2015年7月8日水曜日

東海道53次ウオーク 第2回

山科~大津宿~瀬田の唐橋
                                    2015-6-28(日)   28名
                                          (土曜クラスは参加者多数)
  行程   山科追分(井筒八つ橋本舗追分店)(10:00)・・・逢坂峠・・・大津宿・・・瀬田唐橋


  「井筒八つ橋店」前に大阪から観光バスで到着組と 現地集合組が合流して女性リーダーの
  元気な号令で準備体操をし 体をのばして 「エイエイ オーッ」と雄叫びをあげて出発

  閑栖寺(かんせいじ) (大津市横木)

境内に車石が復元されている

 道を歩いていると民家の石垣 
 とか玄関前に散在している
 京都ー大津間に5~6万個敷か
 れていた
 当時は日の岡峠の勾配がきつく
 米俵の一部を降ろして人間が 
  
 運び 牛馬を引っ張って通った
 そうな 

     
  

伏見街道追分 
  ガイド氏が「後ろを振り返ってみてくださーい」と言われて見ると
 左後方に一筋の道が通っている
 この三叉路は「伏見街道追分」で伏見を経て大阪 奈良へ至る




月心寺

 浮世絵に紹介された「走井の清水」で知られる茶屋であった

 日本画家「橋本関雪」の元別荘でもある

 御堂には 小野小町の百歳像が安置されている


 
 
 土壁の透き間から 奥にある井戸(井筒)を交代で眺める




                                           
                         
              

逢坂峠                                          蝉丸神社上社
              


   声が大きく
   きれいで」
   爽やかな
   リーダーの解説








逢坂の峠は都と東国 北国を結ぶ東海道 東山道 北陸道の        関蝉丸神社下社

3つの主要道路が集中する交通の要衝で古くから 峠や
この関所を題材にした作品が多く残っている

「これやこのゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも
逢坂の関」

関蝉丸神社下社: 弘仁13年(822)小野)朝臣嶺守が逢坂山の
守護神として山上 山下に勧請され、946年に蝉丸の霊を合祀



                      
   歩いていて 途中にうなぎの名店「かねよ」の前を通る

   匂いは流れて来なかったが 誰も羨ましそうに笑っ 
   て通り過ぎる
         

                         
                     (功 頼 成 楽 )
                    
                                           落成を楽成にしたのがみそ
            旧逢坂山隧道












        旧逢坂山トンネル 石積みの重厚な坑門が完全な形で現存している

        明治11年10月5日から約1年8ヶ月の歳月を費やし明治13年6月28日竣工
        坑門上部にある石額は時の太政大臣三條実美の筆になるもので「楽成」は
        「落成」は「落盤」を避けるために「楽成」にしたとつたえられている
 
  大 津 宿

  本陣跡    江戸より53番目の宿  
          湖国最大の5軒の本陣 脇本陣があり
          人口は14、892人
          






    「此付近露国皇太子遭難之地」
           
                明治24年(1891) ロシア皇太子ニコライが
                巡査津田三蔵に斬りつけられたところ

                当時列強の ロシア帝国皇太子の暗殺事件で
                緊迫した状況下で 近代日本法学史上重要な
                事件とされる
                
              裁判で津田は無期徒刑(新刑法の懲役刑)となり 
                外務大臣 青木周蔵 内務大臣 西郷従道
                司法大臣 山田顕義が辞職した
      

  おべんとう

   大津駅前公園でお茶と弁当が配られる  お弁当のつつみ紙をあけると「おしながき」には
    浮世絵が印刷されてメニューが 品よく書かれている 内容も品よく 美味しかった














        


 義仲寺
 
 源範頼 ・義経軍と宇治川瀬田川の合戦(1184年)で      
 粟津が原 で討ち死にした 木曽義仲が葬られたところ
 芭蕉の墓
  「骸(から)は木曽塚におくるべし」と遺言していたという

  句碑 「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」


      和田神社                                       大いちょう














 白鳳4年(675)に鎮座  本殿は鎌倉時代の建築で重要文化財

 大銀杏は樹齢600~650年   石田光成が関ヶ原で捕えられ 京へ護送される際、
 このイチョウの木の下で休息をとったという伝説がある
                                           

   膳所城址の門
旧膳所城の北大手門として建てられたもの

膳所城は徳川家康の命により築かれた
築城の名手と謳われた藤堂高虎に造らせた城
                       



    膳所六門


                            武家屋敷の長屋門が残されている
              




                        瀬田の唐橋














   今回のウオークの終着点 女性リーダーの号令でストレッチ体操をして散会(16:00)



   瀬田の唐橋に因んだお話

   ・近江八景「瀬田の夕照」で名高く 多くの文学作品や又 日本書紀にも登場している
    
   ・「唐橋を制するものは 天下を制する」と言われたほど京へ通じる交通の要衝である

   ・連歌師 宗長 「武士(もののふ)のやばせの船は早くとも 急がば廻れ瀬田の長橋」
  
   ・芭蕉       「五月雨に隠れぬものや 瀬田の橋」
 
   ついでに
     近江八景    石山の秋月  瀬田の夕照  粟津の晴嵐  矢橋の帰帆
   
               三井の晩鐘  唐崎の夜雨  堅田の落雁  比良の暮雪    おわり


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