源平合戦合戦ゆかりの須磨寺を訪ねて
2020-10-4 46名
集合時間 10月4日 午前10時
集合場所 山陽電鉄 須磨寺駅 改札口コース 山陽電鉄・須磨寺駅改札口~ 須磨寺見学(一弦琴の鑑賞) (約2㎞)
講師 西村好子先生 1947年生まれ 兵庫県出身 神戸大学文学部講師
著書 「寂しい近代ー漱石・鴎外・四迷・露伴」「やさしい漱石」他
須磨霊泉 |
須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いている
昭和13年阪神大水害や平成7年の阪神淡路大震災時には貴重な
水源となり地元の人には「命の水」とよばれている
霊泉 飲用には煮沸が必要です。 |
(ネパール大震災復興記念堂)
平成26年或る篤志家が生前にアジア各地で蒐集された神仏の石像
を須磨寺に奉納された
シヴァ神と妃 |
ネパールでは阪神大震災平成7年(1995)や東日本大震災平成23年(2011)の際 国を挙げて慰霊祭と復興記念が行われていた
平成27年度(2015)ネパールの大震災が発生し復興を願い「ネパール大震災復興記念堂」と名付けられた日本在住のネパールの方々の拠りどころとなっている
須磨寺 神戸市須磨区須磨寺町
山号上野山 宗派真言宗須磨寺派 創建仁和2年(886)
開山 間鏡 開基光格天皇(勅願) 本尊 聖観音
龍華橋 |
仁王門(運慶、湛慶) |
古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人も多く 境内には多数の句碑 歌碑 文学碑 漢詩碑など24基が並ぶ
正岡子規句碑 |
暁や 白骨過ぎ行く 蚊帳の外
松尾芭蕉句碑
須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇
与謝蕪村句碑
笛の音に 波もよりくる 須磨の秋
源氏の熊谷直実は 須磨の波打ち際で船に乗ろうと逃れる敦盛を見つけ 戦えと扇で
呼び止める。紅顔の公達敦盛(清盛の弟経盛の子)は戻って一騎打ちに応じるも
百戦錬磨の 直実に組み伏せられる。直実が 相手の兜を取ると なんと自分の息子ほどの年齢の美しい若武者。 直実は逃がそうと逡巡するも源氏の追手が迫っておりそれもならず
泣く泣く首を刎ねた。敦盛、齢17歳であった
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直実は敦盛菩提のために仏門に入り法然上人の下で修行し念仏三昧院を建立する
長岡京市の光明寺の直接の始まりで建永2年(1207)9月4日に予告往生を遂げた
蓮生(宗名)の遺骨は遺言により当寺に安置された
写経輪堂 |
写経輪堂
お堂全体がくるくる回る 大きなマニコロ
中には奉納された写経が納められている
敦盛の首を洗った池 |
熊谷直実は義経の首実検の後 許しを得て遺品
馬 甲冑 弓矢 青葉の笛と共に戦死の有様を書き添
えて父経盛に送り 懇ろに弔われた
敦盛首塚は今も人は絶えない
副住職小池陽人老師の法話 |
温かみのある語り口と笑いを誘いながらの法話に気持ちが和む。後日改めてYouTube
で「小池陽人」を検索し高校生から老人までどの世代にも通じる法話に感じいる
須磨琴(一弦琴) |
須磨琴は一弦琴(いちげんきん)とも呼ばれる
平安時代 在原行平が須磨に流謫された時に初めて一弦琴
をつくり ひとりこれを弾じてその寂寞を慰めたと伝え
られている (兵庫県指定重要無形文化財)
須磨琴(一弦琴))4台が並べられた清らかな衣装の女性演奏者の
しっとりした声音と流れるような音の響きに平安時代の趣を彷彿とさせる
一の谷の 軍やぶれ
討たれし平家の 公達あわれ 明治39年
暁 寒き 須磨の嵐に 作詞 大和田建樹
聞こえしはこれか 青葉の笛 作曲 田村亮
終わり
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