2014年12月30日火曜日

枚方山の会

出石散策と来日岳
                              2014ー12.6~12.7         24名

コース予定   一日目 枚方ラポール裏8:30=京都縦貫=出石(自由散策)=城崎温泉(入浴)
                =民宿(春乃屋)泊
          二日目 民宿8:30-来日岳(567m)-温泉寺=京都縦貫=枚方

大雪でコース変更
          二日目 民宿8:30=香住朝市センター=大乗寺=かすみ鶴=たなかかばん
                コウノトリセンター=京都縦貫道=枚方

    
一日目 小型バスに24名はうきうきした気分で乗り込み 賑やか                            
      な会話が弾む、リーダーの挨拶もサブリーダーの説明
      も丁寧ながら弾んでる。

      出石の町に入った頃から思いがけない雪がさんさんと
       降り出し「出石そば」のお店は予約でありながら
      超満席で1人5皿の「そば」を熱気の中で食べる

               
                                  
         永 楽 館 (出石町 柳17-2)
   


















明治34年常設の芝居小屋が開業 明治 大正年間は歌舞伎 寄席 政談演説会場として賑わう
女性ガイドの説明を聞きながら花道、廻り舞台 セリ 奈落 太夫座 囃子場 楽屋 湯殿を丹念
にみて見て廻る
平成26年11月4日~9日 歌舞伎興行が行われ 片岡愛之助 中村壱太郎 上村吉弥の演目に
予約券は即、 売り切れだったそうな


    城崎温泉 「一の湯」

  雪道でびちゃびちゃした足元を気をつけてやっと「一の湯」
  の中に入ると土曜日だからか多勢の人でごった返している
  リーダーの事前の連絡で靴置き場は別場所に確保されてた
  速やかに湯船に浸って「あーァ 温ったまるゥー」とにこにこ
  温泉で身も心も充分にほっかほっか



         民宿「春乃屋」      昨年と同じくこのお宿にお世話になる















宴会席はくじ引きで5テーブルに 座しわいわい がやがやと待ち構える
最初に運ばれてきたかに足の刺身に舌鼓みし 甲羅のみそに感激して舌鼓し、焼きがにの焼けぐあいを忙しく相手にすすめながら身をほぐす人 焼き甲羅に酒をそそいで燗酒を嬉しそう に何杯も飲み干す人 又土鍋の煮えぐあいを甲斐甲斐しくさばいてくれる人 
最後の雑炊に至っては隣りのテーブルの味とくらべて自画自賛

半分酔っぱらった男性演歌の調子はずれに野次を飛ばしながら手拍子を打つ
民宿ご主人家族のサービスに大満足しお腹もいっぱいになって各部屋に戻り又々雑談する


二日目

      宿の裏山は雪化粧で椿の葉蔭の赤い一輪が美しい         
      スケジュールでは「来日岳登山」であったが積雪のため
      変更して地方観光になる

 
  「かすみ朝市センター」 
           兵庫県美方郡香美町)


 かに 干物 加工品の店舗が並びそれ     ぞれ呼び込みで競っている、
                             水揚げ日本一を誇る柴山漁港の新鮮な     蟹がずらりと並んでいる                 
大蟹を買う人 勢子蟹をご主人のお土産    に買う人 親戚に発送してもらう人 

         
海の匂いが満ちてている中で試食して 思案顔の人 (もう かには充分や)


     「大 乗 寺」  兵庫県美方郡香美町













大乗寺は応挙寺と呼ばれ 客殿十三室には 円山応挙とその門弟十二名の筆になる障壁画 165面はすべて重要文化財に指定されている

円山応挙(1733~1795) 応挙が修行中の貧しいころ 当時の住職が才能を見込んで学資を援助
したことが縁でご恩返しとして一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描いた
各部屋の障壁画を見て廻る中 応挙の弟子の「呉春」や「芦雪」の銘に改めて襖絵を見直す   

歌人与謝野寛、晶子夫妻が訪れて
          「羨まし香住の寺の筆のあと 作者みずからたのしめるかな」 (寛)
志賀直哉の「暗夜行路」のなかで「応挙 呉春 芦雪 それぞれおもしろかった」」と評している

 

    「香住鶴酒造」   兵庫県美方郡香美町

















古来より伝わる製造法の酒蔵の見学は本日は超満員で時間調整で見学中止になったが
店内の試飲コーナーでは 種類の違うお酒を周り人のごったがえすなかで頂く
熱気あふれる販売コーナーでは しぼりたて酒や豪華高級酒 酒粕 その他いろいろ陳列              
 してあり買いかごに種々いれてレジ前の長い列に並ぶ

      かばん工場たなか         兵庫県豊岡市日撫



 
   本社   豊岡市
   本店   東京都
   設立  1948年(昭和23年)
   年商   4億円




豊岡カバンの起源は「キ柳細工」(かわやなぎ細工)にあり 古くは奈良時代にある              
江戸時代 には産業として確立していた
明治中期に三本革バンド締めの柳行李に工夫が加えられ「錠前」を取り付け新型カバンとした。

起源となった「キ柳細工」は伝統工芸の指定となっている

工場直売なので 市販の半額に近い物もあり 購買意欲をそそられる、(はりこみまひょッ!)


