2015-5-25-26 (40名)
行程 一日目 枚方市駅 ラポール前(7:30)-高槻(8:10)-明石海峡大橋ー大鳴門橋
78番郷照寺ー79番天皇寺ー80番国分寺ー81番白峯寺ー82番根香寺ー
-83番一宮寺ー塩江温泉卿(18:00) 新樺川観光ホテル 泊
二日目 ホテル(7:30)-84番屋島寺ー85番八栗寺ー86番志度寺ートレスタ白山(昼食)
87番長尾寺ー88番大窪寺ー1番霊山寺ー大鳴門橋ー淡路ハイウエイオアシス
ー明石海峡大橋ー高槻ー枚方着(20:00)
78番 広徳院 郷照寺 香川県綾歌郡宇多津町
本 堂
本 尊 阿弥陀如来
開 基 行基菩薩
創 建 神亀2年(725)
真 言 おん あみりた ていせい からうん
四国の正面玄関とでもいえる場所なので 高僧 名僧との
由縁が深い霊場である
奈良時代に行基が開基、唐から帰国した弘法大師が
この地を訪れ阿弥陀如来に霊瑞を観じ真言密教の
霊地と定め 大師自身の像を彫像して厄除けの誓願を
されたこの大師像は「厄除けうたづ大師」として
いまも広く信仰されている
時宗の開祖一遍上人は3ヶ月ほど逗留して「踊り念仏」の
道場を開くなど 真言・念仏の 2教の法門が伝わることに
なり 八十八ヶ所の中で特異な霊場となる
79番 高照院 天皇寺 香川県坂出市西庄町天皇
三輪鳥居
本 尊 十一面観世音菩薩 開 基 弘法大師
創 建 天平年間(729~749)
真 言 おんまか きゃろにきゃ そわか
三輪鳥居
普通の鳥居の左右に小さい脇鳥居を組み合わせた珍しい
鳥居で奈良の大神神社など全国で3ヶ所しかない
この横にはm源頼朝寄進の下乗石
上段には崇徳天皇社が配置されている
本 堂 大師堂
保元の乱で讃岐に流されて崩御された崇徳上皇を都へ奉聞する間 天皇の柩を安置した
ことから寺号を天皇寺と改号した。
明治新政府の神仏分離令により 天皇社は白峯宮となる
鳥居正面は白峯宮で 右側に本堂と大師堂が並ぶ
80番 千手院 国分寺 香川県高松市国分寺町国分
本 尊 十一面千手観世音菩薩
開 基 行基
創 建 天平13年(741)
真 言 おん ばさら たらま きりく
行基菩薩は聖武天皇の勅命を受けて
十一面観世音菩薩を刻み本尊とした
弘仁年間(810~823)に弘法師が
霊場 に定めたが「天正の兵火」で焼失
藩主・生駒氏や松平氏により再興された
大師堂
福松
境内は見事な枝ぶりの松の樹が数本並び立ち「福松」と言われている樹を見上げると
ちょうど宿り木のように鳥の巣のようにこんもりと葉が生い茂っていた(不思議?)
81番 洞林院 白峯寺 香川県坂出市青海町
本 尊 千住観世音菩薩
開 基 弘法大師 智証大師
創 建 弘仁6年(815)
真 言 おん ばざら たらま きりく
智証大師(弘法大師の妹の子)創建されたと言われている
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」
保元の乱で讃岐へ流された崇徳上皇の句で寂しく亡くなられる 後に都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る
法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納し これが現在の
白峰寺になったとされる
崇徳天皇陵墓
82番 千手院 根来寺 香川県高松市中山町
本 堂 本 尊 千手観世音菩薩
開 基 弘法大師 智証大師
創 建 弘仁年間(810~824)
真 言 おん ばさらたらま きりく そわか
弘法大師は金剛界曼荼羅の五智如来を感じ 蜜教修行の地として「花蔵院」を建立された
智証大師が訪れ千手観世音像を彫像し
「千手院」を建て安置した
「花蔵院」「千手院」を総称して根来寺と名づく
はっこう欅
樹齢1600年とも言われるケヤキの老木 名の由来は
智証大師が寺院創建の折にこの樹を伝って下りてきた
白い猿が大師を手助けしたと言われる伝説に由来する
牛鬼伝説
江戸時代初期に この地に牛鬼がいて危害を加えて
いた
弓の名手であった山田蔵人高清は3本の弓で退治した
高清は牛鬼の角を切り取り根来寺に奉納し菩提を
弔ったと伝えられている
83番 大宝院 一宮寺 香川県高松市一宮町
本 堂
本 尊 聖観世音菩薩
開 基 義淵僧正
創 建 大宝年間(701~704)
真 言 おん あろりきゃ そわか
創建当初は大宝寺という法相宗の寺であったが 諸国に
一宮が建てられた時 行基菩薩に寄って堂宇が修築され
一宮寺と改名 後に弘法大師空海が留まり
聖観世音菩薩を刻んで本尊とし真言宗に改められた
仁王門
薬師如来が祀られる小さな祠がある
「地獄の釜」と呼ばれ祠に頭を入れると境地が開けるという
言い伝えがあり 悪い事をしていると頭が抜けなくなる
昔 意地の悪いおタネばあさんは「そんなことはない試そう」
と頭を入れると扉がしまりゴーと地獄の釜の音が聞え
頭は抜けなくなった 怖くなったおタネさんは 今までの
