大 師 堂                       3代目の住職のとき 弘法大師が訪れて
                                    五大明王の絵を描いて安置し霊場と定めた

     七堂伽藍の大きな寺だったが 藤原純友の乱など

     4度の戦乱にあって そのたびに焼失
      
    現在の本堂は43代目の恵光上人が寛政元年(1789)
    に建立した
   





   握手修行大師  願いをこ込めて握手すると その願いが叶うとか
               傍らには「願い事は一つにして下さい あれもこれもはいけません
               お大師様も忙しいですから」とユーモラスな看板が立っている


 りんりんパーク(昼食)=吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=淡路ハイウエイオアシス
 =明石海峡大橋=枚方(18:00)=高槻 (観光バス走行距離 往復900㌔)


    

2015年6月17日水曜日

東海道五十三次街道ウオーク 第1回


 三条大橋~山科 
                                            2015-5-31   80名


    行程  京都三条大橋(11:00集合)ー粟田神社ー蹴上ー日の岡峠ー山科追分


   旅行社の 「ウオーク初心者でも安心して参加出来ます」
 というキャッチコピーにつられて参加することにした
 
 三条大橋の川原に総勢80人集まり 2班に分かれる
 お弁当が配られ 早目のお昼ご飯を思い思いに川原で
 ずらりと並んで食べる                   
 食後 全員集まって講師 梶本晃司先生の            
 「東海道五十三次街道」を 面白おかしく気楽に拝聴する

  
スタート 12:20
    三条通りをぞろぞろ歩き始める
白川橋の道標
    京都現存最古の道標で 碑文は

      「北」三条通白川橋
      「東」是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち
      「南」 延宝六戌午三月吉日
           京都為無案内旅人立之 施主 為二世安楽




粟田神社
 社殿の前の広場で       
 各自に持たされていたイヤホンを耳に嵌めて
 梶本先生の解説を聞くが 器具の調整が下手で聞きづらい
        (まあ 見慣れ 聞きなれた地でもあるし ええかいな)
 
 粟田神社は京の七口の一つで 東海道に通じる粟田口に   
 鎮座し旅立ちの 守護神として崇敬されている
 平安初期 貞観18年(876)創建の古社



 因みに京の七口とは京につながる街道の出入り口のことで
        鞍馬口 大原口 荒神口 粟田口 伏見口 竹田口 東寺口  丹波口 長板口
                                                    
                                                 琵琶湖疏水記念館
         
  琵琶湖疏水                     
 京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢であった    
 琵琶湖疎水は着工から5年後の明治23年(1890)に完成した
 

    疎水の急流
   





蹴上浄水場
明治45年(1912)に完成した急速濾過式の浄水場で疎水の水を
上水に清浄し一般家庭や工場に配水する京都市営の五浄水場
の一つ

蹴上の地名の由来
            ・ 義経が奥州に向かう途中この地で別れをおしんでいたとき 平家武者の
              従者の馬が水溜りの泥水を蹴りあげ 運悪く義経の衣を汚してしまった
              腹を立てた義経は 従者9名を斬り殺し 平家の武者 関原与市の耳と鼻を
              削いで追い払った
 
            ・ 罪人を蹴り上げて九条山の刑場に連れていったことから蹴上という説もある

 日の岡峠  車石                       梶本晃司講師の面白おかしい解説を聞く













           

日の岡峠は京から江戸に向かう旅人にとっては 最初の難所だった(車石のモニュメントがある)
牛 馬車が通行するには難渋したようで 車石が敷かれ その上を荷車を曳き 通ったそうな

  亀の水不動尊(10年前)                           亀の水不動尊(現在)













江戸から2週間程かけてようやく京に上って来た旅人の最後の水飲み場であった。
木食正禅上人が元文三年(1738)旅人の休養所として 庵を結び旅人や牛馬に水を提供した

10年前に訪れた時は石造りの亀の口から水がちょろちょろとながれていたのに 祠辺りは雑草が
生い茂り面影が全くない 水が枯れてしまったのだろうか 何も説明もなく無視して通り過ごす



五条分かれの分岐点の道標

      宝永4年(1707)建立
      
   {北} 右ハ三条通
   {東} ひがし 六条大佛  にし 左ハ五条橋 道 いまぐまきよ水
   {南} 丁 宝永四年十一月吉日 亥、   
   {西} 願主 沢村道範





 
               山科地蔵徳林庵                                                                                                    日通公社のマークの元

     山科入り口にある山科地蔵徳林庵は後白河天皇の勅命により保元2年(1175)
     京洛出入口の主要街道六ヶ所に安置された地蔵の一つで
     地蔵尊は 平安時代 小野篁(たかむら)の作と伝えられている


    旧京津線 山科駅跡を経て追分に到着 本日のコース終了 (約7km)
                    
    和菓子の「井筒八ッ橋」店前で解散 (17:30)
    店内は広くてお茶サービスと種々のお菓子の試食の呼び声で賑やか ゆっくり休憩し    
    お土産を買って一段落した頃 バス乗車組と東西線「追分駅」から乗車組とに分かれ    
    帰路に着く   お疲れさまでした。