2014年11月30日日曜日

七香会 レクレーション

信楽バスツアー
                                   2014-11-9         40名

行程  町内 9:00-枚方東IC-信楽ICー信楽陶苑たぬき村ー陶芸体験ー土鍋めし会席ー

     ーMIHO MUSEUMー町内18:00

          恒例になっている町内会の一年に一度のレクレーションが今年も賑やかに行われた












正面の「大たぬき」が歓迎してくれた
中に入ると信楽陶器のタヌキが大小びっしりと並んでいる
又 食器類 花器 傘立等も館内いっぱいに陳列されている

                         館外の裏山の散策コースには登り窯が保存されていた













「作陶コーナー」                              「絵付けコーナー」
土を捏ねる子供達は真剣に小さい手で頑張っている。      素焼きの器に色絵具でデザイン
湯のみ、お皿、お茶碗、花入れ、でこぼこしたもなど。        絵のセンスが無くても出来たよ。
                                            


作陶や 絵付けが一段落した後は別棟のレストランで

「近江牛すき焼き土鍋めし会席昼食」

町内の方々と歓談しながら豪華なメニューに舌づつみ

話題は日常生活から時事問題まで広がり笑い声の花が咲く



  昼食後は観光バスで MIHO MUSEUM (滋賀県甲賀氏信楽町)

  世界救世教の分派である 神慈秀明会(信者35万人)の創始者である小川美秀子(みほこ)の
  収集品を展示している









ガンダーラ仏立像
パキスタン 
ガンダーラ2世紀後半





              
              
                    隼頭神像
                     エジプト 
         第19王朝初期頃
         紀元前1295-1213



                 
                      

               

 


        
今回の特別展示は獅子と狛犬







ギリシャ、エジプト、中近東、ガンダーラ
中国などの美術品を年代の古さに驚き
乍ら広いゆったりした館内をゆっくり巡る



神秘的な森の中に自然環境に配慮して 建築容積の80%を地中に埋没させるなど 自然の可能を残した設計になっている。



敷地が広いだけにどこも充分なスペース
があり 自然光を巧みに取り入れ 爽やかな空間が演出されている
     






   シャトルバスに乗って入り口のレセプション棟まで戻り お茶をのんだり お土産を買ったり 

   再び全員観光バスに乗って一路 町内に帰着  役員さん方お疲れ様 有難うございました


2014年11月20日木曜日

葦の会

「安土城跡」歴史散策
                                      2014-11-5      26名

  行程 JR京都駅(米原行9:34)ーJR安土駅(10:30)-安土城跡見学ーJR京都駅(15:40)



 JR安土駅前に「織田信長」の像に迎えられる



            
             

                    朝鮮人街道


               織田信長が安土城を築城の際に京都までの              
                                       道を結んだ、「浜街道」と言われ又中山道の
               「上街道」に対して「下街道」とも言われた


            
                          

                      


  セミナリヨ 

      
  イタリア人宣教師オルガンチノによって                                      
  天正9年(1581)創建された、日本最初の神学校の跡
  安土城炎上の際に焼失した 





                             安土城大手口跡

        安土山南山裾には大手口、東虎口1 西虎口1、2、      

        帯郭虎口1 大手口以外に4ヶ所に入り口があった







 
百々橋を渡って安土城に入る   
                    

                        
           築城当時の石垣


      
           
                                            


                         






信長公本廟
羽柴秀吉は天正11年信長公の遺品を埋葬して本廟とした 





            天守跡

           ボランティアガイド氏の熱心な説明を聞く 
           1,2m おきに礎石が整然と並ぶ
           
           標高199mの安土山に我が国で初めて
           天守閣をもつ城を完成させた
           五層七階(約33m)の高層建築であった

              
              


         天守閣跡から琵琶湖を望む。 現在は四方とも干拓により陸地tになっているが
         城の近くまで内湖に囲まれて南方のみ開けた土地であった 




                三重塔は室町時代の建物で享徳三年(1454)建立
       総見寺は安土城築城の際(天正四年)信長公が他所より移築し 本丸の西方の
       峰に自らの菩提寺にしたと伝えられている
       天正十年の天守崩落の際は焼け残ったが 安政元年(1854)本堂など殆ど焼失

      下りは再び自然石のがたがたした石段をころばないようにゆっくり降る
      元の道をあるいて駅前に着く         JR安土駅14:50=JR京都15:40 解散


  

お遍路


四国八十八ヶ所 第5回 (24番~30番)

                                      2014-10-29-30    44名
行程 一日目 JR京都駅八条口 7:40
 
          第30番善楽寺=第29番国分寺=第28番大日寺=ホテル南水(泊)

    二日目  ホテル7:30 出発
           第27番神峯寺=第26番金剛頂寺=第25番津照寺=第24番最御崎寺                                                         =  御厨人窟  京都八条口20:00着
 
 
 
