2019年6月3日月曜日

文学 歴史ウオーク (大阪・守口)


    守口の古社寺めぐり
                 2019ー6-2   60名  
  行程
 大阪メトロ谷町線「大日駅」10:00-白山神社-庭窪コミュニテイセンター(講演、食事)
 京街道跡(淀川堤防上)-佐太樋門跡ー佐太渡し場跡碑ー佐太天神宮ー来迎寺ー
 佐太陣屋跡ー菅相寺ー津島部神社(解散 15:00 約4km)

   白山神社シラヤマジンジャ)        守口市大日町2丁目



本殿
旧六番村 三番村 
四番村の氏神であった









御祭神
菊理媛命(ククリヒメノミコト)伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冊尊(イザナミノミコト
天児屋根尊(アメノコヤネノミコト)経津主尊(フツヌシノミコト)武甕槌尊
                             (タケノミカズチノミコト
本殿には覆屋の中には一間社流れ造りの白山大権現 春日大明神の二殿が並置されている

    庭窪コミユニテイセンター            守口市佐太中町1丁目
                  
庭窪コミユテイセンター
講師 本渡 章先生

ふつぬしのみことされると








 
 本渡 章先生     1952年生まれ 作家 日本文芸家協会会員 
                著書  『鳥瞰図』『大阪古地図むかし案内』『京都名所むかし案内』
                  『奈良名所むかし案内』短篇小説『飛翔への夢』など多数。

          京街道の宿場だった守口は 江戸時代に大阪の北の玄関として発展した街である
    守口の地名・・ 古くは森口。森林の入口にあった
佐太樋跡
  
淀川
 

 





                     
  佐太樋跡
 淀川から生活 農業用水を取水していた  現在は他の場所から取水している

佐太の渡し場跡   
佐太渡し場跡

 かつて摂津市鳥飼と守口市佐太の間に 淀川を挟んで渡し舟
   運航していた
 昭和48年に廃止された      

  佐太天神宮         守口市佐太中町


非晶質

 祭神  菅原道真
   創建  天歴年間
神門







拝殿

 


 菅原道真公が左遷で太宰府へ
   流される途中、荘園であった当地に滞在された時 自作
 の木像や自画像を残されたと伝えられています
 道真公の死後50年の天歴年間(947~957)に、道真公を
 慕って祠を建てられた
与謝野蕪村句碑



   「窓の灯の 佐太はまだ寝ぬ 時雨かな」  
  蕪村の丹波から故郷毛馬村へ帰る途中、雨降る淀川の
  夜船から見た佐太村が夜遅くまで賑いがうかがえる

  枚方 守口両宿の中間の間宿として栄え神宮前の街道は
  松並木があり両側には家並み続き大変賑わっていた


   来迎寺 (ライゴウジ) 守口市佐田中町
鎌倉時代十三重塔大阪有形文化財
来迎寺








                                  




         
ご本尊  天筆如来 (石清水八幡宮を創建した僧行教が貞観元年(859年)に感得したと
           される阿弥陀三尊の絵像である)

  融通念仏宗中興法明上人の弟子 実尊上人によって天平2年(1347)佐太派の本山
  として守口市来迎町に建立された
  独特の相続法により300年余の中で住職が変わるたびに26回も所在地を移していたが
  延宝6年(1678)佐太中町に移転して現在に至る。

  菅相寺カンショウジ       守口市佐太中町



 
ご本尊  木製十一面観音

創 建  平安中期








 佐太神宮の宮寺として「奥の院」と言われてきた歴史ある寺院
 本堂は慶安4年(1651)領主の永井家によって再建されたもので 小さいながらも
 守口市内の仏堂建築として最古のもの
 
  津嶋部神社        守口市金田町
 
拝殿







 ご祭神 津島女大神              素戔嗚尊 菅原道真
 創 建 不詳 


  川は現在より南側を流れており中洲を対馬と呼び船着場であるので対馬江と言
  れたよう
  津島女大神は古来より方除けの神として また女神であることから安産 育児の
  守り神として崇拝された
  大窪庄の金田村 北村 梶村 東村 藤田村の五ヵ村と現寝屋川市に属する黒原村
  対馬江村の計七ヵ村の氏神である 
  元和元年(1615)5月の大阪夏の陣で社殿が炎上
  元禄年間(1688~1704)に領主の永井家にによって再建された
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    神社境内で解散になって「大日駅」まで徒歩2㎞ これが疲れた    終わり


