2015年3月31日火曜日

お遍路




四国八十八ヶ所巡り     第8回
                                     2015-3-25-26      37名

行程  一日目 枚方7:30発=高槻8:20=明石海峡大橋=大鳴門橋=室津PA=吉野川SA=                         
          石鎚山ハイウエイオアシス(昼食)=44番大宝寺=45番岩屋寺=道後温泉18:30
                                (バス走行約330km) ホテルルナパーク(泊)

     二日目 ホテル7:30発=51番石手寺=50番繁多寺=49番浄土寺=48番西林寺=
                            46 番浄瑠璃寺」=47番八坂寺=砥部焼陶芸館=ハタダお菓子館=                
           吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋 淡路ハイウエイオアシス=           
           明石海峡大橋(バス走行約480km)枚方19:20着
                                          
                                          第44番  大覚院 大寶寺  愛媛県上浮穴郡久方高原町
     
   本 尊  十一面観世音菩薩
   開 基  明神右京 隼人
   創 建  大宝元年(701)
   真 言  おん まか きゃろにきゃ そわか


                         
                                                                大和朝廷の時代に 百済から来朝した聖僧が携えて来た
十一面観世音菩薩像をこの山中に安置していた。

 飛鳥時代になって安芸(広島)から来た明神右京 隼人
 という兄弟の狩人が菅草のなかにあった 観音像
  を 見つけ草庵を結んで祀った

 弘法大師がこの地を訪れたのは 120年後で(822)で
 密教を修法されて 四国霊場の中札所と定められた

 山門の両脇に大わらじが吊り下げられ右のわらじを     さすったら自分の右足をさすり 左の大わらじを       
 さすって自分の左足を誰も笑いながらも 神妙にさする







                                      第45番 海岸山 岩屋寺    愛媛県上浮穴郡久方高原町
                               

 本 尊  不動明王
 開 基  弘法大師
 創 建  弘仁6年
 真 言  のうまくまんさんまんだ         
     そわた や  うん たらた かんまん 

標高700m 巨岩の中腹に埋めこまれる     ように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場  
である
 麓のバス駐車場から石段や坂道を喘ぎ    
 喘ぎゆっくりと上る
 

大師堂  (国指定重要文化財)


  上り坂の山際に数百体の地蔵様が整然と並んで古今の人々の
  信仰の厚みを感じる
 





  

 道後温泉街に建つ「ホテルルナパーク」に18:30到着 

   夏目漱石も入ったという「道後温泉」は多勢の観光客
   で賑っている

 
  2日目  ホテル7:30出発



第51番 虚空蔵院 石手寺

          愛媛県松山市石手二丁目

 本 尊  薬師如来
 開 基  行基菩薩
 創 建  天平元年(729)
 真 言  おん ころころ せんだり
       まとうぎ そわか
  
     
                     



神亀5年(728)伊予の豪族 越智玉純がこの地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀って
鎮護国家の道場を建立し 聖武天皇(724~49)の勅願所となった、

翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫像し本尊に祀って    
開基し法相宗の「安養寺」と称した                        
「石手寺」に改称したのは寛平4年(892)衛門三郎再来の説話によるとされている。                
                                   (折鶴の奉納) 
              
                            

衛門三郎伝説
むかし伊予の国(松山市)に河野衛門三郎という大百姓が住んでいた ある日一人の坊さんが
やってきて托鉢の鈴を鳴らした。三郎は昼寝を破られた腹いせに竹箒でお坊さんの碗をたたき
落した  椀は8ッに割れて飛び散った
そんなことがあった翌日から衛門三郎の八人の子供が次々と死んでしまった

毎日泣き暮らしていた或る夜 衛門三郎の夢枕に旅の坊さんが現れ「前非を悔いて情け深い
人になれ」と告げられた
夢から覚めた衛門三郎はあの時の旅僧は弘法大師だと気が付きました、そして許してもらおうと
四国中を二十数回廻ってる途中 阿波(徳島県)の第12番札所 焼山寺で倒れてしまった。

その時弘法大師が現れ「これでお前の罪も消える、最後に望みはないか」と声をかけられた
衛門三郎は「故あって離れている河野一族の世継として生まれ変わらせてください」
大師は「衛門三郎再来」と書いた小石を手に握らせました

それから数年後伊予の国の領主 河野息利に玉のような男子が生まれたが 左手を握った儘
開かないので安養寺の住職に祈願してもらいました
「きれいな川の水で洗えば開く」とお告げがあり そのとおりすると手が開いて中から

