藤原京跡~甘樫の丘
(枚方市野外活動協会主催) 2015-4-29 約150名
行程
京阪「枚方市」8:23-近鉄「丹波橋」8:49-近鉄「大和八木」9:50・・・・
藤原宮跡10:50・・・・天香久山・・・・天岩戸神社・・・・大官大寺跡・・・・飛鳥座主神社・・
・・・・飛鳥寺・・・・甘樫丘・・・・飛鳥川河畔・・・・藤原宮跡・・・・近鉄「大和八木」15:50
枚方市野外活動協会は昭和36年に設立され 全てボランテイアで活動している
完歩ツアーは春、秋、早春、の三回あり人気のツアーで高齢者が多くなった。
近鉄「大和八木駅」に9:45下車 約150人が駅構内の2ヶ所のトイレは長蛇の列で驚いた
駅を出て順次に藤原宮跡まで歩き出す 配布された地図を片手に歩き出すが
列をなして歩くので進行方向に迷う)ことはない
藤原宮跡に到着して 改めてリーダーから 道順や注意事項の説明があり10:50に出発する
藤原宮跡の朱塗の石柱が整然と並ぶ 大極殿院の発掘調査
奈良県橿原市高殿町に藤原京の大極殿の土壇が残っており発掘調査が続けられている
藤原京の建設は天武天皇が(678)新都城建設構想実現のために建設場所の検討を
開始したのが始まりでる
正式に藤原の地に造営することが決定された(684)が、その2年後に天皇は崩御される
持統天皇がこれを継ぎ(694)12月に藤原京遷都を実現した
長閑な田園風景のなかを思い思いの服装 速度で温かい空気を浴びて陽気に歩く
天岩戸神社 拝殿 奥地に巨石があり, しめ縄がかかっている
香久山の南山麓にあり 天岩戸説話は天上界の出来事であるが「天岩戸」とする場所は
日本全国中に数十ヶ所ある。 小鈴をならすと柔らかい音が響いた。
大官大寺跡(向うの小山は天香久山)
天香久山の南は広々とした田園地帯で 田植え前の田園の 風は気持ちいい
「明日香風」とはこのように飛鳥の田畑の上をわたる風をいうのだろうか穏やかでのんびりする
「大官大寺」 文武天皇は、母持統天皇より譲位されて697年に即位し やがてこの大官大寺
建立に着手したのである。 国家の寺であるが 建設途中の和同4年(711)に火災で全て灰燼
に期した (金堂 講堂 は完成 九重の塔はほゞ完成 中門と回廊は建設途中であった)
寺域の大きさは東西205m 南北354mで飛鳥 白鳳時代最大の寺院であった
飛鳥座主神社
延喜式内の古社で「飛鳥」を名字とされる宮司の家は
87代続いている
飛 鳥 寺
589年に百済から仏舎利が献じられ、蘇我馬子が寺院建立を発願し596年に創建した
百済から多くの技術者がよばれ 瓦の製作、仏堂、塔の建設に関ったこれらの技術を身に
つけた人たちや、弟子たちは全国に広がり各地の寺院造形に関することになる
曽我入鹿首塚 (首塚は飛鳥寺から200mの地点にある)
大化改新の時 飛鳥板葺宮で中大兄皇子らに暗殺され首が
ここまで飛んできたので 祟りを怖れて供養するため埋められた
五輪塔は鎌倉時代か南北朝時代かに建立したと考えられる
「大和三山」 畝傍山(199m) 耳成山(138m) 天香久山(152m)
甘樫丘休憩所で昼食後 頂上の展望所に登ってみると 大和三山が一望できた
眺めていると中学生のグループが上がってきて 先生が指さし説明をしておられる
年よりの厚かましさで横から 「先生もう一度 山の位置を教えてください」
先生や生徒にも笑われたが しっかり覚えたよ。(畝傍山 耳成山 香久山)
飛鳥川河畔をしばらく歩く
昔日 犬養孝先生が高らかに歌い上げておられたお顔と
声の朗々とした響きの万葉歌を思い出す
「明日香川 明日も渡らむ石橋の遠き心は 思ほえぬかも」
(詠み人知らず)
「現在の川幅は小さいですが 万葉時代は飛び石を渡るのも
難儀だったようです」と熱く語っておられた
私、笑顔で両手を振っている
明日香の野を150人が歩く
調子よろしおすなあ!
藤原宮跡に戻って「完歩ツアー」参加回数(6回 12回 20回)毎に景品がわたされ 30回の77才
男性には 小型のトロフィーが授与され 大拍手と感歎のどよめきが湧いた
この場所で解散になり 三々五々近鉄「大和八木駅」へ歩き出す お疲れ様でした
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