交野市 私部会館 2017-1 -22
観世流 交謡会大会にご招待に預かり知人4名が観賞に臨席させていただく
「三輪」 |
「花月」 |
「盛久」 シテ 大塚 勇氏 |
盛 久 (もりひさ)
物語 平盛久は壇ノ浦の戦い後 逃亡していたが1186年(文治2年)
捕えられれて鎌倉へ送られてきて由比ヶ浜で斬首の刑と決まった
捕らわれ人平盛久の東下りの道中の地名が歩を進めるように語られる
清水寺の花盛り帰る春なき名残かな・・・ 知るも知らぬも逢坂の関も・・・
瀬田の長橋うち渡り・・・ 哀れは老蘇(おいそ)の森を過ぐるや美濃尾張・・
熱田の浦の夕汐の・・・・まはれば野辺に鳴海潟また八橋や高師山・・・・
濱名の橋をうち渡り・・・変わる淵瀬の大井川・・・越えても関に清美潟・・
三保の入海田子の浦・・・真白なる雪の富士の嶺箱根山・・・
早や鎌倉に着きにけり・・・ 由比の汀に着きしかば・・・
由比ヶ浜 |
三保の松原 |
聞いている中に東海道のあの場所 此の地(鎌倉時代なら道も険しかったであろう)
が思い出され憐れ盛久殿に胸が詰まって思わず涙がこぼれ落ち・・耐え偲ぶ
盛久が処刑を免れた場所 |
盛久は 京都の清水寺の観世音菩薩を深く信仰していたので 熱心に祈りを続けた
結果 処刑前夜に観世音の霊夢をみた
(処刑のときになると 持っていた経巻から光が発散し処刑人は目が眩(くら)んで
振り上げた刀を落とし 太刀も2つに折れてしまった)
これを聞いた源頼朝は盛久を招き「自分も同じ夢をみた 観世音のお告げである」
として助命し 盛久は頼朝に所望されて舞を舞ったのだという
澄み切った声が朗々と重厚に場内をゆるがして古典の世界に浸る
幸せな気分をふくらませて家路に着く
2 件のコメント:
思考回路が緩めの人は、高尚な古典文化の場に紛れ込むと足のしびれやあくび地獄に陥りそうです。こはいかに
-ごまん-
古典も山歩きもいずれもロマンに満ちた世界で老いぼれの身からすれば輝いて 見えますがなあ あくびがでるのはお主がまだお若うござんすってことよ
コメントを投稿