2016年1月28日木曜日

葦の会 

   新選組史跡をたどる
                                      2016-2-3     28名

    コース  近鉄京都駅(9:30)ー不動堂村(屯所跡の碑つ)ー西本願寺ー島原大門ー西門
          光徳公園ー壬生寺(狂言見学)-阪急大宮駅ー京阪祇園四条


                      

  JR京都駅 中央出口前

  みんな集まりましたか~~  トイレはよろしいか~

  番号ォッ  1、2、3、4、-----ーーー 28  OK



  不動堂村屯所跡 (リーガロイヤルホテル京都 前)
  
  幕末の慶応3年(1867)新選組は第2屯所の西本願寺
  からこの付近に移転した

  新選組の第3屯所であり 最後の屯所である約1万坪の   
  土地で表門 玄関 近藤勇ら幹部の居間 平隊士の居間  
  大浴場は三十人が入れる大きさであった
  慶応4年 鳥羽伏見の戦いで新選組は滅亡へと進む
  
   西本願寺  日暮門
         
   京都国宝 三唐門の一つで伏見城から移築された
   極彩色の彫刻を眺めていると日の暮れるのも
   忘れるといわれ「日暮門」と呼ばれている

   中国の故事を題材とし 獅子 竜 孔雀 麒麟等が
   彫刻し原色で装飾されている









                   

新選組は 壬生八木家を屯所としていたが 
元治元年(1864)の池田屋事件で一躍脚光を 浴び幕府からの支援も厚くなった

新規隊士の募集で200人を超える大所帯となったため 慶応元年(1865)屯所を西本願寺に
移転した
御影堂

戦国時代 本願寺は織田信長と長期抗争状態(石山合戦)にあったが その間
  
毛利家は本願寺に兵糧を運び込んで助けていた  その縁があり幕末期にあって
も本願寺は長州系志士を支援していた                         


















 逆さ銀杏
御影堂の前に大銀杏
  幹回   6.5m
  樹高   7m
  樹齢   400年



                        秋には豪華に化粧する
  

樹齢400年の大銀杏は京都市の天然記念物に指定されている 見事な枝振りに言葉が無い
水吹き銀杏」とも呼ばれている 昔 本願寺に火災が起きた際 この銀杏から水が噴出し火災  
 を消し止めたという伝説がある

    太鼓楼
  大所帯となった新選組は 北集会所(600畳)と太鼓楼を
  屯所とした これは西本願寺と長州志士達とのつながり
  を絶つことを狙いとしたといわれれる

  新選組は信徒たちの迷惑を還りみず 砲撃訓練や肉食を
  大っぴらにして無人なふるまいが続いていた

  本願寺は新選組のために 新屯所を建設する費用をもつ
  条件で退去を要請して 不動堂村屯所に移転していった


   

                      島原大門
   
           わが国最古の公許廊 島原の正門

   最初は二条 柳町にあったが 1641年に現在地の朱雀野
  に移転が命じられ その移転騒動が当時勃発した島原の乱
  に似ていたため{島原」と呼ばれるようになった

       

  輪違屋

  置屋兼お茶屋で 近藤勇書の屏風 桂小五郎書の掛軸
  がある
   「維新の名花」といわれた「桜木太夫」を抱えていた
              
  浅田次郎著の「輪違屋糸里」はテレビドラマにもなった
  
 
                   
                        角 屋
    
     江戸中期には島原でも俳諧が盛んになり 与謝野蕪村
     を師として招いている
     蕪村が残した「紅白梅図」は国の重要文化財である

    久坂玄瑞 西郷隆盛ら勤王の志士が密議を交わした 
    又新選組の芹沢鴨との関わりも深く暴挙の際の刀傷あり




光徳公園で昼食タイム    

・・縄跳びをラップ調の音楽を流してリズムに合わす、縄を回す方も 飛ぶ方も
  気楽にこなして楽しそう、若い人達は複雑なリズムを軽快に遊んでる

・・お弁当を食べている横で 可愛いお孫ちゃんが機嫌よく遊んでいる
  なんとも可愛くてカメラをむけるとポーズをとってくれた
       (お婆ちゃんもににこにこと嬉しそうだった 今日一番のヒットかも)


                  
 新選組発祥の地 
 壬生屯所旧跡               

 八木家は壬生村きっての旧家で長老を務めて
 いた
 幕末には新選組の近藤勇 土方歳三らの宿所となり
 旧壬生屯所として知られている

 

  旧前川邸   

  隊士が増えて八木邸が手狭になったので前川邸も
  屯所になった

  隊士が切腹した部屋、拷問にかけたという地下室
    や当時の落書きが残る雨戸がある

  非公開であるが門内で土産物やパネル展示がある
   



       壬生寺

 節分で大勢の参拝客

 ほうらくに願ごとを書                 いて納める






   壬生狂言

  無言劇を無料で観劇
  古風な笛の音と太鼓の響きに乗って演じられる

  冷たい風が容赦なく吹くのを我慢して演者 
  の身振り手振りの大らか動きに見入る
  


















  あらすじ  節分の日 後家は豆を用意し 柊に鰯を差して門口に置く そこへやって来た
         厄払いの男に厄を払うまじないをしてもらう

         厄払いの男が去ると、編笠をつけた鬼が出てくる、後家は鬼と知って逃げこむ
         そこで鬼は鰯を食べ、魔法の「打出の小槌」を振って変装し、再び後家を訪れる

         鬼は小槌で沢山の着物を出し、後家に与えて共に酒宴を始めるが、酔いつぶれ
         後家は小槌を奪い、鬼の着物をはぐ、鬼は目をさまして怒って後家を捕まえよう

         とするが、後家は鬼の嫌いな豆をまく、鬼が豆を打たれまいと逃げていく 
  
  
  壬生寺を出て壬生川通りー四条通りー四条大宮から四条通りを京阪「祇園四条駅」まで
  ぶらりぶらり歩く


    会話  京都の町は「ノ」が多いネ・・・・・そんでも「ノ」は書いてないね     ???


      東洞院通り       西洞院通り     柳馬場通り     衣棚通り  
      ひがしのとういん   にしのとういん   やなぎのばんば  ころものたな

      富小路通り       下ノ森通り      油小路通り     魚棚通り
      とみのこうじ       しものもり      あぶらのこうじ   うおんたな


     御所言葉のような気がするが 唯今 宿題研究中・・・・・・・            おわり
                               

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そうなんや。言われてみれば“の”が入ってる地名が多くあるね。by“帽子を被れば28才”

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