2019年2月8日金曜日

文学 歴史ウオーク


 シルクロード旅行記と奈良街道                  
                           2019-1-13   50名

   コース
   東大阪市市民プラザ(講演)ー熊野大明神、深江郷土資料館(通貨)ー道標ー
   ー里塚ー玉津橋(平野川)ー奈良街道碑ー二軒茶屋跡ー東木橋北公園
                             (環状線玉造駅そば)
シルクロード旅行記を熱弁

講師 芝川明義氏
 高校教員(地学)退職後 夢であったシルクロードの 
 旅を続けている
 シルクロードの終着点が奈良という考えもある




芝川明義氏










敦煌
メルケト(地元の楽団)








パミール高原
ウルムチ(赤ん坊のミイラ)














  シルクロード (中国とローマとの間の主要貿易路)
   1.南方路 敦煌からタクラマカン砂漠~パミール高原
   2.北方路 敦煌からトゥルファン~ウルムチーイリ川流域にいたる
   3、中央路 敦煌から楼蘭~コルラ(最も重要な隊商路として4世紀前半まで   
     使用されていた)

   絹(シルク)が中国からこの道を通って西方に運ばれたところから ドイツの
   地理学者リヒトホ-フェンが命名。絹の道。

   2014年洛陽から長安を経て中央アジアに至る路線(全長8700㌔のうち5000㌔に
   わたる部分を「長安 天山回廊の道路網」として世界文化遺産に登録された
         。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

   暗越奈良街道
   奈良時代の官吏にペルシャ人と推定される「破斯清通(はしのきよみち)」は
   式部省大学寮に勤務していた
   奈良がシルクロードの終着駅と考えると 大陸から来た人や品物は 難波から
   生駒山地の「暗峠」を越えて奈良にいたる街道である  

近鉄布施駅~歴史街道~JR玉造駅

   
駅前商店街

午前中の講義が終わって近鉄 布施駅前からスタート
 


奈良街道、伊勢街道の説明

菅笠の里
 菅笠の里
 その昔深江村のなかにも 水路が張り巡らされ その水を利用して
 菅田が点在していた
 刈り取った菅で農閑期には副業として菅笠を編んでいた
 
  第11代垂仁天皇の御代に笠を縫うことを仕事とした一族がいた
 
  歴代天皇の即位 伊勢神宮の遷宮に使用する笠(直径2m)を  
  献納していた
伊勢参りに菅笠を買う














  伊勢音頭に「大阪出てから早や玉造 笠を買うなら深江が名所」と歌われた

菅草



縫いたつる 心深江の菅小笠 あめの下にぞ
 名はみちにける (千種中納言)
 
推し照る浪速菅草 置き古し
 後は誰か着ん 笠ならなくに(万葉集巻 11-2819)







  深江稲荷神社        大阪市東成区3丁目    
本殿
深江稲荷神社












       御祭神 稲倉魂大神 (ウガノミタマノオオカミ)
           猿田彦大神 (サルタヒコノオオカミ)
            天鈿女大神 (アメノウズメノオオカミ)

 垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖がこの地に居を定め 下照姫命を奉祀したのが始まり

  法明寺         大阪市東成区深江南3丁目

法明寺

   鎌倉末期の1318年(文保2年)大念仏寺7世で中興の
  祖と呼ばれる 法明上人が両親菩提のための草庵を
  結んだのを創紀とする



道標





  暗越奈良街道
  大阪から奈良へ通じる旧街道として4~500年前に
  開けた
  大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ暗越と呼ばれる
  ように 生駒山系の暗峠を越える最短のコース
  八里八町の官道(約3,4km)

  平野川分水路

平野川分水路
平野川











   奈良朝から平安朝にかけて 百済の郡が置かれていたことから百済川とも
   呼ばれていた
   大雨になると毎年のように氾濫していたが 昭和33年に分水路が完成して
   被害が減少した

左 なら いせ道
火袋式傘型道標
火袋式傘型道標














    「左いせ、なら道、八尾久宝寺道」と記された上部を四角にくりぬいて
  ”火袋”とし、上に笠をのせた珍しい道標。  文化3年(1806)
  

  熊野大神宮


本殿










 熊野大神宮ご祭神
            伊邪那尊  イザナミノミコト
            速玉男命  ハヤタマヲノミコと
            事解男命  コトサカヲノミコト 
            大己貴尊  オオナムチノミコト
            素蓋男命  スサノヲノミコト
            奇稲田姫命 クシナダヒメノミコト 
    
  第31代 用明天皇(聖徳太子の父)が創建した神社
  大坂城代は就任と領内巡視の時に参詣することを恒例としていた
 
  妙法寺        大阪市東成区今里4丁目

妙法寺
本堂











  聖徳太子の創建と伝えられる
  近世国学の祖と言われる契沖が延宝7年(1679)~元禄3年(1690)住職をしていた

母 兄 契沖の墓

  契沖  近世国学の始祖
  学徳の高い真言宗の僧侶であり 万葉集を中心
  とする古典の注釈 歴史的仮名遣いの研究
  徳川光圀から託され「万葉代匠記」を完成する    
   
                                  
高麗橋から4,7㌔
暗越奈良街道












平野川
玉津橋















暗越(くらがりごえ)奈良街道の道筋にあり 江戸時代初期には架けられていた
   と考えられる 歩道は石畳風敷石が並べられている

暗越奈良街道

               中道本通警邏連絡所
  
中道本通警邏連絡所

奈良街道入り口付近にある当時の面影をそのまま
残している警邏連絡所(交番ではない)
 
戦争により周囲の家屋の大半が空襲で焼損する中で
唯一焼け残り 当時の姿を今日に伝えている



二軒茶屋跡





   二軒茶屋:玉造に「鶴屋」「枡屋」の二軒が建てられ
        旅人の休憩所として繁盛したと伝わっている

   石橋:二軒茶屋のそばに流れていた猫間川に橋があり
      宝永8年(1711)に石橋に架け替えられ正式に
      黒門橋といった 大正13年に撤去された
   

猫間川跡
猫間川 
  百済川に対して高麗川(こまがわ)といわれていた
  のが訛って猫間川になった
  阿倍野区に端を発し上町台地の水をあつめながら
  東成区 城東区と森ノ宮の砲兵工廠の西北端で
  平野川に合流していた 長さ4.5㌔川幅10m
  昭和32年完全に暗渠化された
  大阪の陣では真田幸村とともに猫間川が登場してくる
  小松左京の「日本アパッチ族」にも登場している


JR環状線 玉造駅
歩行 約5キロ  解散15:00 おつかれさまでした

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