2015-9-5 49名
行程 京都竹田(8:50)=草津宿・・・目川・・・旧和中散本舗・・・六地蔵・・・石部宿=京都竹田
(17:00)
今回は草津から歩き始めて 「目川」の一里塚を通過(江戸から118里)
目川はひょうたんの産地らしい |
史跡 「老牛馬養生所跡」
この付近で不要の馬が処分されていたのを見て不憫に思った
庄屋さんが老牛馬に静かに送らせた所
東海道の旅人の休憩所として江戸幕府に立て場茶屋が設けられた
田楽味噌豆腐と菜飯が独特の風味で 東海道では有名だった
茶屋は「京いせや」 「元いせや」 「小島や」の3軒あった
善性寺にシーボルトが文政9年に訪ねている
「江戸参府紀行」に
「かねてより植物学者として知られている僧恵教のもとを訪ね
スイレン ウド モクタチバナ カエデ等の珍しい植物を見物せり」とある
鈎(まがり)の陣
室町幕府第九代将軍足利義尚が 近江の公家 寺社領荘園の
回復を目指して 六角高頼 討伐のために出陣した時に 陣を
敷いたところ
義尚は歌会や 伊勢物語の購読や犬追物を盛大に催し
都の文化がこの地で華開いた
JR草津線 手原駅
駅前の広場に「東経136度線を通る駅」のモニュメントがある
兵庫県の明石は135度で子午線と云われ名高いが 1度違いでも由々しいことなのかな
おべんとう 「手原駅」近くの稲荷神社境内で昼食タイム
歌川広重浮世絵
近江八景 (三井晩鐘)
肩かえの松
街道を行く旅人がこの松の下で休憩し、荷物を掛けたり担いだり
する肩を替えたので その名がついたとされている
(往時の旅人の一休みしている姿を想像すると面白い)
旧和中散本舗大角家
間口10間あまり 重要文化財に指定されている
慶長16年(1611)野洲郡の永原御殿に滞在中の徳川家康が
腹痛を起こして苦しんだ時に 典医が持ち帰った薬を献上した
ところたちまちに治ったと云う
喜んだ家康公が直々に薬に「和中散」という名を与えた
シーボルトは長崎から江戸に向かう途中立ち寄っている
明治天皇も3回ここで休憩している
三上山(近江富士)
標高432m
里の家並みが途切れたら 左彼方に
ぽっこり現れた
紫式部 「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」
芭蕉 「三上山のみ夏知れる 姿かな」
毎年9月23日~11月3日までは三上山の御上神社所有地が松茸山となるので 登山だけでも
入山券が必要 (ちょっと 登ってみたい気がする 松茸は取れるのかな?)
五軒茶屋橋
天和2年(1682)の野洲川洪水によって堤防が切れ 通行が
出来なくなったので 膳所藩主本多康慶は川沿いの道筋から
南の山道を切り開いて約1.9kmの迂回路をつくり 旅人の
安全のために 石部宿から5軒の茶店を移した
川沿いのルートを「下道」 山間ルートを「上道」とよんだ
石部宿
「京発ちの石部泊まり」といわれた(約36km)
金山があって 堅実な人物のたとえにいわれる
「石部の金吉」もここから出た
ボランティアガイド女性が
きれいな声で子守唄を披露
切なさが 心にしみる
歌川広重 東海道五十三次浮世絵 石部(目川の里)
目川は菜飯と田楽豆腐が名物であった 店は名物を食べさせる伊勢屋であり
店の前では 奇妙な踊りを踊りながら旅をする一群がいる
それを珍しいそうに振り返ってながめているのは 供を連れた三人の女たち
その前を重そうな米俵を背負った農夫たちがあるく
次回へつづく
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