2020年10月19日月曜日

大阪城ホール


 青春が止まらない

                大阪城ホールへ行きました      2020-9-22

 コロナで不安は尽きないけれど、こんな時こそ青春の歌を
聴いて元気を出そう! 前を向こう!

祝 大阪城ホール制覇 太田光  
御祝 三代澤康司 山田雅人 友近









三代澤康司アナウンサー

  






  三代澤康司  1960.4.14生 60歳 
         出身地 奈良県生駒郡
   
      朝日放送ラジオ
     「「ドッキリ ハッキリ三代澤康司です」
                         月曜日~木曜日 9:00~12:00

山田雅人

 山田雅人 1961.1.22生 59歳  
      出身地 大阪市大正区

  お笑い芸人「語りの世界」という唯一無二の話芸
  「稲尾和久物語」「江夏の21球」等
  言葉のドキュメンタリーワールドが面白い
 「こうせつ市場」は三代澤アナウンサーと漫才コンビ名
 で場内を笑いの輪に引き込んだ




南こうせつ
          南 こうせつ  1949.2.13 生 71歳
          出身地 大分県大分市出身
   
     「神田川」「赤ちょうちん」「妹」(ミリオンセールス)
 
      ユニークなキャラクターと巧な語り口が人気
      いつもこうせつさんの歌があった
      若い頃に親しんだ歌を聴くことが一番





イルカ
  イルカ    1950.12.3 生 70歳 
         出身地  東京都中野区
         本名   神部としえ
                    
 女子美術大学のフークソング同好会に在籍していた当時     
 皆がギターを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」
 と言ったのがきっかけで「イルカ」になった

 「なごり雪」「夢ひとり」「いつか見る虹」
  変わらない歌声に心がなごむ




押尾コータロー
          押尾コータロー
          1968.2.1生 52歳 大阪府吹田市 
          ギターリスト 
          全国ツアーライブ活躍中






馬場俊英
  馬場俊英
    1967.3.20 生 54歳 埼玉県寄居町 出身
    シンガーソングライター
    「スタートライン」…他
杉山清貴
 






               杉山清貴
                1959.7.17生 61歳
                横浜市磯子区 出身
                シンガーソングライター
              
             
                 
          
森山良子
 森山良子
 1948.1.18 生 72歳  東京都出身
 平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞
 平成20年度秋紫綬褒章受賞
 この野原いっぱい。さとうきび畑 涙そうそう

 ピンクの軽やかな衣装をひらつかせ 舞台いっぱいを飛びまわり
 ベルデイの「椿姫」を高らかに歌い上げる

   
   場内いっっぱいに広がる歌唱力と演技にときどきウルウルと涙が出て熱くなった
                              終わり

2020年10月1日木曜日

第237回 文学歴史ウオーク(守口)


 江戸川乱歩ゆかりの守口を辿る

                             2020-9-6    43名

 集合場所  大阪メトロ谷町線・守口駅改札口

 コース   守口駅10:00-狼島跡―江戸川乱歩旧宅ー旧淀川の痕跡ー謎の境界線ー                                       五荘水路跡ー江信川跡ー太子橋跡ー摂津河内の境界線ー昭和の九軒長屋ー                             旧千林村-ダイエー発祥地―京阪千林駅解散(約4km)



講師   西俣稔先生     

毎日新聞大阪版連載「わが町にも歴史あり」の案内人  

大阪保険医新聞「大阪先人の足跡をたどる」執筆…他



               江戸川乱歩の居住跡

江戸川乱歩   明治27年(1894)三重県名張生まれ  
本命は平井太朗ですが アメリカの探偵作家エドガー・アラン・ポー    
旧宅跡
から江戸川乱歩の筆名をつけた
 『D坂の殺人事件』    1925年
 『陰獣』         1928年
 『黒蜥蜴』        1934年
 『怪人二十面相』     1936年
 『探偵小説四十年』    1961年自伝
名探偵「明智小五郎」は守口生まれ?
                                (執筆は守口だった)

乱歩作品の不気味な世界の原点は書斎から眺めていた葦や木がうっそうと茂る淀川沿い
の外島跡や狼島跡だったのかもしれません
乱歩は人間に潜む心理の屈折や怖さ、あるいは錯覚を描き どの作品も論理的に解決
できる筋書です
    
守口 大阪の謎の境界線                           
道路を斜めにはしる境界線
       

守口市竹町
大阪市旭区太子橋














不思議なことに守口市と大阪市旭区の境界線は隣接する家の間を境界線が通っている


 淀川工科高校や守口第一中学校には境界線がグランドを横切っています
 さて謎の答えは なんと奈良時代の天平十三年(741)奈良朝廷は国の境界は「河川の
 中心か山の尾根」と定めた 当時ここを流れていた淀川の中心が 河内国と摂津国との
 境界だった
 明治30年代淀川の付替えで埋められて宅地化したのに境界だけが残っている

