2020年7月31日金曜日

文学・歴史ウオーク  (大阪)

 東住吉区の旧街道と史跡 


  集合日時  2020年7月5日(日)午前10時
  集合場所  JR阪和線 美章園駅改札口
  コース   美章園駅~桑津天神社~~榎神社~桃ケ池・股ケ池明神~
        ~法楽寺~山坂神社~JR阪和線南田辺駅  (約4km)
                           
美章園駅前

  コロナ騒ぎにも関わらづ参加者50名
  講師 本渡章(ほんどあきら)先生
     1952年 大阪生まれ 
     日本文芸家協会会員
  著書 『図典 「摂津名所図会」を読む』
     『図典 「大和名所図会」を読む』
      他多数
  





桑津天神社  大阪市東住吉区桑津

桑津天神社
祭神  少彦名命(スクナヒコノミコト
    須佐之男命(スサノオノミコト
    菅原道真 奇稲田比売命 野見宿禰
創建  伝 仁徳天皇時代

社伝によれば仁徳天皇の妃である日向髪長媛が
病気に罹ったとき 天皇が少彦名命に全快を
祈って快癒し それが縁でこの神を勧請された
髪長媛は神の資格のある采女として日向国より
召され仁徳天皇妃となり、桑津の地に居住していた




榎神社       大阪市東住吉区北田辺                  祭神    榎大神 
                      
現在地に樹齢 800有余年を数える榎の大木 があり、土地の人々がこの木を御神体として
     社殿をつくり、年々参詣者も増加したので、昭和27年4月に宗教法人となり昭和28年に            拝 殿と社務所を新設した極めて新しい由緒の神社です                                                         
             
榎神社
  

社殿は小さい

桃ケ池公園
池は古くから「ももがいけ」と呼ばれていたが、かつては「百ケ池」「脛ケ池』「股ケ池」とも表記された。名称については、池がいくつもあるため百ケ池という説や、池の形が股のような形になってことに由来するという説や、聖徳太子の使いが大蛇退治をした際水深が 腿(もも)程度だったためなどの説がある。かつて猫間川の源流のひとつであった


 股ケ池明神(ももがいけみょうじん)           
桃ケ池にまつわる伝説として、「桃ケ池にすんでいた大蛇を聖徳太子が退治した」
という内容が伝えられている。その際 股ケ池浮島に穴を堀り大蛇の死体を埋葬
したが、その後も怪異が続くというので霊を鎮めるため「おろち塚」が作られた
昭和初期まで残っていたとされる                     
 桃ケ池公園に隣接して設置されている「股ケ池明神」は 天明年間(1780年代)に 
 角田某という人物が、夢に出た蛇霊を奉るために、おろち塚の北一丁の位置に  
丸高竜王として祀ったことが起源と伝わる                 
(股ケ池明神ももがいけみょうじん))
神社本庁に属する正式な神社ではなく、地域住民により維持管理されている

 
法楽寺      大阪市東住吉区山坂                  
          真言宗泉涌寺本山   山号 紫金山 本尊 不動明王
 

三重塔
本堂

    伝承によれば 源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うために、              源義朝の念持仏であった如意輪観世音を安置し,壮麗な伽藍が営まれた                  山号の紫金山は治承2年(1178) 平重盛が宋の禅師・育王山佛照の高徳を聞き黄金3000両を献上し結縁を求めたとの伝えによる                                        織田信長の侵攻(元亀2年(1571))で伽藍は灰燼に帰した。お堂は紀伊国の雑賀家の 尽力により 大和国宇陀松山藩織田氏の殿舎が移築された                                        

           
「かんことり」  法楽寺の向かいに住む とある 芸術家 が      酉年にちなんで 作った                       
アンコールワット回廊の拓本

2019年10月16日~29日  法楽寺リーヴスギヤラリー小坂奇石記念館
アンコールワット旅行(2016年10月16日)の思い出と共に拝観した事を
      懐かしく思い出したよ

下高野街道
下高野街道

  
 大阪から高野山に詣でる3街道 


西高野街道    堺旧市街からー中百舌鳥ー北野田―岩室―今熊
下高野街道    天王寺ー下高野橋(大和川を南下)-今熊で西高野街道と合流 
中高野街道(旧称上高野街道)平野ー瓜破ー堺東-狭山池尻ー西高野街道と合流ー                           

     山坂神社            
   
   祭神  天穂日命 野見宿禰 素戔嗚尊 猿田彦 宇賀御魂神

  山坂明神または田辺神社と言われていた
  田辺氏は元来 西国から移動した渡来系氏族で 現在の柏原市に拠点を持ち大いに
  栄えた一族である
  神社の創建時期は不明である
  (天穂日命は高天原の神々による地上世界を吸収合併(出雲の国譲り)するため
  公証役に選ばれたものの 大国主命をリスペクトしてしまい3年間も任務を怠った?
  と言われている神様


