2015年4月12日日曜日

お遍路 第11回

                         

四国八十八ヶ所めぐり  (66番~77番)

                                           2015ー4-7-8    34名
 
   行程 一日目 枚方(7:30)-高槻-明石海峡大橋ー大鳴門橋ー70番本山寺ー68番神恵院    
              69番観音寺ー66番雲辺寺ー67番大興寺ーアパホテル高松空港 泊
       二日目 ホテル(7:30)ー71番弥谷寺ー73番出釈迦寺ー72番曼荼羅寺ー74番甲山寺
              75番善通寺ー76番金倉寺ー77番道隆寺ー大鳴門橋ー
                             淡路ハイウエイオアシスー高槻ー枚方着(19:00)
一日目
     第70番 寺宝院 本山寺      香川県三豊市豊中町本山甲


    本 尊  馬頭観音
    開 基  弘法大師
    創 建  大同2年(807)
    真 言  おん あみりとう どはんば うんばった そわか


        本 堂

本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの
平城天皇の勅願により 弘法大師が七十番札所として開基

天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際 住職を刃に
かけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち
驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れた「太刀受弥陀」


五重塔                                       

                                    大 師 堂
明治43年                       
住職の頼富実毅が再建
盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後 目が見えるようになり
その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やしました
遠くからでも目につき本山寺のシンボルとなっている
                                                        

       第68番  七宝山 神恵院      香川県観音寺市八幡町                                             
                                                  

  本 尊  阿弥陀如来
  開 基  日証上人
  創 建  大宝3年(703)
  真 言  おん あみりた ていせい からうん 

 開基は 法相宗の高僧日証上人で「琴弾八幡宮」を建立
 807年に弘法大師が琴弾八幡宮の木地仏である
 阿弥陀如来を描いて本尊として祀り寺の名を「神恵院」とした



          本 堂                    鐘楼の天井の彫刻が見事である

  
      第69番 七宝山 観音寺       香川県観音寺八幡町
                        

    本 尊  聖観世音菩薩
    開 基  日証上人
    創 建  大宝3年(703)
    真 言  おん あろりきゃ そわか


 (小雨の中で参拝)



68番神恵院と同一境内にある 開基も創建の時期や由緒も同じである
弘法大師は琴弾八幡宮の木地仏である阿弥陀如来像を修めた時
この寺の第7世住職となって入山している 

桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏
の子 道尊太政大僧正が住職として43年間務めた

       第66番  千手院 雲辺寺        徳島県三好市池田町白地ノロウチ


  
   本 尊  千手観世音菩薩(経尋作)
   開 基  弘法大師
   創 建  延歴8年(789)
   真 言  おん ばざらたらま きりく 

  

                 本 堂                         四国山脈の山頂近くにある霊場で 「遍路ころがし」と呼ばれ     
                                                       
                                                         難所とされた 現在は麓からロープウエーで山頂駅まで上る
                  









  ロープウエーからの眺めは雨に曇って遠くまでは見えないが
  山合いに桜が咲いてそれなりに美しい




                              カ ヤ の 木
     
                               樹高 20m 
                               樹齢 1200年余
                               
  弘法大師四国修行の砌り カヤの種子を植えられたと伝えられている
                    

     
      第67番  不動光院 大興寺     香川県三豊市山本町     




    本 尊  薬師如来(伝弘法大師作)
  開 基  弘法大師
  創 建  天平14年(742)
  真 言  おん ころころ せんだり 
        まとうぎ そわか 




 仁 王 門
  
  742年東大寺の末寺として建立した その後嵯峨天皇の勅願によりて空海が再興したと
  いわれている
  仁王門にある金剛力士像は運慶の作と伝えられ 八十八ヶ所中最大とされる

       
                               
   今夜のお宿   「アパホテル 高松空港」 
           5階 523号室  4名相部屋
           8階 大浴場
           1階 夕食会場   18:45
           1階 朝食会場    6:00~(バイキング)
  
           明日の出発は7:30

  夕食後 部屋にもどり それぞれが趣味や日常生活を話                         
  始め ると止まらなくなる 声もだんだん大きくなり笑い声と驚き声で賑やかで楽しい
  中でも秀逸なご仁は 日本画を嗜みお寺の襖絵を描かれたそうな(八幡市在住 古家後女史) 
                              襖絵・・京都市 東山区下河原  天台宗 双林寺

                                   
二日目
     第71番 千手院 弥谷寺      香川県三豊市三野町



 本 尊  千手観世音菩薩
 開 基  行基菩薩
 創 建  天平年間(729~749)
 真 言  おん ばざら たまら きりく 

 
古来より日本三大霊場(恐山 臼杵磨崖仏 弥谷寺(いやだに)
 の一つに数えられていた
 
      境内口から山頂の本堂迄およそ540段の石段が続く 歩き組と小型バス組に分かれる   
              (片道500円) バスを降りてからでも108段をヒィーヒィーハァーハァー