「衛門三郎再来」と書かれた小石がころがり落ちました、小石は安養寺に収められ寺号を
「石手寺」に改めた

この小石は現在も 石手寺の大講堂正面に安置してあり拝観すことが出来る



第50番 瑠璃光院 繁多寺
                            愛媛県松山市畑寺町

 本 尊  薬師如来
 開 基  行基菩薩
 創 建  天平勝宝年間(749~757)
 真 言  おんころころ せんだり まとうぎ そわか


 孝謙天皇の勅願により行基菩薩が90cmの薬師如来像を彫像して
 建立し「光明寺」と号された
 弘法大師がこの地を巡錫し「東山 繁多寺」と改め霊場とされた

また 天皇家の菩提寺である 京都・泉湧寺とのゆかりも深く
後小松天皇の勅命により(1395)泉湧寺26世快翁和尚が
第7世住職となっている
                       寺には16弁のご紋章のついた瓦が残っている


風は冷たいが桜はちゃんと咲き始めている



  第49番 三蔵院 浄土寺
                           愛媛県松山市鷹子町
   
  本 尊  釈迦如来(伝行基菩薩作)                        
  開 基  恵明上人                               
  創 建  天平勝宝年間(749~757)
   真 言  のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

   女帝 孝謙天皇(749~58)の勅願寺として 恵明上人により
   行基菩薩(668~749)が彫像した釈迦如来像を本尊として祀り
   開創された、

   空也上人(903~72)が四国を巡歴し 浄土寺に滞留したのは
      平安時代中期で 天徳年間(957~61)の3年間 村人たちへの
   教化に努め布教をして親しまれた

   境内入口に正岡子規の句碑
         
          「霜月の空也は骨に生きにける」




 第48番 安養院 西林寺
                  愛媛県松山市高井町

  本 尊  十一面観世音菩薩
  開 基  行基菩薩
  創 建  天平13年(741)
  真 言  おん まか きゃろのきゃ そわか 

      聖武天皇の天平13年 行基菩薩が勅願により堂宇を
                            建立した

   大同2年(807)弘法大師がこの寺に逗留し国司の
      越智実勝公と協議、四国霊場と定め国の安泰を祈願した

  門前に正岡子規の句碑
    「秋風や 高井のていれぎ三津の鯛」

  「ていれぎ」とは清流に自生する水草で辛みがあり刺身の
  ツマである、  松山市指定天然記念植物
   


第46番 養珠院 浄瑠璃寺
                   愛媛県松山市浄瑠璃町
本 尊  薬師如来
開 基  行基菩薩
創 建  和同元年(708)
真 言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 


                          行基菩薩が和同元年に布教のためにこの地を訪れ仏法を
修行する適地として伽藍を建立した。
白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とした
寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から浄瑠璃寺とした

約百年後大同2年(807)弘法大師が荒廃していた伽藍を修復
四国霊場の一寺とした

             

    第47番 妙見院 八坂寺
                愛媛県松山市浄瑠璃町八坂
  
      本 尊  阿弥陀如来(伝恵心僧都作)
      開 基  役行者小角
      創 建  大宝元年(701)
      真 言  おん あみりた ていせい からうん 
  
   修験道の開祖 役行者小角が開基と伝えられるから
   1300年の歴史を有する古い寺である。
   飛鳥時代の大宝元年 文武天皇の勅願により
   伊予の国司 越智玉興公が堂塔を建立した 

   弘法大師が百余年後弘仁6年(815)荒廃した寺を
   再興して霊場と定めた

   本堂の地下室には全国の信者から奉納された
   阿弥陀尊が約8000祀られている
 
 
   帰路は「砥部焼陶芸館」 「ハタダお菓子館」 「吉野川ハイウエイオアシス」に立ち寄り
   それぞれの買い物を楽しむ・・・・・・・・・・・・         枚方着20:30


  

2015年3月18日水曜日

美術館めぐり

 
名古屋ボストン美術館と愛知県美術館
                                      2015-3-11      47名 


       枚方市民会館大ホール前7:10=御在所SA=名古屋ボストン美術館=昼食
       愛知県美術館=関ドライブイン=枚方市民会館前着 18:30

(公財) 枚方市文化国際 財団が主催する美術館めぐり

  名古屋ボストン美術館(名古屋市中区金山町)
  「華麗なる ジャポニスム展」

  19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋では浮世絵をはじめ
  日本美術が大流行した。
  
浮世絵の大胆な構図と色使い、独特の装飾模様は西洋の美意識に
                    根本的な変革をもたらし、ジャポニズムという現象が生まれた

                    ボストン美術館の所蔵品より 絵画 版画 工芸など150点を展示


    