      兵庫県立コウノトリの郷公園     JR山陰本線「豊岡駅」から4、5km



   昨年に訪れた時に園内をゆっくり見学してたので、こうのととりのうずくまってる姿を         
   ちらりと横目で見て 急いで宿で支給された「おにぎり弁当」を広げてもくもくと食べる

   
   帰路の車内はうとうと こっくりこっくり 静かに無事に枚方に到着  (世話役様方に感謝)


             

2014年12月20日土曜日

お遍路

四国八十八ヶ所巡り 10回 60番~65番
                                        2014-11‐26       41名


行程 一日目  枚方7:30=明石海峡大橋・鳴門大橋=吉野川ハイウェイオアシス(昼食)=      
           60番横峯寺=65番三角寺=ホテル花パーク(泊)

    二日目  62番宝寿寺=64番前神寺=63番吉祥寺=61番香園寺=枚方6:30着   

一日目

第60番  福智院 横峰寺       愛媛県西条市小松町 
   本尊  大日如来(伝弘法大師)
   開基  役行者小角
   創建  白雉2年(651)
   真言  おん あびらうんけん ばざらどばん

  石鎚山(1982m)の中腹にあり「遍路ころがし}の最難所で
 あったが昭和59年に林道ができたが冬期はバスは不通になる
   
 
第65番  慈尊院 三角寺    愛媛県四国中央市金田町
   本尊  十一面観世音菩薩(伝弘法大師作)
   開基  行基菩薩
   創建  天平年間(729~749)
   真言  おん まか きゃろにきや そわか

 小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき                                                      「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって           山内は桜が爛漫となる名所である
二日目
                          第62番  観音院 宝寿寺       愛媛県西条市小松町
        
    本尊  十一面観世音菩薩
    開基  聖武天皇
    創建  天平年間(729~749)
    真言  おん まか きゃろにきゃ そわか

   弘法大師が十一面観世音菩薩を彫像して本尊とした
   伊予三島水軍の菩提寺として栄えた 



  
  第64番  金色院 前神寺      愛媛県西条市州之内甲 
     本尊  阿弥陀如来(伝役行者作)
     開基  役行者小角
     創建  七世紀後半
     真言  おん あみりた ていせい からうん
山岳信仰の日本七霊山の一つで 役行者小角が修行した
若い空海が2度入山し断食修行(21日) 護摩修法(37日)               虚空蔵求聞持法 を修行したことが知られている

  
 
 第63番  退蔵院 吉祥持     愛媛県西条市氷見乙
    本尊  毘沙門天
    開基  弘法大師
    創建  弘仁年間(810~824)
    真言  おん べいしらまんだやそわか
弘法大師はこの地を巡教したとき 一本の光を放つ檜を見つけ
一帯に霊が満ちているのを感得し、この霊木で本尊とする
毘沙門天像を彫像、さらに脇侍として吉祥天像と善賦師童子像
                          を彫って安置した

     
 第61番  教王院 香園寺     愛媛県西条市小松町
    本尊  大日如来
    開基  聖徳太子
    創建  六世紀後半
    真言  おん あびらうんけん ばざらだどばん 
用明天皇(585~587)の病気平癒を祈願して 聖徳大師が
建立した。
本堂は昭和51年建立の大聖堂と呼ばれる三階建てのビルで                                          札所中でも異彩を放つ 二階に本堂と大師堂がある

今回第10回コースは15年3月の予定であるが「遍路ころがし」の60番横峰寺が積雪時期にかかるため繰り上げの参拝となった
雪ならぬ雨降りの坂道を滑らないように お互いに足元を一歩一歩踏みしめ「なるほど この坂道
は危ないわ」と口ぐち云って歩く


 今回の宿泊は道後温泉「ホテル花パーク」相部屋で5人、それぞれ身の上話に盛り上がる

    ・股関節の手術後 リハビリを医師の指導に従い綿密に徹底的に実行してただ今ピンピン
                                                                      
    ・買い物好きで今夜」も温泉街のお店のオバちゃんとよくしゃべって帽子と竹製品買って
                          
    ・乳がんが見つかり京都で有名な「こだま病院」の院長のご指導で切除せずに完治した

一宿一飯のよしみで 思い思いによくしゃべり 新発見の経験をさせてもらった。     感謝

  

