2017年9月13日水曜日

西国33所巡礼 第3回

  第5番~第8番              2017ー8-29  44名

                           
 西国第五番 紫雲山葛井寺(ふじいでら観音)    藤井寺市藤井寺


本堂


門前の葛餅屋さんは愛想がいい


 西国第五番番 紫雲山葛井寺(ふじいでら観音)
西国第5

    宗 派   真言宗御室派
    ご本尊   十一面千手千眼観世音菩薩 国宝
    開 基   聖武天皇

    古代氏族葛井氏の氏寺として7世紀後半白鳳時代に建立された
  
  在原業平が奥の院の諸堂を建てしばらく住んでいたそうです
  阿保(あぼ)に住む一人の女性(にょしょう)に恋焦がれて通いつめ百回目に自分の
  気持ちを打ち明けようと決心していた業平が99回目のこと女性の屋形の台所の窓から
  そおーっと中の様子をのぞいてみると・・・・・・
  ご飯をお櫃に移した後のおしやもじを舌を出してなめている最中・・・・
  業平の驚きようは並みのものでなく「百年の恋も一遍にさめ」二度と逢おうと   
  しなかった。 里の人に話が伝わり 台所には窓を作らなくなったそうです

 番 外  法起院(ほっきいん)          奈良県桜井市初瀬

本堂(開山堂)

山門











   宗 派  真言宗豊山派
   本 尊  徳道上人         
   創 建  伝天平7年(735)

   西国33所を創始したと伝えられる徳道上人が此の地で隠棲したと伝えられる
   晩年境内の松の木に登り 法起菩薩となって遷化したといわれる
仏足石

  
徳道上人御廟十三重石









    
            

  養老2年(718)徳道上人が病に倒れ冥途に行ったが 閻魔大王から「あなたは   
  死んではいけない。世に三十三の観音霊場があり 人々に知らせて広めよ」と
  宝印を授けられてこの世に戻された。
  上人は人々に霊験を説いて廻ったが信じてもらえなかった。
  
  落胆した上人はこの宝印を中山寺に埋めてしまった。270年後に花山法皇によって
  堀出されるまで眠り続けた (徳道上人にまつわる伝説)
  当寺は元禄8年(1695)長谷寺の英岳僧正によって再建され現在に至っている
     
    上人御詠歌
       極楽はよそにはあらじわがこころ おなじ蓮のへだてやはある

  第八番  豊山 長谷寺          奈良県桜井市初瀬


仁王門

   宗 派  真言宗豊山派総本山
   ご本尊  十一面観世音菩薩
   開 基  徳道上人


十一面観世音菩薩
御身丈三丈三尺(10m余)




本堂

   

                            
法螺貝の音色が山内に拡がる

本堂前の舞台から穏やかな里を望む









登廊(のぼりろう) 399段

           長谷寺は 平安時代中期以降 観音霊場として貴族の信仰をあつめ
           「隠国(こもりく)の初瀬」と古くから歌枕として和歌に詠まれる

      王町文学の舞台となっている境内にはあちこちに歌碑が点在する
      (藤原俊成 藤原定家 紀貫之歌 小林一茶 松尾芭蕉 大伴坂上郎女歌)
      この御寺を何時か又もう一度訪れて古典の世界をゆっくりとを偲んでみたい

  第七番    岡 寺(龍蓋寺りゅうがいじ奈良県高市郡明日香村
  
仁王門
本殿








日本最大最古の塑像観音





   宗 派  真言宗豊山派      
   ご本尊  如意輪観世音菩薩
   開 基  儀淵僧正
   創 建  7世紀末頃
  創建の伝説
  663年(天智天皇二年)草壁皇子のお住みになっていた
  「岡の宮」を仏教道場に改め 仏教の指導者であった 
  儀淵僧正に下賜された


          本尊 如意輪観音像   高さ4,85m
  塑像(土でできた像)は弘法大師がインド 中国 日本の三国の土で造られた。
  如意輪とは 物事を自分の意のごとくかなえて頂けるとの意
  
龍蓋池


 昔大変悪い龍が棲んでいて 大雨を降らし 田畑を
 荒らし村人が困っていた
 義淵(ぎえん)上人は何とか捕えようと観音様に   
 お願いして 龍を池に引き入れ大きい石で蓋をして  
 「阿」の字を書いて封じこめた(龍蓋寺の謂れ)
 