悪事を謝りました、すると頭はすっと抜けました
それからおタネさんは心を入れ替え親切になったそうな
新樺川 観光ホテル
夕食後ホテルのサービスで専用のバスに乗って「香東川」 へ ホタル観賞に出かける
真ッ暗闇の川辺に点々と光るホタルの乱舞に感歎の叫び
川の流れは見えないが木々の間を飛び交う小さな光に
誰も飽きることなく指さして嬉しさいっぱいになった
二日目 ホテル出発7:30
84番 千光院 屋島寺 香川県高松市島東町
本堂(重要文化財)
本 尊 十一面千手観世音菩薩
開 基 鑑真和上
創 建 天王勝宝年間(749~756)
真 言 おん ばさらたらま きりく
鑑真和上は天平勝宝5年(753)苦難のすえ鹿児島に
漂着した、翌年東大寺に船で向かう途次 屋島の沖で
山頂から立ちのぼる瑞光を感得され屋島の北嶺に登った
そこに堂を建て 普賢菩薩像と経典を納め創建された
弘仁6年(815)弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて北嶺にあった伽藍を現在の南嶺に移し
十一面観世音菩薩を彫像し本尊として安置した 寺運は戦乱によって衰退するが 歴代藩主
の援助で修復され 鎌倉 江戸時代の風格を現代に伝えている
御申狸(おんもうしだぬき)
本堂横の大狸は本尊千手観世音の御申狸として善行を つむため四国狸の大将とし
あがめられている
屋島に異変があるとき事前に住職に知らせたという
85番 五剣山 観自在院 八栗寺 香川県 高松市牟礼町牟礼
本 尊 聖観世音菩薩
開 基 弘法大師
創 建 天長6年(829)
真 言 おん あろりきゃ そわか
八栗寺は5剣山(標高375m)の8合目に
あり 全員が揃ってケーブルで上る
向かって右が本堂で左側に大師堂が建つ
弘法大師がこの山で求聞持法を修した時5っの剣が天降り 蔵王権現が守護の神託を告げた
大師はその5剣を山に埋め山の守りとし 5剣山と名付けたという
また大師は唐に渡る前 成果を占って8っの焼き栗を埋めた 帰国後焼き栗は8っとも無事に
成長していた これが八栗寺の由来である
86番 補陀洛山 志度寺 香川県さぬき市志度
本 堂
本 尊 十一面観世音菩薩
開 基 藤原不比等
創 建 推古33年(625)
真 言 おん まか きゃろにきゃ そわか
藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し
「志度道場」と名づけられ、その息子房前の時代
持統天皇、行基とともに堂宇を拡張し学問の道場として
栄えた 能楽の「海士」の舞台としても語り継がれている
仁王門は国指定の重要文化財で
三間一戸八脚門 本瓦葺
仁王像は鎌倉時代の運慶の作で
桧材の寄木つくり阿形は304cm
吽形は325cm豪快に踏ん張っている
五重塔
高さ33m 五層総檜造り 朱の色も鮮やか
志度寺33代住職十河龍澄和尚に少年時代から
励まされて世に出た東大阪市の竹野二郎氏が報恩と
仏法興隆のため私財3億余を寄進し、3年3ヶ月の歳月を
かけて昭和50年5月18日落慶したものである
四国八十八所に5重塔があるのは5ヶ寺である
87番 観音院 長尾寺 香川県さぬき市長尾西
本 堂
本 尊 聖観世音菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平11年(739)
真 言 おん あろりきゃ そわか
天平11年(739)行基が当地で霊感を得て聖観世音菩薩を
刻み堂宇に安置した
空海が渡唐前 当地に滞在し年頭7日目の夜に護摩府を
丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり
毎年1月7日の「福奪い」として今に伝わっている
静御前が源義経と別れた後 母の磯禅師と共に当寺を
訪れ得度したとの言い伝えもあり 静御前の位牌が
左脇陣にある
88番 遍照光院 大窪寺 香川県 さぬき市多和兼割
本 堂 本 尊 薬師如来
開 基 行基
創 建 養老元年(717)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
八十八ヶ所参りの結願の寺で 行基にはじまり 弘法大師
が奥の院の岩窟で修行し 中国の恵果阿闍梨から授かった
錫杖を納めて 山の窪地に寺を建てたことから寺の名前が
ついた
古くから女性の参拝を許していたので「女人高野」とも言う
希望者だけに結願の立派な証書が渡された
1番 一乗院 霊山寺 徳島県 鳴門市大麻町板東塚鼻
本 堂
本 尊 釈迦如来
開 基 行基菩薩
創 建 天平年間(729~748)
真 言 のうまく さんまんだ
ぼだなん はく
大師堂
一番さんといわれ 一年中白装束のお遍路さんで賑わっている
改めて本堂に上がり ご住職の法話を聞く 感慨深く拝聴する 合掌
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