2015-6-9~10 43名
行程 一日目
枚方市(7:30)ー高槻(8:10)ー明石海峡大橋・大鳴門橋ーレストパークりんりん(昼食)
(53番)円明寺ー(52番)太山寺ー(54番)延命寺ー今治国際ホテル(泊)
二日目
ホテル(7:45)-(55番)南光坊ー(56番)泰山寺ー(57番)榮福寺ー(58番)仙遊寺
(59番)国分寺ーりんりんパーク(昼食)ー吉野川ハイウエイオアシス
大鳴門橋ー淡路ハイウエイオアシスー明石海峡大橋ー枚方(19:00)
一日目
第53番 円明寺 愛媛県 松山市和気町
大師堂
開 基 行基菩薩
創 建 天平勝宝元年(749)
真 言 おん あみりた ていせい からうん
聖武天皇の勅願により行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と
観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫像して安置し、七堂伽藍を
備えた大寺として建立したのが創建とされている
聖母マリア
境内には聖母マリア像の石造があり 江戸時代のキリシタン
ご禁制時につくられたもので キリシタンが密かにお参りし
てたとのこと
銅版納札
大正13年に八十八ヶ所を巡拝したアメリカのスタール博士が
本尊厨子に打ち付けてあった銅版納札が貴重なものである
ことを発見。 銅版は遍路最古の納札で「慶安3年(1650)
京都の樋口家次が四国遍路をして納めたと記されている
第52番 護持院 太山寺 愛媛県 松山市太山寺町
本 堂 本 尊 十一面観世音菩薩
開 基 真野長者
創 建 6世紀後半
真 言 おん まか きゃろのきゃ そわか
大 師 堂
用明天皇の二年、豊後の国の真野という長者が高浜沖で
難破しようとしたが、信仰していた十一面観世音に救われる
お礼に一夜にして寺を建立された
聖武天皇をはじめとする歴代天皇が十一面観世音象を奉納
されている
本堂は国宝である
第54番 宝鐘院 延命寺 愛媛県今治市阿方甲
本 堂 本 尊 不動明王(伝行基菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 養老4年(720)
真 言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ
まかろしやだ そわたや うん たらた
かんまん
聖武天皇の勅願により 行基菩基が大日如来の
化身とされる不動明王像を彫像して本尊とし、伽藍を
建立して開創した
弘法大師が嵯峨天皇の勅命をうけ伽藍を信仰と学問の
中心の道場として再興
大 師 堂
梵鐘のはなし
宝永元年(1704)の梵鐘は住職の私財で鋳造したもので
それ以前の梵鐘は戦乱の合図の鐘に使われ夜になると
叩かないのに「いぬる いぬる」と鳴くので恐れられた
また、松山城へ持ち出されそうになって「イヤーン イヤーン」
と鳴くので置き去りにされたという
今治 国際ホテル 泊
3人一室の相部屋で自己紹介し合う
Aさん 遍路歴4回のベテラン
Bさん 文筆家で同人誌「法螺」に在籍
グランドゴルフクラブで大活躍中
二日目
第55番 金剛院 南光坊 愛媛県今治市別宮町
本 堂 本 尊 大通知勝如来
開 基 行基菩薩
創 建 大宝3年(703)
真 言 なむ だいつうちしょう ぶつ
文武天皇の勅願を受けた越智玉純は大宝三年(703)
大三島に大山祇神社を建立した
しかし 参拝には海を渡る必要があったため和同五年に
八つの坊を四国本土に移動する
弘法大師は四国巡錫のとき 坊で法楽をあげて霊地とした
太平洋戦争の昭和20年8月に空襲で大師堂 金毘羅堂
以外罹災して焼失した
本堂は昭和56年秋 薬師堂は平成3年 山門は平成10年
に再建
56番 勅王院 泰山時
愛媛県 今治市小泉
本 堂 本 尊 地蔵菩薩(伝弘法大師)
開 基 弘法大師
創 建 弘仁6年(815)
真 言 おん かかかび さんまえい そわか
泰山寺がある一帯は 梅雨の時期になると 蒼社川が
氾濫し 田畑や家屋 さらに多くの人命を奪った
村人たちは蒼社川のことを「人取川」と恐れて」いた
大師堂
弘仁6年 弘法大師はその氾濫ぶりを見て 村人達を
指導して 土手を築き 河原に堰を築き「土砂加持」の
秘法を行ったところ 満願の日に延命地蔵を感得した
大師はその尊像を刻み 伽藍を建立した
第57番 無量寿院 榮福寺 愛媛県今治市玉川町八幡甲
本 堂
本 尊 阿弥陀如来
開 基 弘法大師
創 建 弘仁年間(810~824)
真 言 おん あみりた ていせいからうん
嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が弘仁年間(810~824)
に海難防止を祈願して開基した
行教上人が山頂に神仏習合の石清水八幡宮を創建した
明治初年に神仏分離令によって現在地に移された
奉納された箱車
昭和8年のこと 足の不自由な宮本武正さん(15才)が
犬に曳かせてイザリ車で巡礼をしていたが 犬が急に
走りだし 箱がひっくりかえって 宮本さんは地面に
ほりだされたが あら不思議 歩くこと出来た事で
感謝のあまり 松葉杖と箱車を奉納した
榮福寺住職 の著書 白川蜜成住職は24歳(2001年)の時
2010年 著作「ボクは坊さん」出版
発売3ヶ月あまりで6刷を数える
映画が2015年10月に全国」ロードショウ
本は読み易く親しみを感じる
住職蜜成の父親 化学の高校教師でありながらマラソンで激走
「サロマ湖100㌔マラソン」「ギリシャスパルタすロン」
「萩往還250キロマラソン」では2年連続優勝
クールな観点と力強い判断力で住職を公私ともに支えている
第58番 千光院 仙遊寺 愛媛県今治市玉川町別所甲
本 堂
本 尊 千手観世音菩薩
開 基 越智守興
創 建 七世紀後半
真 言 おん ばざらたらま きりく
天智天皇の勅願によって 伊予の太守越智守興が堂宇
を建立した
本堂の千手観世音菩薩は海から上がってきた 竜女が
大 師 堂 一刀三礼して彫ったという言い伝えがある
また 40年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧
が本寺に暮らしていたが養老2年(718)に突然に姿を
消してしまったことが 寺名の由来になっている
弘法大師が逗留して修法を行った折には 伽藍を復興し
井戸を掘ったとされる
江戸時代に荒廃してしまったが 明治初期に
宥連上人が再興した
59番 千手院 国分寺 香川県 高松市国分寺町
本 堂
本 尊 十一面千手観世音菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平13年(741)
真 言 おん ばさら たらま きりく
聖武天皇の勅願で各地に置かれた国分寺の1つ
行基菩薩が十一面千手観世音菩薩を刻み本尊と
とした
大 師 堂 3代目の住職のとき 弘法大師が訪れて
五大明王の絵を描いて安置し霊場と定めた
七堂伽藍の大きな寺だったが 藤原純友の乱など
4度の戦乱にあって そのたびに焼失
現在の本堂は43代目の恵光上人が寛政元年(1789)
に建立した
握手修行大師 願いをこ込めて握手すると その願いが叶うとか
傍らには「願い事は一つにして下さい あれもこれもはいけません
お大師様も忙しいですから」とユーモラスな看板が立っている
りんりんパーク(昼食)=吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=淡路ハイウエイオアシス
=明石海峡大橋=枚方(18:00)=高槻 (観光バス走行距離 往復900㌔)
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