四国八十八ヶ所 第5回 (24番~30番)
2014-10-29-30 44名
行程 一日目 JR京都駅八条口 7:40
第30番善楽寺=第29番国分寺=第28番大日寺=ホテル南水(泊)
二日目 ホテル7:30 出発
第27番神峯寺=第26番金剛頂寺=第25番津照寺=第24番最御崎寺 = 御厨人窟 京都八条口20:00着
一日目
第30番 百々山 東明院 善楽寺
本 尊 阿弥陀如来
開 基 弘法大師
創 建 大同年間」(806~810)
真 言 おん あみりた ていせい からうん
この辺り一帯は、往時「神辺卿」と言われ 土佐では最も古くから
栄えた地方である
・梅見地蔵は梅の木を見上げているお姿であって首から上の
事にご利益がある(目 耳 脳や 合格祈願等)
梅見地蔵
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 高知県南国市国分
本 尊 千住観世音菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平13年(741)
真 言 おん ばざらたらま きりく
仁王門 (土佐2代藩主山内忠義公の寄進)
本 堂 大 師 堂
聖武天皇が全国68ヶ所に国分寺を建立したのは 天平13年(742)のころで 弘法大師がこの地
を巡錫(じゅんしゃく)したのは弘仁6年(815)のころで 毘沙門天像を彫像して奥の院に安置
された。その際に本堂で真言八祖に相承(互いに受け継ぐこと)される厄除けの「星供の秘法」
を修められれた、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本堂は長宗我部元親が再建し 外観は天平様式を伝え重要文化財に指定されている
第28番 高照院 大日寺 高知県香南市野市町母代寺
本 尊 大日如来
開 基 行基菩薩
創 建 天平年間(729~749)
真 言 おん ばざら だどばん
縁起によると 聖武天皇の勅願により行基菩薩が大日如来の
尊像を彫像して開創されたと伝えられている。
弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)楠の大木に爪で
薬師如来像を彫られた 以後荒廃していた寺が隆盛を誇り
本 堂
17世紀に土佐藩の祈願寺となった
行基菩薩作とされる金剛界大日如来像は高さ146cm
脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ
高さ172cmと大きくともに重要文化財に指定されてる
大師が楠の立木に掘られた「爪彫り薬師」は 頭 眼
鼻 耳 顔等の病に霊験があらかたとされている
大師堂
土佐の 「水切り瓦」
室戸市吉良川町は「水切り瓦」造っている家が多い、強い日差しや雨守る働きがある
技巧的な左官工事で装飾性が高い.費用がかさみその家の経済力を示す
二 日 目 第27番 地蔵院 神峯寺( こうのみねじ) 高知県安芸郡安田町
本 尊 十一面観世音菩薩(伝行基作)
開 基 行基菩薩
創 建 天平2年
真 言 おん まか きゃろにきゃ そわか
勾配45度 13㌔の急坂をタクシーに分乗して中腹まで行く
縁起によると神武皇后の世に勅命で天照大神をを祀る
神社が起源とされる
聖武天皇の勅をうけた行基菩薩が天平2年観音菩薩を
彫像して本尊とし 神仏合祀を行った
明治初期 神仏分離令により 神峯神社だけになったが
明治中期に堂舎を建立し霊場が復活した
幕末の頃三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が20㌔離れた家から急な坂道を21日間日参し
息子の出世を祈願した話はいまも伝わっている
昭和30年代 愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放され
たが 夫婦はこの峯で霊験をえて奇跡的に全治した実例もある(大きな石造が奉納されてる)
第26番 光明院 金剛頂寺 高知県室戸市元乙
本 尊 薬師如来
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
大師が平城天皇(806~809)の勅願により 本尊の薬師如来を彫像して創建した
室町時代に堂宇を罹災したが、長宗我部元親の寺領寄進や、又江戸時代には土佐藩主の
祈願所として諸堂が整備されている
第25番 真言院 津照寺(しんしょうじ) 高知県高知市室津
本 尊 地蔵菩薩(摂取菩薩)
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん かかかび さんまえい そわか
弘法大師が四国ご修行の際 山の形が地蔵菩薩の持つ
宝珠に似ているところから霊地とし、地蔵菩薩を自ら刻み
本尊とし 宝珠山 真言院 津照寺と号された
第24番 明星院 最御崎寺(ほつみさきじ) 高知県室戸市室戸岬町
本 尊 虚空蔵菩薩
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん
ありきや まりぼり そわか
「修行の道場」とされる土佐最初の霊場 太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある
空海19才のころ虚空蔵求聞持法の修法に励み成就し 虚空蔵菩薩を彫造して本堂を建立す
「空海の七不思議」
小石で岩を叩くとかたい鐘の音がする
「空海の七不思議」
「くわずいも」
昔 土地の者が芋を洗っているところに
弘法大師が通りがかりその芋を乞うたところ「これは「食えな
い芋だ」と言って与えなかった、それ以来ほんとうに食べら
なくなったといわれている
(現在は胃腸薬として利用されている)
御厨人窟 (みくろど)
室戸岬町にある弘法大師伝説の海蝕洞である、四国八十八箇所番外の一つで
日本音風100選に選定されている(洞窟の中で聞こえる豪快な波の音)
「御厨人窟」は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられ
いる。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる
「神明窟」で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟り
が開けたと伝えられている
御厨人窟
神明窟
思った通りには ならないが やった通りにはなる
嵐 了寛