狭山池博物館・金剛寺訪問
2019-11ー20 36名
行程
ラポール枚方(8:40)ー狭山池博物館ーグランドホテル二葉(昼食)-天野山金剛地
-花の文化園ー道の駅(くろまろの郷)-ラポール枚方(17:30)
狭山池博物館 |
狭山池 |
狭山池は飛鳥時代(7世紀前半)につくられた。
1400年の歴史を刻む日本最古のダム式ため池で現在も尚280万㎥の貯水量を誇る
流水する河川ーーー西徐川(にしよけがわ)三津屋川
流出する河川ーーー西除川、東除川、ともに大和川に流れ込む
堤の断面 |
高さ15,4m 幅62mの堤の断面を切り取って展示
東樋 |
断面年代別 |
鉄くぎ |
スコップ |
河内国西部の丘陵地帯は水量に乏しく灌漑に苦労してしていた地域で、現在も狭山池
周辺には大小のため池が数多く点在する
「日本書紀」崇神天皇・・・河内の狭山の植田水少なし
「古事記」 垂仁天皇・・・血沼池又狭山池を作る
「枕草子」 狭山の池みくりといふ歌のをかしきが覚ゆるならむ
慶長5年(1600)池の東畔に北条氏が治める狭山藩の陣屋が置かれる
調査研究
東樋に使用された木材の伐採が616年(推古天皇24年)と判定された年輪年代測定結果
がある
堤体の盛り土が幾層にも摘まれ、その一部に植物層を含む層があることが判明し中国
から伝わった敷葉工法(葉のついた枝を土留に使う)が用いられていることがわかる
重源座像と碑文 |
731年(天平3年)行基による改修
1202年(建仁元年)重源による改修「重源狭山池改修碑」
1608年(慶長13年)豊臣秀頼の命で片桐且元が大改修
1988年(昭和63年)~平成の大改修
片桐且元 |
昭和の取水塔 |
グランドホテル二葉 大阪府富田林市 滝谷不動尊はとなりにある
グランドホテル二葉 |
昼食タイム椅子席 |
楼門(重要文化財) |
女性ボランティアガイド |
宗派 真言宗御室派
本尊 大日如来
創建 (伝)天平年間
(729~748)
開基 (伝)行基
聖武天皇(勅願)
多宝塔 |
金堂 |
国宝 |
中央 大日如来像(木造)平安時代
左 三世明王像(木造)鎌倉時代
右 不動明王像(木造)鎌倉時代
不動明王像は仏師快慶の高弟行快の作
奈良時代(天平年間)に聖武天皇の命により 高僧行基によって開かれた
平安時代に弘法大師が修行した聖地と言われている
その後400年のあいだ荒廃してしまう。平安時代の終わりに高野山より阿観上人が
この地に住まわれ 後白河上皇とその妹の八條女院の篤い帰依と擁護を受けた
八条女院の侍女が阿観上人の弟子となり 二代続けて院主となったことから
「女人高野」と呼ばれるようになった
観月亭 |
天野殿(食堂) 後村上天皇が行在中の5年間この食堂を 正殿として政庁に使用された |
南北朝時代
金剛寺は南朝方の拠点となり正平9年(1354)から6ケ年にわたり南朝の
後村上天皇が行宮として用いた
一時 北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)が幽閉されていた
北朝御座所 |
北朝御座所 |
南北朝が終わると 寺領から算出される米や木材、炭特に「天野酒」が商品として
寺の経済を潤し 支院が90以上を数える程になる
織田信長や豊臣秀吉の擁護をうけ 幕末まで307石の寺領を所有していた
平成21年より平成大修理が始まり 平成30年3月に落慶法要が行われた
枯山水庭園 |
南帝より伊勢大神宮に奉幣使を立らる。御門三種の神器を御拝あって御製
として次の二つの和歌を掲げる
後村上帝御製
四の海の波もおさまるしるしにて三ツの宝を身にぞ伝ゆる
九重(ここのえ)の今もますみの鏡こそなお世をてらす光なりけり
おわり
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