   JR阪和線南田辺駅 11時30分到着 解散
                    お疲れ様でした。   おわり
       

2020年7月4日土曜日

第234回文学歴史ウオーク(滋賀県)


万葉の里蒲生野・・・万葉公園と船岡山
                               2020-6-7  40名
  集合場所 近江鉄道市辺(イチノベ)駅  午前10時
  コース  近江鉄道市辺駅~阿賀神社~万葉の森・船岡山~万葉公園~市辺駅(2㎞)

    阿賀神社
阿賀神社
    御祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神
まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのおおかみ)
  「まさに勝った、私は勝った。
   朝日が昇るように鮮やかに、速やかに
   勝利を得た」 (勝利を象徴する意味)

聖徳太子は国家の安泰を祈願した
伝教大師最澄は50余りの社伝を建立
源義経も源氏興隆を祈念した
室町幕府近江守護職佐々木六角氏も尊崇

 万葉の森 船岡山

万葉の森 船岡山

船岡山(132m)は山と言うよりも
小さい丘のようなところである
この辺りの田園地一帯は蒲生野と
よばれ雑木が生い茂りシカイノシシ、
が生息する野で狩猟や薬草を摘む
原野であった
野には紫草(ムラサキ )が咲き乱れている               





   




船岡山(132m)山頂の歌碑



万葉歌碑原本のままの字体)
   相聞歌

アカネさす紫野行き標野シメノ
行き野守ノモリは見ずや君が袖ふる」
  額田王(ヌカタノオオキミ
 茜草指武良前野逝 標野行 
 野守物不見哉 君之袖布流

「紫草ムラサキのにほへる妹イモを憎く
 あらば人妻故ユエ)にわれ恋めやも」
    大海人皇子(オオアマノミコ
 紫草能 迩保幣類妹乎 迩苦久有物
 人嬬故迩 吾恋目八方
 


片岡寧豊女史の王朝恋物語
 額田王は大海人皇子(のちの天武天皇)と恋仲であった
 が後に彼の兄である天智天皇の寵愛を受けた

 人目もはばからず袖を振って見せる大海皇子を額田王が
 咎めたのに対し 
 大胆にも激しい恋情を歌い返したのである
                                            
   イベント広場

                    狩猟 を描いた  レリーフ   
   馬に乗って女性 に手 を振る 男性   2人 
   古代服  をきて男性を見守る若い女性2人
紫草(ムラサキ)


      紫草ムラサキは毎年地元の高校生によって
      植えられる(絶滅危惧種)
      根の部分である紫根(しこん)が染物の 
      原料や薬物(漢方)に使われている

      
      



  万葉集に詠まれた植物100種が植えられている

  桑の木 
      たらちねの 母がその業(ナ)る桑すらに 
         願へば衣(キヌ)に着るといふものを
              巻7-1357  作者不詳
桑の木

 桑の葉のようなごわごわのものでさえ どうにかしようと
 思い願えば養蚕というマジックを心得て母はそのテクニック
 を使って上等の絹を衣(キヌ)に変えてお召しになることは
 決まっているのになあ  (恋い歌)

   (実をジャムにすると美味しいそうな)




  棗の木(なつめ)
ナツメの木




ナツメの歌
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   「玉掃刈り来し 鎌麻呂むろの木と棗が本(モト)と かき掃かむなめ」
                巻161-383     長意吉麻呂(ながのおきまろ)
  
   玉掃(タマバタキ)を刈ってきなさいよ 鎌麻呂さん 
   むろの木と棗の木の下を掃除するために
  (玉掃はキク科の高野掃(コウヤボウキ)これで儀式などに使う箒を作りました

       ・・・宴席で戯れに詠んだ歌・・・

  椎の木(しひの木

  「家にあれば 筍(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」
   我が家にいれば器に食べ物を盛るのに今は旅に出ているので椎の葉に盛っている
  
            
椎の木
有間皇子の歌
 有間皇子  孝徳天皇の皇子 母は小足媛(オタラシヒメ)死没658年
       640年孝徳天皇が小足媛とともに有馬温泉に滞在中に生まれたので
       「有馬」と名付けられた
   有力な皇位継承者の一人あったが権力争いに危険を感じて仮病を使ったりしている
   蘇我赤兄(ソガノアカエ)に謀られて叛逆の罪で捕らえられ紀伊に送られる途中で
   藤白坂で絞首刑にされる       薨年 19才
   護送中にもう一首の歌も詠まれている
      磐代(イワシロ)の浜松が枝()を引き結び ま幸(サキ)くあらば
                   また還り見む  (万葉集 2-141)
    磐代(イワシロ)の浜松の枝を引っ張って結び、道中の息災を祈る
    ・・願いかなって無事であったならまた帰ってきてこの松を見よう・・
  



1400年昔の飛鳥時代に吹く風はどうであったのだろうか
人の心の素朴で純粋な息づかいに思い馳せる (おわり