四国八十八ヶ所 第四回
2014-9-24~25 42名
旅程
一日目 枚方(7:30)高槻(8:20)ー20番鶴林寺ー21番太龍寺ー23番薬王寺ー昴宿よしの(泊)
二日目 16番観音寺ー17番井戸寺ー18番恩山寺ー19番立江寺ー22番平等寺ー枚方(7:30)着
今回のお遍路ツアーも 盛況でバス4台が発車するので渋滞を避けて 巡拝順序が変わる
一 日 目
第20番 霊鷲山 鶴林寺 徳島県勝浦郡勝浦町
本尊 地蔵菩薩(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建 延暦17年(798)
真言 おん かかかび さんまえい そわか
標高550mの鷲画が尾 の山頂にあり 数百年を超す杉木立ち
寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる
大師がこの山で修行していた時 雌雄2羽の白鶴が舞い降り
小さい黄金の地蔵を守護していた 大師はこの情景に歓喜し
霊木で90cmの地蔵菩薩を彫像し本尊とし寺名を鶴林寺にした
源頼朝や義経 三好長治 蜂須賀家政などの武将に信仰された
三重塔
100人乗りロープウエイで10分 |
本尊 虚空蔵菩薩
開基 弘法大師
創建 延暦12年(793)
真言 おん のうぼう あきゃしゃらばや
ありきゃまり ぼり そわか
ロープウエーの駅舎から出てくると 石段がずーっと上の方まで
一直線に伸びている
「西の高野」とも称される 四国山脈の東南端 太龍寺山の山頂近くに建つ。老杉が天空に聳え
霊気が漂い気が引き締まる思いである
大師19才の頃「舎心巌」という岩上で真言を百万遍唱えるという 難行を修法されたと
伝えられている 本堂 大師堂 多宝塔 求聞持堂 鐘楼門 本坊 護摩堂 六角経蔵等が
点在し 四国霊場のなかでも群を抜く壮大なスケールの霊場である
第23番 医王山 薬王寺 徳島県海部郡美波町
本尊 薬師如来(伝弘法大師作)
開基 行基菩薩
創建 神亀3年(726年)
真言 おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
「発心の道場」といわれる阿波の国最後の霊場厄除け橋を渡って最初の石段は「女厄坂」33段、
続く急勾配の「厄男坂」42段,男女の「還暦厄坂」42段、 参拝者はお賽銭をあげながらのぼる
石碑 「空海の風景」 司馬遼太郎著
日本仏教に大変革をもたらし 書,画, のみならず
経済 土木などの分野でも異能を発揮した 空海の
人生や事績を辿った評伝文学
石碑 「鳴門秘帖」 吉川英治著
阿波の国に潜入しようとする青年隠密と 阻もうとする
阿波藩士との戦いに 隠密を恋う女を組み入れた物語
二 日 目
第16番 光耀山 観音寺 徳島県徳島市国府町
門 前 |
本 尊 千手観世音菩薩
開 基 弘法大師
創 建 天平13年(741)
真 言 おん ばざらたらま きりく そわか
夜泣き地蔵尊 大 師 堂
子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、病気平癒、成長を祈願する。
ご利益をあずかったお礼にと何枚ものよだれかけが奉納されている
第17番 瑠璃山 井戸寺 徳島市国府町
仁 王 門 |
(阿波10代藩主 蜂須賀重嘉公が大谷別邸から移築し寄進した門)
本 尊 七仏薬師如来
開 基 天武天皇
創 建 白鳳2年(673)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
天武天皇が勅願道場として建立した当時の寺名は「妙照寺」
大師はこの村が水不足で悩んでいるのを哀れみ 錫杖で
井戸を掘ったところ一夜で清水が湧きだした
(井戸を覗きこんで自分の姿がうつれば
無病息災 うつらなかったら3年以内の厄災に注意する)
第18番 母養山 恩山寺 徳島県小松島市田野町
本 尊 薬師如来
開 基 行基菩薩
創 建 天平年間(729~749)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
弘法大師がこの寺で修行をしていた頃 大師の生母
玉依御前が讃岐から訪ねてきたが、寺は女人禁制であった
大師は瀧にうたれて17日間の秘法を修し 女人解禁の祈願を
成就して母君を迎えることが出来た
母君は剃髪して 髪を奉納されたので大師は山名寺号を
「母養山恩山寺」と改めた
境内に玉依御前を祀る小堂があり母君の髪の毛が安置されている
第19番 橋池山 立江寺 徳島県小松島市立江町
本 尊 延命地蔵菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平19年(747)
真 言 おん かかかび さんまえい そわか
聖武天皇の勅願で行基菩薩によって創建された
念持仏として5,5cmほどの黄金の「子安の地蔵さん」を彫像
し 堂塔を建立したと伝えられている
「黒髪堂」
不義をしたお京という女がこの寺に詣り懺悔すると お京の髪の
毛が逆立ち、鐘の緒に巻き上げられて残ったという伝説のお堂
(小さい御堂のなかの 黒褐色の髪の毛を恐る恐る覗き見る参詣者御同道方)
第22番 平等寺 徳島県阿南市新野町
本 尊 薬師如来
開 基 弘方大師
創 建 弘仁5年(814)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
大師がこの地で修行中 空中に5色の霊雲がたなびき
黄金の梵字があらわれ 大師は歓喜し加持されると
薬師如来の尊像が現れて四方に輝いた
大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として
安置し 人々が平等に救われるようにと寺号を「平等寺」
と定められた
道に迷ったおかげで たくさんのいゝ人に 会えたたなあ
荒 了寛
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