    聖観世音菩薩                                 阿弥陀三尊磨崖仏




  濡れた540段の石段を滑らないように慎重に降りて来たら
  茶屋で熱いお茶の接待に預かり とても有難く頂戴する

  茶屋ではぽってりした草餅が売られていてそれが
  飛ぶように売れている 店主も接待に預かった者も
  みんなにこにこ顔で満足そう(疲れがいっぺんに消えた)


     第73番 求聞持院 出釈迦寺      香川県善通寺市吉原町 


  
  本 尊  釈迦如来
  開 基  弘法大師
  創 建  平安時代前期
  真 言  のうまく さんまんだ ぼだなん ばく 

 

 
 「捨身ヶ嶽」縁起
 弘法大師が”真魚”と呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り 「我、仏法に入りて一切の衆生  
 を済度せんと欲す。吾願成就するものならば釈迦如来よ姿を現したまえ。もし叶わぬのなら
 一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。 
 すると紫雲が湧き 釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱き止め
 命を救われた。青年になって我拝師山山頂で虚空蔵菩薩を安置し堂宇を建てた
 この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ 今は寺の奥の院となり急坂を50分ほど上がるそうな


                 山と山が落ち合う途中に奥の院が建っている     



               第72番 延命院 曼荼羅寺       香川県善通寺市吉原町
   

   本 尊  大日如来
   開 基  弘法大師
   創 建  大同2年(807)
   真 言  おん あびらうんけん ばざらばどばん 





創建は最も古く推古四年(596)讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され「世坂寺」と称す
弘法大師が唐から帰朝した翌年 母の玉依御前の冥福を祈るため 伽藍を三年がかりで建立
本尊に大日如来を祀り 寺名を「曼荼羅寺」に改めた
 
西行法師がこの近くの「水茎の丘」に庵を建てて7年余り暮らして この寺に通い本堂前の
平らな石の上でよく昼寝をしていたとそうな

      第74番 多宝院 甲山寺          香川県善通寺市弘田町

       
本尊 薬師如来
     (弘法大師作)
開基 弘法大師
創建 平安初期
真言 おん ころころ        
  せんだり まとうぎ 
         そわか
本 堂

                                                大 師 堂                                                                                                                                                                                                       
                                                 
  弘仁9年(818)満濃池が大決壊する 朝廷から派遣された 筑地使も難工事の為3年を経ても
  難渋していた
  弘仁12年(821)弘法大師は 嵯峨天皇の勅命を受けて満濃池を修復するよう 別当として派遣
  された 
  大師は工事成就を祈願し薬師如来を刻み本尊として安置する その工事も3ヶ月で完成させた
  大師は これ偏に薬師如来の加護であるとして、勅賜金の一部で堂塔を建立し寺号は山の形
  が毘沙門天の甲に似ていることから 「甲山寺」とし 74番札所に定めた 

    第75番 誕生院 善通寺          香川県善通寺市善通寺

 

   本 尊  薬師如来
   開 基  弘法大師
   創 建  大同2年(807)
   真 言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 
                                                  
 真言宗善通寺派の総本山で 弘法大師誕生の地である創建      
     本   堂                      当時の伽藍配置を残している
                

  唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため大同2年
  6年の年月をかけて、建立した真言宗最初の道場で
  父の佐伯善通(よしみち)公の名をとって寺号とした

  総面積45000平方メートルに及ぶ広大な境内は東院 西院
  金堂 五重塔などが並ぶ「伽藍」は創建以来の寺域である
  
 
                                
   大 師 堂 
  四国霊場には五重塔が4ヶ寺にある

    
    
 第76番  宝憧院 金倉寺           香川県善通寺市金蔵寺町


 
仁王門                                            
          大師堂
                          
                                                
                
                

                     本 尊  薬師如来                                          
                     開 基  和気道善                  
                     創 建  宝建5年(774)
                     真 言  おん ころころ  せんだり まとうぎ そわか                                                                                                                                                                  
 金倉寺は弘法大師の甥で天台宗門派の開祖「智証大師」が誕生した地
 智証大師の祖父・和気道善が建立。
 智証大師は唐より帰国後 伽藍の造営を行われたが度重なる兵火で焼失したが            
 慶安4年(1651)に再興された

 乃木将軍が明治31年~34年宿舎として滞在していた


      第77番 明王院 道隆寺       香川県 仲多度郡多度津町

                         
                       本 尊  薬師如来
                       開 基  和気道隆
                       創 建  和同5年(712)
                       真 言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか











  
       本 堂                                     大 師 堂
 
   天平の頃この付近は桑園であった、寺伝によれば当地の領主である和気道隆が乳母を
   誤って射殺してしまったため これを悲しんで桑の大木を切り 薬師如来を刻んで堂に
   安置したのが起源であるという
   後に弘法大師が巡錫したとき 薬師如来を刻み道隆が彫った小像を胎内に納めて
   (二体薬師如来)本尊とし 四国霊場に定めた
                   


                                                             八十八ヶ所 めぐり

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