  


  第六番     壷阪寺        奈良県高市郡高取町

仁王門
礼堂(らいどう)











   宗 派  真言宗豊山派
   本 尊  十一面千手観世音菩薩
   開 基  弁基上人 
   創 建  大宝3年(703)

   弁基上人がこの山で修行していたところ 愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納めて
   感得した像を刻んで祀ったのがはじまりという
   眼病に霊験あらたかな観音様で 広く信仰をあつめてきた

お里沢市投身の谷
お里 沢市の像











 明治の頃 失明快復祈願にまつわる 沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壷阪霊験記」
 が巷に大きな共感を呼び 寺への信仰も拡がった

高さ20m
インド渡来の大観音石像と大涅槃石像

















 インドで壷阪寺が行った社会活動に対し インド政府より感謝の意を表して贈られた
 石仏で 延べ8万人の日本とインドの石工によって 4年7か月の年月をかけて
 彫りあがった

 壷阪寺は昭和40年よりインドにてハンセン病患者救済活動に参加し 平成元年には 
 (財)アジア・アフリカ国際奉仕団を設立し 奨学金制度など交流を展開している


            お み や げ

柿の葉すし店舗でお土産を買うのも楽しみ
店長さん何度も何度も手振り











      バス車内で夕刻の勤行を唱えて本日の巡拝行事がおわる

                   枚方5:30着 10000歩 お疲れさま


2017年9月7日木曜日

枚方山の会 仲間の集い

 山行500回記念
                  日時     2017-8-20   13時30分
                  場所     枚方市駅前サンプラザ3号館5F
                  出席者    56名



会長のことば
 
当会は1999年に4月に発足し山行回数が10月には500回
になる予定です
会員の皆様の山を愛する心と団結力の結晶ででしょう!

   



   第1部  落語サークル「なぎさの会」


渚家梅仁「天災」
渚家どれす「妻の旅行」













妻の旅行 妻は大阪のおばはん とくにやかましい 一緒にいると疲れるばかり
     妻がバタバタと支度して旅行に出て行って 夫はのんびりとくつろいで
     いるとドアのチャイムが鳴り 開けると「一人行けない人ができたから
     一緒に行こう」・・・・げっそりした夫・・・

天災   長屋の隠居の家に気短な八五郎がいきなり飛び込んできて「女房のと
     おふくろのと 離縁状を二本書いてくれ」・・曰く云々・・・
     「元のかみさんが怒鳴りこんできたと思うから 腹が立つんだ 天が怒鳴り
     込んできたと思え 是 即ち天災だ」と説くと「天災じゃない先妻だ・・・・
 
渚家榮都「三十石舟」

 三十石舟  登場人物 喜六 清八 船頭 その他大勢

  三十石という舟が 京都は伏見 大阪八軒家という
  このあいだを行たり 来たりしていました・・・・・

  乗客の名前を番頭がつけるのをからかって言ったり
  船頭の舟歌を背景に乗客のやりとりが にぎやかに
  おこなわれる








  第2部   民謡とかくし芸等

この地名は?
禿げ頭とチャイナ服で変身













  舞台に現れた2人(禿げ頭のかずらとステテコに大腹巻。艶麗なチャイナドレス)  
  を見ただけで大笑い
  禿げ頭さんの何時もながら味のある大声の民謡が場内に拡がる
  チャイナドレスさん(会長)場内を盛り上げようと衣装をはにかみながらも   
  頑張ってアシスタント

  この地名は なんと読むでしょう?

       立売堀(いたちぼり)西区     御幣島(みてじま)西淀川区
       柴島 (くにじま) 東淀川区   杭全 (くまた) 東淀川区
       彼方 (おちかた) 富田林市   点野 (しめの) 寝屋川市
       呉服町(くれはちょう)池田市   孔舎衛坂(くさえざか)東大阪市
       ・・・・・次から次に出てくる・・・・

  半紙に墨痕鮮やかに大文字で書かれた地名を見て当てる人もいる 司会者は時々 
  虎の巻を読むので 会場からひやかしの笑い声とガンバレーっと・・・・・

山の歌 青春歌の大合唱
やー!久しぶり














            みんなの笑顔 みんなの歌声 懐かしい歌 
        おわり