2019年6月27日木曜日

交野が原万葉学級




  因幡万葉の旅
                         2019-6-21    42名 
  スケジュール
   枚方バスターミナル(8:10)ー加西SAー砂丘センター見晴らしの丘ー
   仁風閣ー因幡万葉歴史館ー大伴家持の歌碑ー加西SAー枚方(19:00)

      枚方を出発して中国自動車道のSA加西でトイレ休憩をはさんで約3時間で
  砂丘センター見晴らしの丘に着いて昼食タイム

   砂丘センター見晴らしの丘      鳥取市福部町湯山

砂丘センター見晴らしの丘
せいろ蒸し御膳








ラクダに乗って砂山散歩

リフトで砂丘先端へ










     広い砂丘は美しい、気持ちがいい。

 仁風閣        鳥取市東町

バルコニーから庭を眺める

仁風閣(命名は東郷平八郎)










当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓の宿泊施設として鳥取城跡の
扇御殿跡に鳥取藩主であった池田中博侯爵が明治40年(1907)にフレンチルネッサンスの洋風建築が建てられた「宮廷建築の第一人者片山東熊」が手掛けた(重要文化財) 
天守台

鳥取城は圧倒的な石垣で有名










小学唱歌 ふるさと

   城外に「ふるさと」の歌碑がありボタンを押すと
   歌手の声が流れる 鳥取市生まれの
   作曲家岡野貞一  明治11年~昭和16年

   春が来た 朧月夜 春の小川 もみじ 水師営の会見






  因幡万葉歴史館       鳥取市国府町町屋


古代因幡と万葉文化にふれる異空間(平成6年開館)
大伴家持が「万葉集」の最後を飾る歌詠んだ地、

古代因幡国に暮らした人々の歴史と文化を紹介している





因幡国は7郡50卿に組織されていた

 因幡国庁跡は鳥取駅の東南4㌔岩美郡国府郡の地
 にあった
 シンボルタワー「時の塔」から因幡国庁跡
 今木山 面影山 甑山が一望できる


大伴家持(安田靫彦画) 


万葉集写本(春日本の複製)



     





大伴家持は天平宝字二年(758〉因幡守となり、翌年正月一日
 に新年の宴を設け「万葉集」最後の歌をうたった


     天平宝字三年春正月一日因幡国庁賜響国郡司等之宴歌一首
     「新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家騰」
     (あたらしきとしのはじめのはつはるのきようふるゆきのいやしけよごと)

揮毫者 犬養 孝
建立(19994年 平成6年11月 



  

新 年之初乃 波都波流能 家布敷流由伎能騰
                伊夜之家餘其

  (新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や
                いやしけ吉事)  

 在原行平の歌碑


  在原行平の歌碑
   たちわかれ いなばの山の 峰におふる
          まつとしきかば 今帰りこむ
                           「百人一首(古今集)」

 行平が因幡に赴任する途中、 須磨の海岸で汐汲みを 
  していた松風 村雨の姉妹に会い二人を連れてきた

  その行平が帰京する時の姉妹との惜別の歌という


舞台 
万葉衣装



                     




    
      

    10月には万葉衣装を着て万葉集の朗詠が催される

                     おつかれさま

2019年6月15日土曜日

はつらつCITY

市民の森 花菖蒲観賞ウオーク
                              2019-6-13   68名 
  コース
  京阪電車「樟葉駅」10:00ー旧京街道ー延寿寺ー交野天神社ー市民の森      
              ー樟葉東公園ー「樟葉駅」解散 (歩行距離:約7㎞)


「はつらつCTIY」の旗の前に集合

                          延寿寺    枚方市樟葉野田1丁目


延寿寺
     
                                                    

                           
      宗派  浄土宗
      本尊  阿弥陀如来
        



  交野天神(かたのあまつかみのやしろ)  枚方市楠葉丘









右の碑 「樟葉宮旧蹟」
左「桓武天皇先帝御追尊之地」
     

        


     祭神 光仁天皇 天͡兒屋根命 菅原道真 

     創建 延歴6年(787)
        


 鳥居を潜ると広大な境内(約4000坪)は常緑樹の樹木が鬱蒼と茂り参道は霊気に触れ
   て引き締まった

参道
拝殿











 「続日本紀」及び「石清水八幡宮縁起」によると桓武天皇が「延暦6年」に交野に
  父光仁天皇を祀るため郊祀壇を設けた
  この地が継体天皇即位地の樟葉宮伝承地であったことが大きな理由と思われる
  創建当時から皇室とは関係が深く社殿の修理などの際には朝廷より特使が参向される
茅の輪くぐり(真面目に8の字回り)
末社貴船神社




                                 






大阪府指定史跡
日本書紀に「天皇行樟葉宮」と見え
そこに即位せられた樟葉宮がこの地域と考えられる

継体天皇樟葉宮跡伝承地














  市民の森     枚方市樟葉野田2丁目   


鏡伝池

     「くもらじな真澄の鏡 影そうる 樟葉の宮の 春の夜の月」
                               関白左大臣 藤原実経(続古今和歌集)
      付近一帯は平安時代に貴族の狩猟の地として知られていた       
花菖蒲約3500株











