東住吉区の旧街道と史跡
集合日時 2020年7月5日(日)午前10時
集合場所 JR阪和線 美章園駅改札口
コース 美章園駅~桑津天神社~~榎神社~桃ケ池・股ケ池明神~
~法楽寺~山坂神社~JR阪和線南田辺駅 (約4km)
美章園駅前 |
講師 本渡章(ほんどあきら)先生
1952年 大阪生まれ
日本文芸家協会会員
著書 『図典 「摂津名所図会」を読む』
『図典 「大和名所図会」を読む』
「かんことり」 法楽寺の向かいに住む とある 芸術家 が 酉年にちなんで 作った
他多数
桑津天神社 大阪市東住吉区桑津
桑津天神社 |
祭神 少彦名命(スクナヒコノミコト)
須佐之男命(スサノオノミコト)
菅原道真 奇稲田比売命 野見宿禰
創建 伝 仁徳天皇時代
社伝によれば仁徳天皇の妃である日向髪長媛が
病気に罹ったとき 天皇が少彦名命に全快を
祈って快癒し それが縁でこの神を勧請された
髪長媛は神の資格のある采女として日向国より
召され仁徳天皇妃となり、桑津の地に居住していた
榎神社 大阪市東住吉区北田辺 祭神 榎大神
現在地に樹齢 800有余年を数える榎の大木 があり、土地の人々がこの木を御神体として
社殿をつくり、年々参詣者も増加したので、昭和27年4月に宗教法人となり昭和28年に 拝 殿と社務所を新設した極めて新しい由緒の神社です
社殿は小さい |
桃ケ池公園
池は古くから「ももがいけ」と呼ばれていたが、かつては「百ケ池」「脛ケ池』「股ケ池」とも表記された。名称については、池がいくつもあるため百ケ池という説や、池の形が股のような形になってことに由来するという説や、聖徳太子の使いが大蛇退治をした際水深が 腿(もも)程度だったためなどの説がある。かつて猫間川の源流のひとつであった
股ケ池明神(ももがいけみょうじん)
桃ケ池にまつわる伝説として、「桃ケ池にすんでいた大蛇を聖徳太子が退治した」
という内容が伝えられている。その際 股ケ池浮島に穴を堀り大蛇の死体を埋葬
したが、その後も怪異が続くというので霊を鎮めるため「おろち塚」が作られた
昭和初期まで残っていたとされる
桃ケ池公園に隣接して設置されている「股ケ池明神」は 天明年間(1780年代)に
角田某という人物が、夢に出た蛇霊を奉るために、おろち塚の北一丁の位置に
丸高竜王として祀ったことが起源と伝わる
(股ケ池明神ももがいけみょうじん)) |
神社本庁に属する正式な神社ではなく、地域住民により維持管理されている
法楽寺 大阪市東住吉区山坂
真言宗泉涌寺本山 山号 紫金山 本尊 不動明王
三重塔 |
本堂 |
伝承によれば 源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うために、 源義朝の念持仏であった如意輪観世音を安置し,壮麗な伽藍が営まれた 山号の紫金山は治承2年(1178) 平重盛が宋の禅師・育王山佛照の高徳を聞き黄金3000両を献上し結縁を求めたとの伝えによる 織田信長の侵攻(元亀2年(1571))で伽藍は灰燼に帰した。お堂は紀伊国の雑賀家の 尽力により 大和国宇陀松山藩織田氏の殿舎が移築された
2019年10月16日~29日 法楽寺リーヴスギヤラリー小坂奇石記念館
アンコールワット旅行(2016年10月16日)の思い出と共に拝観した事を
懐かしく思い出したよ
大阪から高野山に詣でる3街道
西高野街道 堺旧市街からー中百舌鳥ー北野田―岩室―今熊
下高野街道 天王寺ー下高野橋(大和川を南下)-今熊で西高野街道と合流
中高野街道(旧称上高野街道)平野ー瓜破ー堺東-狭山池尻ー西高野街道と合流ー
山坂神社
祭神 天穂日命 野見宿禰 素戔嗚尊 猿田彦 宇賀御魂神
山坂明神または田辺神社と言われていた
田辺氏は元来 西国から移動した渡来系氏族で 現在の柏原市に拠点を持ち大いに
栄えた一族である
神社の創建時期は不明である
(天穂日命は高天原の神々による地上世界を吸収合併(出雲の国譲り)するため
公証役に選ばれたものの 大国主命をリスペクトしてしまい3年間も任務を怠った?
と言われている神様
お疲れ様でした。 おわり
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