2014年11月1日土曜日
枚方山歩きの会
京都の史跡を巡る街中ウオーク
2014―10ー5 1名
集合 叡山電鉄 出町柳駅改札口前 9時30 分
コース 一乗寺駅・・・八大神社・・・鷺森神社・・・赤山神社・・・三宅八幡宮・・
・・宝ヶ池・・・下賀茂神社・・・糺の森・・・出町柳駅
天気予報では台風 となっていたが 「なんとかなるよ」と自分流に勝手に思い込み
駅前でぼんやり待っていたが 誰も来ない
「もしもーし 会長さん 今日は中止ですか?」 「ああッー 中止です」 やっぱりなあ!
空を見上げて考える おひとりさまウオーキングもちょっとスリルがあっていいかもー
駅が発行している「ウオーキングまっぷ」をゲットして目的地別の歩行色線をしばらく
見つめる なるほど黄色線コースをたどればなんとかなるんじゃよ よしよし レッツゴー
叡山電車に乗り「一乗寺駅」で下車 東西に通る道路を東へ東へと不安ながら歩いて
「白川通り」に出た 「詩仙堂→」の案内看板があった(観光都市らしいな) OK!
ゆるやかな坂道を歩いていくうちに「詩仙堂」らしい場所にたどり着いた 拝観に入ろうか、
有名な あの「獅子脅し」の筧の風情も結構だけど本日はパスと素通りして間もなく
「八大神社」の参道に至り坂道を進むと「湯立神事」の立札があり 境内には笹の葉付きの
細竹が3m四方に立ち、しめ縄が張り回らされ 中央に大釡が火床の上に据えられいる
湯立神事は 先ず本殿で祭礼の儀式 「栗御供の儀」が行われる、三宝には栗 柿 塩が盛られ
本殿と末社五社にもそれぞれ捧げられ祝詞を奉じて厳かに進められた。次に「湯立神事の儀」が
行われる 祝詞奉上の後巫女が参拝し 参拝者一同が拝礼し前庭に設えた湯釜の前に移動して
巫女がお神楽を奉じ 続いて窯の前で祈りの言葉毎に酒、塩、が釡にそそがれ 笹葉束を湯に
つけては空気を払うように振り撒かれる 湯しぶきが四方に飛び散る 同じ動作がゆるやかに
何度もくりかえされる 参拝者20人ほどは身動きもせず 声を発する人もなく 古今続いてきた
この宮の優雅な歴史を感じる
(湯立神事は7月にも早苗振祭があり 他にも祭事が24回と月次祭がある)
御祭神 素戔嗚命 稲田姫命 八王子命(5王子 3王女)
由 緒 勧請 永仁2年(1294) 都の表鬼門で皇居守護 (北の祇園と言われている)
祭礼が終わり散会になったので心ばかり献銭し拝礼をして木陰に置いていたリュックサックを
背負って境内脇にある 宮本武蔵の決闘当初の一乗寺下がり松の古木を感慨深く拝観した
(10:00~11:00)
次の目的地の鷺森神社への道をたどるが 途中「曼殊院→」案内板があり 訪れてみることに
しようと道行く人に尋ねてみたり 案内板をたどったりして・・・・・・・ 到着
曼 殊 院
門前の石碑 「天皇皇后両陛下行幸啓」
曼殊院門跡は伝行大師の草創に始まり(八世紀)比叡山西塔北谷にあったが
明暦二年(1656)良尚法親王(後水尾天皇猶子(兄弟)がこの地に造営された。
建築は桂離宮との関連が深く襖の引手が瓢箪や扇であり桂離宮の立住まいを思い出した
有名な国宝「黄不動尊」を拝観し 狩野探幽の障壁画の古色を神妙に拝観する
名勝庭園に指定されいる庭は遠州好みの枯山水
久振りに時を忘れて歴史文化観賞に満足して門を出ると辺りはちょっと紅葉が始まっている
(11:30 ~12:30)
民家の建ち並ぶ細い道路をしばらく歩いてやがて車の走る通りへ出たが 坂道を上に行くのか
下ればいいのか不安に思いながら下っていると 道路脇の岩石に「鷺森神社」と刻れている
前に立って鳥居は何処かと 四方を見渡すが無いし 道も無い なんじゃこれは?昔はここから
行く道があったのかな 「すみませーん 神社へ行くのは どっち?」「そこの細い道からです」
へえー!余所のお家に入っていくのーっと思ったが言われた通りに進むとずーっと道が続いて