        一日目 第30番 百々山 東明院 善楽寺
                                


         本 尊 阿弥陀如来
         開 基 弘法大師
         創 建 大同年間」(806~810)
         真 言 おん あみりた ていせい からうん

  
この辺り一帯は、往時「神辺卿」と言われ 土佐では最も古くから

栄えた地方である


・梅見地蔵は梅の木を見上げているお姿であって首から上の

 事にご利益がある(目 耳 脳や 合格祈願等) 


                                 梅見地蔵

 

第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺   高知県南国市国分
                                                               
 

 
    本 尊  千住観世音菩薩

    開 基  行基菩薩

    創 建  天平13年(741)

    真 言  おん ばざらたらま きりく                                

仁王門 (土佐2代藩主山内忠義公の寄進)











       本 堂                                      大 師 堂
 

 聖武天皇が全国68ヶ所に国分寺を建立したのは 天平13年(742)のころで 弘法大師がこの地

  を巡錫(じゅんしゃく)したのは弘仁6年(815)のころで 毘沙門天像を彫像して奥の院に安置
   
  された。その際に本堂で真言八祖に相承(互いに受け継ぐこと)される厄除けの「星供の秘法」

  を修められれた、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。

  本堂は長宗我部元親が再建し 外観は天平様式を伝え重要文化財に指定されている

  
  
第28番 高照院 大日寺                高知県香南市野市町母代寺

                               
  本 尊  大日如来

 開 基  行基菩薩

 創 建  天平年間(729~749)

 真 言  おん ばざら だどばん




縁起によると 聖武天皇の勅願により行基菩薩が大日如来の

尊像を彫像して開創されたと伝えられている。

弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)楠の大木に爪で

薬師如来像を彫られた 以後荒廃していた寺が隆盛を誇り                          
                                                  本 堂
17世紀に土佐藩の祈願寺となった
                       

行基菩薩作とされる金剛界大日如来像は高さ146cm
脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ
高さ172cmと大きくともに重要文化財に指定されてる

大師が楠の立木に掘られた「爪彫り薬師」は 頭 眼
鼻 耳 顔等の病に霊験があらかたとされている

                                大師堂 
  
 
                   
   土佐の 「水切り瓦」
   
                                      
               
                        
                                         
                                            
                                                          
                                             
      





室戸市吉良川町は「水切り瓦」造っている家が多い、強い日差しや雨守る働きがある
技巧的な左官工事で装飾性が高い.費用がかさみその家の経済力を示す

二 日 目  第27番   地蔵院 神峯寺( こうのみねじ)    高知県安芸郡安田町


本 尊  十一面観世音菩薩(伝行基作)
  開 基  行基菩薩
  創 建  天平2年
  真 言  おん まか きゃろにきゃ そわか


   
    勾配45度 13㌔の急坂をタクシーに分乗して中腹まで行く
    縁起によると神武皇后の世に勅命で天照大神をを祀る
    神社が起源とされる
 
    聖武天皇の勅をうけた行基菩薩が天平2年観音菩薩を
    彫像して本尊とし 神仏合祀を行った
    明治初期 神仏分離令により 神峯神社だけになったが
    明治中期に堂舎を建立し霊場が復活した





幕末の頃三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が20㌔離れた家から急な坂道を21日間日参し
息子の出世を祈願した話はいまも伝わっている

昭和30年代 愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放され
たが 夫婦はこの峯で霊験をえて奇跡的に全治した実例もある(大きな石造が奉納されてる)


第26番 光明院 金剛頂寺           高知県室戸市元乙




 本 尊   薬師如来
  
 開 基  弘法大師

 創 建  大同2年(807)

 真 言  おん ころころ せんだり              

        まとうぎ そわか






大師が平城天皇(806~809)の勅願により 本尊の薬師如来を彫像して創建した

室町時代に堂宇を罹災したが、長宗我部元親の寺領寄進や、又江戸時代には土佐藩主の

祈願所として諸堂が整備されている

   
第25番  真言院 津照寺(しんしょうじ)      高知県高知市室津


 
  本 尊  地蔵菩薩(摂取菩薩)

  開 基  弘法大師

  創 建  大同2年(807)

  真 言  おん かかかび さんまえい そわか


  

  
    弘法大師が四国ご修行の際 山の形が地蔵菩薩の持つ

  宝珠に似ているところから霊地とし、地蔵菩薩を自ら刻み
  
  本尊とし 宝珠山 真言院 津照寺と号された


                  


   第24番  明星院 最御崎寺(ほつみさきじ)     高知県室戸市室戸岬町



       本 尊  虚空蔵菩薩

   開 基  弘法大師

   創 建  大同2年(807)

   真 言  のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん
                  ありきや まりぼり そわか

「修行の道場」とされる土佐最初の霊場 太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある

空海19才のころ虚空蔵求聞持法の修法に励み成就し 虚空蔵菩薩を彫造して本堂を建立す


    

 「空海の七不思議」  
 
小石で岩を叩くとかたい鐘の音がする

     
 