 












喜多川歌麿(母子図たらい遊び)             メアリー・ステイウ”ンソン・カサット(湯浴み)


                                      



 


  

               






                                

歌川広重                          エドウ”ァルド・ムンク{夏の夜の夢(声)}
(名所 江戸百景 神田明神曙之景)                                           1893年                  


    



                                           
                                      



                                 
                        
                          
                  クロード・モネ(睡蓮) 1899年













クロード・モネの大作(ラ・ジャポネーズ)

                                      モニュメント看板で変身でござります


愛知県美術館 (愛知芸術文化センター10階)  名古屋市東区東桜



   ロイヤル・アカデミー展

英国最古の美術学校であるロイヤル・アカデミーのコレクション展

18世紀から20世紀初頭までの英国美術を代表する画家の作品
を展覧している


英国最古の美術学校であるロイヤル・アカデミーは英国美術の伝統が継承され強化された。





チャールズ・ウェスト・コウプ (1875年度のロイヤル・アカデミー展出品審査会)  1876年

                画面左側は審査員達      右側は出品者達




    ジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナー
                   (ドルバターン城) 1800年
 








  ジョンウ”ァレット・ミレイ
    (べラスケスの思い出)1868年


 1859 年ルーブル美術館を訪れたミレイが
17世紀スペインの宮廷画家ベラスケスが
描いた3才のスペイン王女マルガリータの                             肖像画にインスピレーションを受けて               描い たと言われている
                                                               ベラスケス
                        
                          (マルガリータテレサ王女の肖像)
                                   ルーブル美術館蔵






           帰路のバスの車窓から 「寒緋桜」の華やぎに歓声が上がった

2015年2月14日土曜日

お遍路

四国八十八ヶ所   第7回
                                   2015-2-12~13      41名

行程 一日目  梅田(7:40)=明石海峡大橋=大鳴門橋=39番延光寺=アカメ会館=
           =四万十川遊覧=ホテル足摺園(泊)

    二日目  ホテル(7:40)=38番金剛福寺=足摺黒潮市場=40番観自在寺=41番
           龍光寺=42番仏木寺=43番明石寺=松山道 石鎚レストパークリンリン
         徳島道 吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=明石海峡大橋=梅田(22 :00)

  一日目
          第39番 寺山院 延光寺              高知県宿毛市平田町中山


 本 尊  薬師如来
 開 基  行基菩薩
 創 建  神亀元年(724)
 真 言  おん ころころ まとうぎ そわか

土佐路の最南端、「修行の道場」の最後の霊場である
行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて薬師如来を彫像し
これを本尊とした

                         弘法大師がこの寺を訪ねたのは延歴年間(782~805)で
      桓武天皇の勅願所として再興


眼洗い井戸
 大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が今日に伝わる
 「眼洗い井戸」である



四万十川遊覧
柿田川、長良川と共に三大清流の一つ で
 ある四万十川を30分ほど遊覧する

遊覧船で投網漁法と 柴漬け漁法を見る
投網漁法は体力と熟練がいる
実演で引き揚げた網の中には残念乍ら
何もなかったが漁師のユーモアで爆笑した

柴漬け漁は枝に葉のついた柴を束ねて水中に沈めて置き 翌日に引き上げ大網で掬い捕る漁法
これには もずく蟹が3・4匹ひっかかっていたが 本命はうなぎがいるそうな これも又言い逃れ的な解説に笑わせられた。

                                  

  宿泊  ホテル足摺園  高知県土佐清水市足摺岬

   豪華な皿鉢料理を部屋毎グループの3人と仲良く珍しい
 料理を一品一品 取り上げて楽しく頂く
 知らない者同士が食べることで お互いの話題が広がる
 一人は登山家でリーダー格、一人はけもの道歩きが好き、
 偶然に山好きが三人集まって嬉しい会話になった