気が付くと「鷺森神社」の横境内に着いた。 お腹が空いたァ。 お弁当が美味しい。 満足。
鷺 森 神 社
祭 神 素戔嗚尊
創 建 859~877
熱心に何かを見ている女性に声をかけると爽やかな笑顔で
「神社が好きで京都市内は殆ど詣りました」 若い人の中にはこんな人もいるのかと新鮮な驚き
を感じ 元気を出して次の目的地「赤山禅院」へ地図を頼りに歩き出す (12:40~13:00)
赤 山 禅 院
創 建 平安時代(888年)慈覚大師円仁の遺命により創建
本 尊 赤山大明神
* 皇城の表鬼門の鎮守として祀られている
* 千日回峰の「赤山苦行」の寺(百日の間 比叡山から
雲母坂(きらら)を登降する荒行)
* 七福神めぐり発祥の寺 (福禄寿の寺)
* 「五十(ごと)払いの風習の始まりの寺(商売繁盛の寺)
スピーカーから「般若心経」の読経が参道から全山にいたるまで 聞こえていて ドキッとしたが
本日は「泰山府君(赤山大明神)」の五日講で受付でご自由にお参りくださいと優しく言われる
本堂の中には十七・八名の信者さんが読経に唱和されている(今日は神仏にご縁がある)
時間が気がかりなので境内を一廻りして辞する (13:40~13:50)
この界隈は 修学院離宮が近くにある所為か 静かな町並みで 別邸かと思はれるお屋敷もある
次の目的は「三宅八幡宮」で地図を片手に てくてく すたすた 歩いていると住宅の片隅に
「ひえい山登り口」の道標を発見 現在は見向きもされないのか樹木の枝葉と同居している
道は一本筋と思っていたが分かれ道に来て しばし立ち止まる
ス―パーのポリ袋を提げた男性が坂道の下から上がって来られ
たので方角を尋ねると「山を上がった所で左へ」と簡単な説明で
ありがとうございますと言ったものの、これから山に登るかな?
大変だと 思いつつ進むと峠のような場所に立ち はた、と意味
がわかった 土地の人はこの辺りの道を「山を上がる」と云うんだ 了解したよ、 そして下り道を
進んでいると 大きな犬の綱を引いている女性に「三宅八幡駅」へ行きたいんですが」と尋ねると
女性は大きな犬をなだめ鎮めてから 右へ行って左に曲がってと詳しく丁寧に教えていただいた
お礼を言ってさっさと歩いているが、 もう分からなくなったしまった
ままよ 行きまひょ てくてく・・・家の横庭で洗濯物を干している奥さんに声をかけると 指さして
「そこを真っ直ぐ行って左に曲がって」 簡単明瞭な答えに不安も吹っ飛んで 元気を出す
叡山電車「三宅八幡駅」前に至って「三宅八幡宮」の大鳥居をくぐって又ひたすらに歩く
子供の頃「かん虫封じ」によく連れてきてもらった事を思い出し
ながら 歩いても 歩いても宮は見えない 一度 二度 問うと
「はあ 直ぐそこです」 こんなに長い道だったのかなあ
乗合馬車で「かん虫封じ」に行ったのは何処だったのか 帰りの
馬車の中の子供達のおでこに まじないの 赤いちょぼ点が付
三宅八幡宮
いていて 神妙な顔をして 馬車に揺られていた
祭 神 応神天皇
創 建 6~7世紀
応仁の乱で全焼したが 明治になって 本殿 拝殿が再建された子供の守り神と
して「かん虫封じ」「病気平癒」にご利益がある 別名 「虫八幡」とも云われる
神の使いとして「神鳩」とが奉じられている
宮はひっそりとしている 参拝して あの懐かしい「鳩もち」は何処かなと探したが「菓子処」一軒
陳列には 今風のニッキもちで 記憶にあるのとちょっと違い(80年も昔のこと) がっかりする
と 雨がとうとう ぽつり ぽつりと 落ちてきた (カメラのシャッターも故障して 無念)
次の行程は 宝ヶ池から下賀茂神社であるが 又の機会の宿題にして帰り道を急ぐ (14:30)
叡山電車「三宅八幡駅」 14:50 京阪電車「出町柳駅 (15:15)
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