  

2019年6月1日土曜日

文学 歴史ウオーク (京都)

     京都 太秦史跡めぐり
                          2019-5-12   49名
  コース
  地下鉄東西線太秦天神川駅(9:30)ー京都学園大学(講演・昼食)-蚕ノ社ー
  -大酒神社ー広隆寺ー大映通りー三吉稲荷神社ー蛇塚古墳ー仲野親王高畠陵ー
  -嵐電帷子ノ辻駅 解散

  京都科学先端大学(京都学園大学)        京都市右京区山ノ内5反田町

京都学園大学の講義室を借りる
(2019年4月京都科先端大学に改名)

松本正樹氏の講義


      



  




  1500年の時空を超えて渡来人秦氏が古代山背葛野郡(ヤマシロカドノグン)の建設と
  平安京の成り立ちに活躍した
  代表的な渡来人   ・ 秦(ハタ)氏 平安京遷都に多大な貢献
            ・ 漢(アヤ)氏 奈良を本拠地 学術系 政府の記録
                         坂上田村麻呂も漢氏の一族



  講義の後は休憩室でゆっくりお弁当を食べる
         

   


      

  蚕ノ社カイコノヤシロ)木嶋座天照御魂神社コノシマニマスアマテルミタマジンジャ)
                                 京都市右京区太秦森ケ東町

木嶋座天照御魂神社
古代を彷彿とさせる鳥居












 その昔 平地が広がるこの一帯にこんもりと巨樹が生い茂る
 森がまるで島のようであったことから「この島」と呼ばれた

                                 創建  7世紀はじめ
                                 祭神  天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
                                            大國魂神  (オオクニタマノカミ〉
               穂々出見命 (ホホデミノミコト)
               鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
                       瓊瓊杵尊  (ニニギノミコト
  地域の農耕 学問 罪や汚れを祓う土着神として祀られていたが秦氏がこの地域へ
  進出と共に秦氏の主な産業の一つである機織り技術の発展を祈る養蚕神社として
  祀られてきた
縮緬仲間
文化14年(1817)西陣の織屋の組合が奉納

拝殿










三柱鳥居




      三柱鳥居  
     宇宙の中心を表し四方より拝する事ができる
     1説には 秦氏に関係の深い遥拝所かも?
      双ヶ岡(松尾山 松尾大社)
               稲荷山(伏見稲荷神社)
        

大酒神社

  大酒神社     京都市右京区太秦蜂岡町
       祭神  秦始皇帝
           弓月王(ユンズキノキミ
           秦酒公(ハタノサケノキミ
       創建  不詳
  
社殿






  応神天皇の時代秦始皇帝の13代目の孫とされる
  弓月君が多くの人々(18,670余人)を率いて渡来し
  養蚕 機織りの職にて朝廷に仕えたその子孫が秦氏で
  ぞの祖先を祀っている
                                                         大陸から難を逃れてきた人々に朝廷が安住の地を提供した
                                                         大避神社とも称する
  
  大陸から移り住んだ人々は朝廷へのお礼として 高度な技術で作られた養蚕や機械を
  献上したとされる(機織 農耕 造酒 土木 管絃 工匠等)
  太秦
  秦酒公が生み出した多くの品が積み重なっているさまを「うず高い」と呼び
  天皇が非常に喜んだ様子を「埋益(うずまさ)」とも言うことから秦酒公に
  禹豆麻佐(うずまさ)の姓を預けたとされている
           603年 秦河勝   広隆寺         建立
       701年 秦忌寸都理 松尾大社    建立
       712年 秦伊呂具  伏見稲荷大社  建立

   広隆寺             京都市右京区太秦蜂岡町

本堂
山門











         宗派 真言系単立
    本尊 聖徳太子
    創建 推古天皇11年(603)又は(622)
    開基 秦河勝 
       秦氏は秦(中国)から朝鮮半島を通って渡来した漢民族系帰化人
       広隆寺は 弘仁9年(818】全焼・・・久安6年(1150)全焼
       永万元年(1165)落慶法要
   (有名な弥勒菩薩には時間の都合で拝観出来ず、後日改めてお参りしたいと思う)

  大映通り         右京区大映通り(桂原町 多藪町 堀ヶ内町)












