2014年12月5日金曜日

oo東海道五十三次を歩く   第2回

大津宿から草津宿
                                       2014-11-1       27名

行程  JR大阪7:45=JR京都8:18=大津8:28ー義仲寺ー膳所城跡公園ー瀬田唐橋ー     

      建部神社ー1里塚跡ー野路の玉川公園ー太田酒造 旧問屋場跡ー草津追分ー
 
        ーJR草津16:51 解散  =JR京都=JR大阪(17:30    歩程約15Km

 東海道ウオーク第2回目はJR大津駅から9:00スタートで京町を通りまもなく「義仲寺」に着く
 このあたり、古くは「粟津ヶ原」といい、琵琶湖に面し景勝の地であった


木曽義仲の墓
     別 名  朝日将軍 (1154~1184)  
           子   義高  四郎義宗
                      
     源範頼 義経の軍勢と戦い この地で討死した
      




    芭蕉翁の墓
                     名  忠右衛門宗房  (1644~1694)


          元禄7年10月12日大阪で亡くなられ(51才)その夜去莱                                              
     其角 正秀ら門人十人 遺骸を守り川舟に乗せて淀川を              
     上り伏見に至り13日午後義仲寺に入る14日葬儀、                
      深夜ここに埋葬した。




      
  

巴  塚      
     木曽義仲公の側室巴御前の塚。
     武勇すぐれた美女で、武将として義仲公を助けたという。





義仲寺を出て街中の旧東海道をひたすら歩く 石坐神社(海の神)を拝礼し又すこし歩くと和田神社に至る 昔この辺りは和田浜と言われてた地名から付けられたらしい
神社の境内には樹齢600年の大銀杏が聳えていた。
石田三成が関ヶ原で敗れて京へ護送されていく途中この銀杏の傍で休息したと言われている
                                                 

 膳所城跡公園

 
  
 徳川家康は東海道の押さえとして膳所城
 を築城した(1601)
 明治3年に新政府により廃城した
  本丸跡を公園にし 城門は復元した
 現在桜の名所でもある
 





膳所城跡公園を10:30頃出て1時間程歩いて瀬田の唐橋際にある「俵藤太像」前に至り物語を聞く
近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり人々は怖れて橋を渡れなくなったが、    通りかかった俵藤太は大蛇を踏みつけて渡ってしまった、                その夜美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む竜神で大蛇はこの娘が   姿を変えたもので、竜神一族が
三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した
藤太は三上山を7巻き半する大百足を矢を射て退治した
竜神から礼として米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた
藤原秀郷(俵藤太)は平将門を討つという大功を挙げながらも それ以降の
資料がとぼしく 生没年は不詳だが、秀郷の子孫は関東中央部を支配する                  武家諸氏の祖となった。






     瀬田 の唐橋






東海道・中山道方面から京都に向かうには、琵琶湖をわたるか、南北いずれにか迂回するか、
そして瀬田川にかかる唯一の「瀬田の唐橋」を渡るかで京都防衛上の重要地で 古来より
唐橋を制するものは天下を制すと言われていた

         武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の唐橋

東から京へ登るには矢橋(やばせ)の港から大津への航路が早いとされていたが、反面
比叡おろしの強風で船出 舟着きが遅れることあり 瀬田まで南下すれば風の影響を受けず
唐橋を渡れば日程が乱れることがない   「急がば廻れ」の諺の発祥である


建部神社       大津市神領1丁目
       
      創建  景行天皇46年(117年)
      祭神  本殿  日本武尊
           相殿  天照皇大神        
           権殿  大己貴命(大国主命)  
                                                   
   平家に捕らわれた源頼朝が伊豆へ向かう途中立ち寄り
   源氏再興を祈願された。以来、出世開運の神と崇敬される

 
      



野路の一里塚               
江戸から数えて199里目







         萩の玉川                                                           
       玉川とは玉のようなきれいな湧水のことを云う
                              萩の名所であったこの地は「日本6玉川」の一つ


太田酒造
    会長  太田実則(おおたみのり)は太田道灌の18代目

    太田道灌は文武両道に優れ江戸城を築いた
    6代目の孫太田正長の時に幕府の命を受けて草津に移住
    「貫目改所」「人馬継立所」の公的機関の役割を果たす
    江戸末期に近江米で酒つくりを始める
      「大吟醸 道灌」 「大吟醸 鶴亀」




茶店の右角に道標がでており、 旅人が二人右奥の道へ進んでいるが、街道から分かれて
この道を行くと琵琶湖畔の矢橋(やばせ)に至り 舟で大津宿へ行く

左方に向かう早籠は二人の駕籠かきの他に前曳きと後押しをつけ、さらに横で声をかけて
歩調を合わせる五人からなる。客は振り落されまいと必死になって垂れ綱を握りしめて籠の
中にうずくまっている

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