二 日 目        ホテル出発 7:30 
                                                   

 第38番 補陀落院 金剛福寺   高知県土佐清水市足摺岬

 本 尊 三面千手観世音菩薩
 
 開 基 弘法大師
 創 建 弘仁3年(822)
 真 言 おん ばざらたらま きりく


   弘法大師は足摺岬突端に広がる太平洋の  大海原に 観世音菩薩の理想の聖 地 補陀落の世界を感得した。

岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、断崖に砕ける波涛、 観世音さまの浄土を連想させる

ここにたどり着く遍路の旅は壮絶で、      前の37番札所から80余Km。           車で2時間余歩いたら約30時間で3泊4日は かかる まさに「修行の 道場」である



        第40番 薬師院 観自在寺          愛媛県宇和郡愛南朝
       


 本 尊  薬師如来
 開 基  弘法大師
 創 建  大同2年(807)
 真 言  おん ころころ せんだり おとうぎ そわか

 本堂は昭和39年全国の信徒の浄財だけで再建された


愛媛県は「菩提の道場」
弘法大師が大同2年に平城天皇の勅命を受けてこの地を訪れ 一本の霊木から本尊の
薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫像して安置し開創された
残った霊木に「「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝板を造って祈願された

                           第41番  護国院 龍光寺         愛媛県宇和島市三間町戸雁



  本 尊  十一面観世音菩薩
  開 基  弘法大師
  創 建  大同2年(807)
  真 言  おん まか きゃろにきゃ そわか 

  
宇和島は伊達家十万石の城下町で、往時の神仏習合の面影を
色濃く伝えている霊場である 山門をくぐると狛犬が迎えてくれる

弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの老人が現れ「われこの地に住み法教を
守護し、諸民を利益せん」と告げた

大師はこの老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、稲荷明神像を彫像し安置した。
本地仏とする 十一面観世音菩薩 脇侍として不動明王 毘沙門天も造像し一緒に安置し
「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる

           第42番  毘廬舎那院 仏木寺         愛媛県宇和島市三間町則


   本 尊  大日如来(弘法大師作)
  開 基  弘法大師
  創 建  大同2年
  真 言  おん あびらうけん ばざらばどばん

弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま
牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって
光を放っているのを目にした、これは唐から帰朝する時に、
有縁の土地が選ばれるようにと 三鈷と共に東方に向かって
                    投げた宝珠であった。

大師はこの地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を
彫像、眉間に宝珠を埋めて白豪とした、これを本尊として安置し「一山仏木寺」と名づけた。     
 

           第43番   円手院  明石寺      愛媛県西予市宇和町明石
                     

  本 尊  千手観世音菩薩
  開 基  円手院正澄
    創 建  600年代
  真 言  おん ばざらたらま きり そわか

   

  

 



       6世紀の後半 円手院正澄と言う行者が欽明天皇の勅願により建立            
       弘仁13年 (822)  弘法大師は嵯峨天皇の勅命を受け荒廃した伽藍を再興                     
       建久5年(1194年)  源頼朝は池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納                          
        室町時代に 領主西園寺家の祈願所とした 
       江戸時代は 宇和島藩主伊達家の祈願所となり末寺は70余寺をを数えた

    (土佐高知16ヶ所修行の道場 第24番最御崎寺~第39番延光寺) 

バス走行距離 一日目約500Km 二日目約500Km  帰着大阪梅田22時 お疲れ様でした。

 

2015年1月31日土曜日

インフルエンザ

養生あれこれ
                          2015-1-12~~~~~1-29

1月12日 朝食のテ-ブルに座って 体がなんとなく熱っぽいので 体温計を脇にはさんで見ると
38° 「えっ!」 と思ったら咳が矢つぎばやに出る
内科診療所で「検査の結果 「インフルエンザです」! 桑原 桑原(くわばらくわばら)でござる
爾来 ひたすら安静 睡眠と 時の流れに身をまかせ 2週間余過ぎて普通の人間に戻った

日頃バタバタ動き廻ってる生活から一転静止してしまって 唯一の楽しみは食べる事しかない

・ お米からおかゆを炊いて 改めて冷ごはんから作ったものでない美味しさに感動し             
  道の駅で買った昔つくりの梅干しの酸っぱさに震えながらも体に良いような気がした

・体が熱っぽいと冷たいものが食べたいが 栄養価の高い力の付くものも食べたい
 
 豚肉を さっと炒め砂糖 醤油で甘辛くし生姜をすりおろす。小松菜のおひたし。これも良し。
 デザートに 「ハーゲンダッツの小カップ」をゆっくり食べて終了

・風邪の為に調合されたお薬を真面目に飲むのも良いが どうも胃が重たい なんとかしよう。
 美味しいにゅうめんをつくろう 
 三輪そうめん山本の「白髪」は2013年にモンドセレクション金賞をとった 太さ0,3mmで        
 ゆで時間約30秒の簡単さである あっと言う間に出来上がる
 アツアツのそうめんに 食が進む  とりの手羽元の塩焼きを両手に持ってかぶりつく
 デザートは新鮮ないちご「さがほのか」 果物はやっぱりいいな!さっぱりした