    「空海の七不思議」                                                       

    「くわずいも」            

  昔 土地の者が芋を洗っているところに
  弘法大師が通りがかりその芋を乞うたところ「これは「食えな    
  い芋だ」と言って与えなかった、それ以来ほんとうに食べら        
  なくなったといわれている
            (現在は胃腸薬として利用されている)

                   御厨人窟 (みくろど)

   室戸岬町にある弘法大師伝説の海蝕洞である、四国八十八箇所番外の一つで

   日本音風100選に選定されている(洞窟の中で聞こえる豪快な波の音)


   「御厨人窟」は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられ

   いる。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる

  「神明窟」で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟り

   が開けたと伝えられている

   
                                                 
             御厨人窟               
                                                   

                   
                                                 神明窟                                                                      
                                   


  



                                                                          

 
 
思った通りには ならないが やった通りにはなる
 
 
                                         嵐 了寛 

2014年11月3日月曜日

東海道五十三次



第1回 三条大橋~大津
                                       2014-10-21        33名

行程  京都(9:00)・・三条大橋・・日ノ岡・・山科・・追分・・月心寺・・蝉丸神社・・札ノ辻・・大津

京都八条口で 大阪集合のみなさんと合流しリーダーの合図でスタートと言ってもJR京都駅

八条口からになったので得をしたのか 損したのか一里(4㌔)京都市内を歩いて五条大橋からは

鴨川の河川敷をあるいて三条大橋に至り改めて講師の説明を聞き「東海道五十三次スタンプ帳」 

と本日のウオークの地図が配布される


 
                    
                                                   







  
お江戸をめざしていざ出発                      三条大橋のたもとに「弥次喜多」
                                                              

参加者の中には 「東海道五十三次」を初めて歩く人もいるが 二度目の人もあるらしい雰囲気で

まあ気楽に歩いていると 先頭の講師がゆっくり立ち止まり新しい石碑を                  

指さし「坂本竜馬の結婚式場」がこの地であると言われる                                                    
   (この地は青蓮院の旧境内で 塔頭金蔵寺跡。 竜馬はお龍の                             
   亡父が青蓮院の医師をあったご縁で金蔵寺住職知足院が仲人を         
   務め本堂で内祝言をした。 元治5年1864年)

東海道は 古代 中世を通じて東西交通の重要な幹線道路だったが

江戸時代に本格的に整備され 6間巾(約10.8m)の道路であった




歌川広重 
「東海道五十三次」 「京都」

・茶色の山は 比叡山

・緑色の山の中腹に清水寺

・橋を渡る人右から行商2人

・番傘をさす裃姿の武士

・日傘を下女に持たせた
           商家の娘

                                    ・川面を眺める旅人の後ろに茶筅売                  
                                     (稲を束ねたものに茶筅をさしてる)

「日ノ岡」辺りで旧東海道の狭い道に入り「亀ノ水不動明王」(木喰寺跡)の前に立ったが

残念ながら荒地で 雑草が思い切り伸びてしまっている

  八年前に来た時は 江戸から京都に上って来て旅人が

  最後の水飲み場であった事に納得した、昔に思い巡らし                     

  亀型の口から出てくる水を飲んで感慨があったが               

  現在は管理者の不都合で荒れ果て憐れである

      亀の水不動                               
         


再び一号線に出て天智天皇陵前を通り過ぎJR山科駅前に到着

昼食タイムでお弁当が配られる  ゆっくり雑談などしてくつろぐ

講師が午後は月心寺と蝉丸神社を過ぎたら「大津」で終わりです

と皆さんを励ますように張り切って声をかける

子供の頃から 琵琶湖の水泳場に良く通った1号線(東海道)なので

見慣れた道のりには 感動は無いが 運動だと思って歩く

  

   
                  

 

      






   月心寺(名泉 走り井)

                     


     


     

「大津」  ・背景にこんもりとした逢坂山                     

  ・走り井茶店の中に巡礼の女が2人入って来たところ

  ・左手前に走り井の水がこんこんと湧き出て魚の行商人が平桶に入れてある魚を冷やしている




京阪電車の遮断機の向うに「蝉丸神社」

「逢坂の関」の守護神

ご祭神  猿田彦 豊玉姫  琵琶の名手 蝉丸霊を合祀




石碑  「逢坂の関所跡」










   国鉄東海道線 旧逢坂山隧道東口

明治10年(1878)東口と西口から掘削し
明治13年に竣工

生野銀山の労働者がノミやツルハシで
                    掘った




                            

                  
               
鉄道旧隧道口から再び1号線(東海道)を東へ歩いて「札ノ辻」に
至る 道標から左(西)へは北国街道に通じる

道標から京町通りを少し歩くと「大津事件跡」碑がある
明治24年ロシア皇太子暗殺未遂事件があった
明治天皇は翌日見舞いに赴かれたり 大臣方が辞職したり     日本中に大激震が走った。
                                                                            JR大津駅前に到着しここで解散となる   16:00