2014年9月14日日曜日

お遍路 

  四国八十八所巡り  第3回
                                          2014ー8-29     42名  

   旅 程     枚方== 12番焼山寺== 13番大日寺==14番常楽寺==15番国分寺==枚方

   枚方のバス集合場所にはお遍路のバス車列が第1回 第2回 第3回(2台)と4台も並び

   添乗員があっちで こっちで 案内の呼び声でグループ毎にかたまっている

   バス走行中に車内挨拶で「本日は他の地点からも、遍路バスが出ていますので渋滞を

   避けて参拝順路を逆にします」ということで 第15番 国分寺から始まる


第15番 国分寺                  徳島市国府町

   
第15番国分寺門前

         宗 派  曹洞宗

          本 尊  薬師如来

           開 基  行基菩薩

           創 建  天平13年(741)

     真 言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
太子堂












仏教に篤く帰依した聖武天皇は、政教一致、地方文化の向上 などを祈って全国に国分寺を創建

した (四国には四県に国分寺がある)   
    
 阿波国分寺には聖武天皇から釈迦如来尊像と「大般若経」が納められた。                                                    
 開基は行基菩薩で薬師如来を彫像し本尊としている



              無縁仏               
その昔お遍路の途中で行き倒れになった人達の墓



第14番 常楽寺       徳島県国府町

釣鐘堂(左) 本堂(正面)




       宗 派  高野山真言宗

       本 尊  弥勒菩薩

       開 基  弘法大師

       創 建  弘仁6年(815)
  
                  真 言  おん まい たれいや そわか
                                                                                                                                         




太子堂 
弘法大師が42歳の頃 この地で真言の秘法を修行

していた時 多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが

來迎された 大師はすぐに感得しそばの霊木に   

その尊像を彫像し堂宇を建立し本尊にした      




第13番 大日寺      徳島市一宮町



本 堂 

     宗 派  真言大覚寺派

     本 尊  十一面観世音菩薩 

     開 基  弘法大師

     創 建  弘仁6年(815)

     真 言  おん まか きゃろにきゃ


     

太子堂 


  弘法大師がこの地で護摩修法されていたさいに                                                  空中から大日如来像が舞降り「この地は霊地なり

  心あらば一宇を建立すべし」と告げられた

  大師は大日如来像を彫像して本尊とし堂宇を建立す

                                         






大日寺の住職に就任した韓国籍の金昂先(キム・ミヨウソン)さんは、

夫の大栗弘榮住職が急死され その跡を継いで修行を経て住職に就任された

韓国文化庁から伝統舞踊の第一人者として県内公演の際、大日寺で宿泊したことが縁で

1996年に大栗さんと結婚した「徳島市で暮らし、ここで骨を埋める覚悟で徳島県民です」

「宗教も芸術も人間にとって欠かせないという共通点がある。その両方で日韓の架け橋に

なりたい」

2013年9月8日 NHKで放映された   「こころの時代~宗教・人生~「お大師様に導かれ」」


第12番  焼山寺   徳島県名西郡神山
                             
        
 
      宗 派  高野山真言宗

      本 尊  虚空蔵菩薩

        開 基  役行者小角

        創 建  弘仁6年(815)

        真 言  のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん
                     
            ありきゃ まりぼり そわか

      

本 堂 

太子堂














雨に煙る杉木立

焼山寺山(標高938m)の8合目近くにある山岳札所である。昔から険しい坂道の難所で

「修行の霊場」で「遍路ころがし」といわれている。

此の山には神通力をもった 大蛇が棲んでおり しばしば火を吐いて農作物や村人たちを

襲っていた。弘法大師がこの地に巡られて一本杉で休んでいたところ、夢に阿弥陀様が現れ

た。目を覚ますと、目の前が火の海になっていた。大師は麓の垢取川で身を清めて山に

登ると大蛇が全山を火の海にして妨害した

大師は印を結び、真言を唱えながら進んだのだが 大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした

大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じこめた。

山は焼山となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けた

境内には樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び 巡礼者を迎えている。

           
  焼山寺を出て 山道を降って行くと衛門三郎のゆかりの杉の大木に出会う


杖 杉 庵
衛門三郎の杖を墓標にしたら
根が生えて杉の大木になった

現在の杉は2代目である





衛門三郎 

















むかし天長の頃(824)伊予の国荏原(じんばら)の郷に河野衛門三郎という強欲非道の大庄屋が   

住んでいた ある日旅の坊さんがやって来て、門前で托鉢の鈴を鳴らした昼寝を破られた三郎は

腹を立てて 竹箒で坊さんの托鉢をたたき落とした托鉢は8つにくだけ、飛び散った、    

そんなことがあった翌日から、衛門三郎の8人の子供が 次々と亡くなってしまった。        

子供を亡くした三郎は声を上げて泣く日が続いていた。

ある夜、三郎の夢枕にあの旅のお坊さんが現れ「前非を悔いて情け深い人になれ」と告げる

夢から覚めた三郎は、強欲であったことを悔い、あの時の僧は弘法大師だったのだと気がつく

あの高僧に謝罪し許してもらおうと四国遍路の旅に出る (これが遍路の始まりと言われる)

しかし、四国を二十数回巡りましたが、逢う」ことが出来なかった

とうとう三郎は12番焼山寺の近くで倒れた. いまわのきわに「三郎!三郎!」と呼ぶ声に眼を

開くと、弘法大師が現れ「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせた。

そして三郎は眠るがごとく この世を去ったといわれている

小石は第51番石手寺に安置してある


      永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺      子規





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