2014年12月5日金曜日

oo東海道五十三次を歩く   第2回

大津宿から草津宿
                                       2014-11-1       27名

行程  JR大阪7:45=JR京都8:18=大津8:28ー義仲寺ー膳所城跡公園ー瀬田唐橋ー     

      建部神社ー1里塚跡ー野路の玉川公園ー太田酒造 旧問屋場跡ー草津追分ー
 
        ーJR草津16:51 解散  =JR京都=JR大阪(17:30    歩程約15Km

 東海道ウオーク第2回目はJR大津駅から9:00スタートで京町を通りまもなく「義仲寺」に着く
 このあたり、古くは「粟津ヶ原」といい、琵琶湖に面し景勝の地であった


木曽義仲の墓
     別 名  朝日将軍 (1154~1184)  
           子   義高  四郎義宗
                      
     源範頼 義経の軍勢と戦い この地で討死した
      




    芭蕉翁の墓
                     名  忠右衛門宗房  (1644~1694)


          元禄7年10月12日大阪で亡くなられ(51才)その夜去莱                                              
     其角 正秀ら門人十人 遺骸を守り川舟に乗せて淀川を              
     上り伏見に至り13日午後義仲寺に入る14日葬儀、                
      深夜ここに埋葬した。




      
  

巴  塚      
     木曽義仲公の側室巴御前の塚。
     武勇すぐれた美女で、武将として義仲公を助けたという。





義仲寺を出て街中の旧東海道をひたすら歩く 石坐神社(海の神)を拝礼し又すこし歩くと和田神社に至る 昔この辺りは和田浜と言われてた地名から付けられたらしい
神社の境内には樹齢600年の大銀杏が聳えていた。
石田三成が関ヶ原で敗れて京へ護送されていく途中この銀杏の傍で休息したと言われている
                                                 

 膳所城跡公園

 
  
 徳川家康は東海道の押さえとして膳所城
 を築城した(1601)
 明治3年に新政府により廃城した
  本丸跡を公園にし 城門は復元した
 現在桜の名所でもある
 





膳所城跡公園を10:30頃出て1時間程歩いて瀬田の唐橋際にある「俵藤太像」前に至り物語を聞く
近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり人々は怖れて橋を渡れなくなったが、    通りかかった俵藤太は大蛇を踏みつけて渡ってしまった、                その夜美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む竜神で大蛇はこの娘が   姿を変えたもので、竜神一族が
三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した
藤太は三上山を7巻き半する大百足を矢を射て退治した
竜神から礼として米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた
藤原秀郷(俵藤太)は平将門を討つという大功を挙げながらも それ以降の
資料がとぼしく 生没年は不詳だが、秀郷の子孫は関東中央部を支配する                  武家諸氏の祖となった。






     瀬田 の唐橋






東海道・中山道方面から京都に向かうには、琵琶湖をわたるか、南北いずれにか迂回するか、
そして瀬田川にかかる唯一の「瀬田の唐橋」を渡るかで京都防衛上の重要地で 古来より
唐橋を制するものは天下を制すと言われていた

         武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の唐橋

東から京へ登るには矢橋(やばせ)の港から大津への航路が早いとされていたが、反面
比叡おろしの強風で船出 舟着きが遅れることあり 瀬田まで南下すれば風の影響を受けず
唐橋を渡れば日程が乱れることがない   「急がば廻れ」の諺の発祥である


建部神社       大津市神領1丁目
       
      創建  景行天皇46年(117年)
      祭神  本殿  日本武尊
           相殿  天照皇大神        
           権殿  大己貴命(大国主命)  
                                                   
   平家に捕らわれた源頼朝が伊豆へ向かう途中立ち寄り
   源氏再興を祈願された。以来、出世開運の神と崇敬される

 
      



野路の一里塚               
江戸から数えて199里目







         萩の玉川                                                           
       玉川とは玉のようなきれいな湧水のことを云う
                              萩の名所であったこの地は「日本6玉川」の一つ


太田酒造
    会長  太田実則(おおたみのり)は太田道灌の18代目

    太田道灌は文武両道に優れ江戸城を築いた
    6代目の孫太田正長の時に幕府の命を受けて草津に移住
    「貫目改所」「人馬継立所」の公的機関の役割を果たす
    江戸末期に近江米で酒つくりを始める
      「大吟醸 道灌」 「大吟醸 鶴亀」




茶店の右角に道標がでており、 旅人が二人右奥の道へ進んでいるが、街道から分かれて
この道を行くと琵琶湖畔の矢橋(やばせ)に至り 舟で大津宿へ行く

左方に向かう早籠は二人の駕籠かきの他に前曳きと後押しをつけ、さらに横で声をかけて
歩調を合わせる五人からなる。客は振り落されまいと必死になって垂れ綱を握りしめて籠の
中にうずくまっている