・診療所で「熱はありませんが 体がしゃんとしません」と話して 別の薬を調合していただく
 帰りにスーパーのさかな屋さんの「上にぎり鮨」とインスタントの「シジミの赤だし」を買う
 日頃出来合いのものは買わないが まあ試しに食べてみる
 シジミ汁は以外と美味しかった(これならいける)「上にぎり」はパクパク食べてお腹いっぱい

・体調も殆ど元に戻ったが 昨日からちょっと食べ過ぎて胃が重い
 本日は「雪鍋」にしようと大根のすりおろしに気合をいれる
 中土鍋の8分目まで一所懸命に大根をすりおろし だし 醤油で薄味にし カニの足 椎茸       
 かぼちゃ 大根を入れて ぐらっときたら火を止めて 食卓へ
 あっさりして お箸がよく動く     満腹 満足 安心      ごちそうさま。

・「雪鍋」は正解だった  心身ともに良好  

 

    風邪で寝込んでいる間 助けられた食材に感謝
                  毎月 産地から送られてくる野菜や果物たち
        

  

                                      
   
                1月→
←2月

蓋を開けると心の籠った品物に思わず笑顔になる











2015年1月28日水曜日

枚方山歩きの会

三輪山(460m)
                                     2015-1-10         35名

交通  京阪 枚方市駅7:43=丹波橋8:15=近鉄天理9:21=三輪駅9:33着
             J R 長尾駅8:09 = 木津8:46 = 奈良9:07 = 三輪駅9:33着

コース  三輪駅~大神神社~狭井神社~三輪山~狭井神社~玄賓庵(げんぴあん)~
      ~檜原神社~巻向駅




JR三輪駅
奈良の大神神社と云えば全国的に有名な割に JRを降り立った
この駅は以外にこじんまりとしている。


                
            大神神社拝殿
                                                            祭神 大物主大神

                       
  三輪山がご神体であるので 拝殿からお山を拝する
  入山は狭井神社で参拝証の白い鈴付きのたすきを受けお祓    
  いを済ませる
 
    三輪山(467,1m)の行程は上り下り約4㌔で3時間以内に
      下 山しなければならない 山中の情報を他人に話す事を慎むのが マナーである

曾て 山形県の湯殿山に登拝した事があるが 山全体が神のお山で 登る時は全員裸足で 
ご神体の湯壺から湧き出る温泉の温かい地肌を神妙に踏みしめた 羽黒修験道の聖地で     
古来より 「言わず 語らず 語らば聞くな 聞かば語るな」と厳しい戒律があった

三輪山でも やっぱり裸足で登拝する人も数人おられたが きつい岩肌の登りは大変じゃよ

                    
        
        
    
                         
三光の滝









           
                                          奥津盤座(おくついわくら)                  
頂上には巨岩があるがこの山中で見学できるのはこの盤座だけである
古来日本の信仰は自然崇拝で巨石に神が宿ると信仰されていた
三輪山の祭祀遺跡としては 辺津磐座 中津磐座 奥津磐座などの巨石群、大神神社 拝殿裏  
の禁足地遺跡、山の神遺跡、狭井神社西方の新境内地遺跡などがある

狭井神社出発10:30~頂上11:50~狭井神社13:00 全員無事下山して広場の休憩所で昼食

午後は山の辺の道をあるいて 道端の無人販売のみかん 黒豆 等々買いながら歩く



玄賓庵(げんぴあん)

世阿弥の謡曲「三輪」の舞台として知られる
桓武 嵯峨天皇の信任を得たが俗事を嫌い三輪山の麓に
隠棲したという 玄賓僧都の庵

たまたまこの日 ほら貝の吹き慣らしを練習している人がいて
静かな寺から空気を吹き飛ばす音が空高くに響いていた



    檜原神社
       
       元伊勢と呼ばれ天照大神が伊勢神宮に移る前に
       祀られていた場所で本殿は無く三っ鳥居の向うの
       三輪山を拝す

       
新年早々に神のお山を登拝し 心身共に清められた思いであった 近鉄巻向駅 3:08
                                            お疲れさまでした。