  嵐電「太秦広隆寺」から「帷子ノ辻」に至る全長700メートルの商店街
  大映の映画撮影所と共に発展し かっては撮影の合間に映画スターが衣装のままで
  通りを歩いていた
牧野省三顕彰碑


三吉稲荷神社 中里八萬大菩薩

                    








   三吉(サンキチ)稲荷神社  中里八萬大菩薩
 この地一帯は8丁藪という竹藪が広がっていた この竹藪の中に小さな祠あった
 牧野省三 明治11年(1878)~昭和4年(1929)
      日本映画の先駆者として企業と芸術の両面に尽力した
      プロデューサー制度の確立や教育映画事業の創始者であった

  仲野親王高畠陵          京都市右京区太秦垂箕山町

   仲野親王(792)~(867)
   桓武天皇の第12皇子「奏寿宣命」(寿詞を奏し宣命を読誦)の模範とされていた


仲野親王高畠陵


仲野親王高畠陵







 


 蛇塚古墳      京都市右京区太秦面影町
前方後円墳

蛇塚古墳









内部

   名称の由来は石室内に蛇が棲息していた6世紀~7世紀と推定される
   石室はチヤート(堆積岩)奈良の石舞台は花崗岩 

   長さ75メートル 石室17,8メートル  奈良の石舞台古墳に匹敵する
    秦氏の首長墓と推測される        
    京都市内にこんな秘境があったとは知らなかった


 嵐電帷子ノ辻駅前で解散 
 ちなみに「帷子ノ辻」(かたびらのつじ)とは平安時代のはじめ嵯峨天皇の皇后は美貌の
 持ち主であった。皇后がなくなり葬送の車が嵯峨深山谷に向かう途中風が吹いてきて
 棺を覆っていた経帷子(きょうかたびら)が散り落ちたこの辻が言われるようになった
                                   終わり


2019年5月2日木曜日

宇治茶摘み





 八十八夜茶摘みの集い


                              令和元年5月2日

 京阪宇治駅➡JR宇治駅➡宇治茶会館 (10:00~15:00)   

乗り場に続々と人が並ぶ


宇治茶会間行シャトルバス








  バスはすぐに満席,満杯になり待ち時間が40分立ちんぼでやっと乗車するが渋滞してる


茶園は矢印の方向に
茶摘み娘「いらっしゃーい」
             

                             








 茶の摘み方には手摘みと鋏摘みがあり、高級茶は「手摘み」で玉露・てん茶(抹茶の
 原料)などでおおい下茶園の茶摘みで行われています
 煎茶はほとんどがはさみ摘みで行われている

  

上手に摘んだねええ

   

                                             









   始めての茶摘み体験で柔らかい葉っぱを確認しながらも
   夢中になって小さいポリ袋にぐんぐん押しこんで入れる

  (但し持ち帰った茶葉を飲めるようにするには3~4時間
   の工程が必要で、大変ですよ
   天ぷらにしてもよし。さっと茹でてポン酢で食べるもよし)




宇治茶の郷記念碑
子供たちに大人気











                
 玉露の淹れ方教室


玉露の入れ方実践
美味しい玉露を味わう









  1人分5g
  <1煎目>
  ポットのお湯(90℃)→急須(80℃)→湯冷まし(70℃)→湯吞(60℃)→
  少し待つ(湯吞を触って温度を確認)→玉露を急須に入れる→
  お湯を急須(40℃)にゆっくり注ぐ。
  湯量は玉露の葉と同量程度。葉が吸水して水面が見えなくなったころ(目安2分)
  湯吞に最後の一滴まで注ぐ
    ・ 口のなかに何とも言えない甘いうま味が広がる
  <2煎目>
  湯冷まし(80℃)→急須(50℃)ゆっくり注いで約1分待つ 最後の一滴まで注ぐ
  <3煎目>
  湯冷まし(80℃)→急須(60℃)少し待つ(30秒~40秒)最後の一滴まで注ぐ
  <4煎目>
  湯冷まし(80℃)→急須(70℃)ひと呼吸置いて最後の一滴まで注ぐ

   4煎目の後に茶葉をポン酢で食べる         
 
  玉露の美味しさを充分に味わって帰路につくが 宇治市内は連休中の交通渋滞で
  満員のシャトルバスは遅々として、やーっと駅に着くと「お疲れ様でした」と
  にこやかな運転手さんの言葉にほんわかした気分になり「宇治」はいいなと思った
                                  おわり