2018年12月13日木曜日

大覚寺



  「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経」 特別公開            
 
                                  2018―11-26


大覚寺門前
嵯峨野の紅葉がしはじめる













 旧嵯峨御所大覚寺門跡は弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山
  
 嵯峨天皇宸翰勅封般若心経が60年に一度のご開封され、多勢の拝観者が入ってゆく


正寝殿

桃山時代様式の書院造り
障壁画は狩野山楽や渡辺始興筆

上段の間は後宇多天皇が院政を    執った部屋


村雨の廊下



諸堂を結ぶこの廊下は 縦の柱を雨、直角に折れ曲がって
いる廻廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれる

天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、
床は鶯張りとなっている



浄めの煉り香を手に頂く
勅封心経殿










ご開封由来





嵯峨天皇般若心経





 1200年前の平安時代、都で大飢饉による疫病が流行り嵯峨天皇が弘法大師の勧めで
 写経され 勅封(封印)として奉安 国民の安泰を心から願われた

 その年が818年戊戌(ぼじゅつ)(つちのえいぬ)の年で 以来60年に一度その写経 (勅封心経)を開封して天下泰平をお祈りするのが伝統儀式「戊戌封法会」である
 金を削って蜂蜜で溶き 一文字一文字書かれたと伝わる

 とても繊細で美しいものだった  (胸のつまる思いがする)
嵯峨菊











嵯峨菊展示

嵯峨菊
















   嵯峨菊は大沢池の菊ヶ島に自生していた野菊.
   嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を永年にわたり
   王朝の感覚を持って育成した

   この仕立ては一鉢に三本仕立てとし 長さ二メートルに育成する(殿上から鑑賞
   されるために高く育てる)
   花は下部に七輪 中部に五輪 先端に三輪で「七五三」とし 花弁は糸状で
     
   五十弁~八十弁程 長さ十㎝の茶筅状が理想とされる

いけばな嵯峨御流

いけばな嵯峨御流













宸殿の牡丹図  狩野山楽
           大胆な構図は絢爛豪華な桃山文化を伝えている

    狩野山楽は 狩野永徳の一番弟子で 狩野探幽らが江戸に移って活動したが
    山楽は京都に留まったことから「京狩野」と称される


大沢池

      平安前期の様式を伝える日本最古の人工池で周囲1Kある
      中国の洞庭湖になぞらえて 「庭湖」ともいう

      昔年友人と観月の舟に乗って満月を楽しんだ事のいろいろを思い出す
                                  (おわり)

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