                             
  かわせみも飛来するそうでバードウォッチング
  の場でもあるらしい 




  

  樟葉東公園        枚方市樟葉朝日3丁目
公園内で解散12:00
   丘陵地の地形を活かしながら森と散策路や多目的広場がある
   公園の外周は距離標のついた周回路になってジョギングやウオーキングを
   楽しんでいる人が多い     
   「はつらつCTIY」は保健センターの行事で不定期に行なわれ 若いサポーター
   の元気な声かけに老体もチョット頑張った    お疲れさまでした。



2019年6月3日月曜日

文学 歴史ウオーク (大阪・守口)


    守口の古社寺めぐり
                 2019ー6-2   60名  
  行程
 大阪メトロ谷町線「大日駅」10:00-白山神社-庭窪コミュニテイセンター(講演、食事)
 京街道跡(淀川堤防上)-佐太樋門跡ー佐太渡し場跡碑ー佐太天神宮ー来迎寺ー
 佐太陣屋跡ー菅相寺ー津島部神社(解散 15:00 約4km)

   白山神社シラヤマジンジャ)        守口市大日町2丁目



本殿
旧六番村 三番村 
四番村の氏神であった









御祭神
菊理媛命(ククリヒメノミコト)伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冊尊(イザナミノミコト
天児屋根尊(アメノコヤネノミコト)経津主尊(フツヌシノミコト)武甕槌尊
                             (タケノミカズチノミコト
本殿には覆屋の中には一間社流れ造りの白山大権現 春日大明神の二殿が並置されている

    庭窪コミユニテイセンター            守口市佐太中町1丁目
                  
庭窪コミユテイセンター
講師 本渡 章先生

ふつぬしのみことされると








 
 本渡 章先生     1952年生まれ 作家 日本文芸家協会会員 
                著書  『鳥瞰図』『大阪古地図むかし案内』『京都名所むかし案内』
                  『奈良名所むかし案内』短篇小説『飛翔への夢』など多数。

          京街道の宿場だった守口は 江戸時代に大阪の北の玄関として発展した街である
    守口の地名・・ 古くは森口。森林の入口にあった
佐太樋跡
  
淀川
 

 





                     
  佐太樋跡
 淀川から生活 農業用水を取水していた  現在は他の場所から取水している

佐太の渡し場跡   
佐太渡し場跡

 かつて摂津市鳥飼と守口市佐太の間に 淀川を挟んで渡し舟
   運航していた
 昭和48年に廃止された      

  佐太天神宮         守口市佐太中町


非晶質

 祭神  菅原道真
   創建  天歴年間
神門







拝殿

 


 菅原道真公が左遷で太宰府へ
   流される途中、荘園であった当地に滞在された時 自作
 の木像や自画像を残されたと伝えられています
 道真公の死後50年の天歴年間(947~957)に、道真公を
 慕って祠を建てられた
与謝野蕪村句碑



   「窓の灯の 佐太はまだ寝ぬ 時雨かな」  
  蕪村の丹波から故郷毛馬村へ帰る途中、雨降る淀川の
  夜船から見た佐太村が夜遅くまで賑いがうかがえる

  枚方 守口両宿の中間の間宿として栄え神宮前の街道は
  松並木があり両側には家並み続き大変賑わっていた


   来迎寺 (ライゴウジ) 守口市佐田中町
鎌倉時代十三重塔大阪有形文化財
来迎寺








                                  




         
ご本尊  天筆如来 (石清水八幡宮を創建した僧行教が貞観元年(859年)に感得したと
           される阿弥陀三尊の絵像である)

  融通念仏宗中興法明上人の弟子 実尊上人によって天平2年(1347)佐太派の本山
  として守口市来迎町に建立された
  独特の相続法により300年余の中で住職が変わるたびに26回も所在地を移していたが
  延宝6年(1678)佐太中町に移転して現在に至る。

  菅相寺カンショウジ       守口市佐太中町



 
ご本尊  木製十一面観音

創 建  平安中期








 佐太神宮の宮寺として「奥の院」と言われてきた歴史ある寺院
 本堂は慶安4年(1651)領主の永井家によって再建されたもので 小さいながらも
 守口市内の仏堂建築として最古のもの
 
  津嶋部神社        守口市金田町
 
拝殿







 ご祭神 津島女大神              素戔嗚尊 菅原道真
 創 建 不詳 


  川は現在より南側を流れており中洲を対馬と呼び船着場であるので対馬江と言
  れたよう
  津島女大神は古来より方除けの神として また女神であることから安産 育児の
  守り神として崇拝された
  大窪庄の金田村 北村 梶村 東村 藤田村の五ヵ村と現寝屋川市に属する黒原村
  対馬江村の計七ヵ村の氏神である 
  元和元年(1615)5月の大阪夏の陣で社殿が炎上
  元禄年間(1688~1704)に領主の永井家にによって再建された
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    神社境内で解散になって「大日駅」まで徒歩2㎞ これが疲れた    終わり