 江野川跡   大阪市旭区
             
江野川暗渠の上は     
阪神高速守口線
江野川の正式名称は[桶管統一水路]という
昭和以前の旭区は 純農村地帯だった 田畑の灌漑用水と   
して淀川の堤防に樋門・桶菅を設け農業用水の取り込みを  
していた
しかしこれらが老朽化すると堤防の安全に影響を与え
費用補修も多額に上がることから それらを統一し一か所
から取水して 堤内用水路で田畑に配分する計画をした



 枚方市字伊加賀地先に新合同樋門を建設し 上庄・出口・ 二十箇・茨田・佐太・八雲・ 五箇・榎並の8用水路を   まとめさらに流末の予備水路として在来の榎並用水の 一支江野樋の地点を起点に城北運河(現城北川)へ放流する計画で昭和9年通水が完了した

 大阪万博(昭和45年)を契機に加速した市内近郊の高速道路(阪神高速守口線)整備の  
  ため江野川は暗渠化され約3,5㎞にわたる遊歩道が整備された

 道路予定地に沿って大宮小学校 大宮中学校 大阪淀川工科高校など教育施設が並んで 
 いるため環境問題として反対運動が起きた。 話し合いが続けられ 高架橋の高さを嵩上
 げしさらにプラスチック板の遮音壁を造ること及び江野川跡を緑陰道路化する事になる

大宮小学校(創立昭和8年(1933))
大阪淀川工科高校


             大阪淀川工科高校
             創立 昭和12年(1937)
      全日本吹奏楽コンクールで金賞最多
     (NHKで練習をドキュメンタリー放送された)



豊里大橋(右折して前方に豊里大橋の斜張形が見える)
     橋長561m
江戸時代前期から「平田(平太へいた)渡」があった
明治40年には府営になり大正14年には市営になり
昭和35年には発動機船になり1日約3000人と670台の自転車
を運んだ

豊里大橋の完成に伴って長い歴史の幕を閉じた
本橋は万国博覧会の関連事業として昭和45年に完成した





💛10年程前に枚方から天満橋まで淀川沿いをグループでウオークした時 
  鳥海大橋 豊里大橋 長柄橋と見上げながら淀川の大きさとそれぞれ優美な橋の姿を
  楽しんだことを思い出す   (歩数計が23000歩だったかな)

                    千林商店街にて解散12:30 おわり

2020年9月13日日曜日

ムーミン

       ムーミン 75周年記念

                    日本フンランド外交関係樹立100周年記念

                    主催=あべのハルカス美術館。朝日新聞社

    トーベヤンソン・フンランドのヘルシンキに1914年生   2001年86歳没

森の中に忍び込んで

ムーミンパパとママ



スナフキンと仲間たち


ガチャポンで出てきたミニカップ


ミニチュアムーミンハウスを製作中

       




  










       








記念撮影でーす!






ムーミンママ、スノークのお嬢さん、ムーミン、リトルミイ、ムーミンパパ、ミムラねえさん
 
   スナフキンの名言集
    ♥ 長い旅行に必要なのは大きなカバンじなく くちずさめる一つの歌さ。
    ♥ 眠っているときは休んでいるときだ また元気を取り戻すために
    ❤ 駄目だよ 僕は孤独になりたいんだ 来年の春また合おう

2020年8月31日月曜日

文学歴史ウオーク(大阪)


高麗橋から京街道・熊野古道と奈良街道を経て二軒茶屋まで

                              2020-8-2  40名

  集合場所  地下鉄堺筋線北浜駅南改札口  午前9:00

  コース  地下鉄堺筋線北浜駅―高麗橋・里程標ー坐摩神社行宮(窪津王子跡)

      -三橋楼跡ー太閤下水と背割りー坂口王子跡―榎大神ー東雲稲荷社

      -玉造稲荷神社ー白光大神ー黒門場所跡ー二軒茶屋跡ーJR玉造駅(約7㎞)


  講師 芝川明義先生(1952生)

 シルクロードの旅を続け将来はローマを目指す

 著書 「ドライブ関西地学の旅シリーズ」

    「さあ化石を探しに行こう!」

   「カラー版徹底図解地球のしくみ」   




高麗橋里程標   江戸時代の里程計算の起点は高麗橋の東詰にあった


         ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の

         基点となった

                         現在の道路元標として梅田新道交差点西北角に 

       移されている


坐摩神社行宮いかすりじんじゃあんぐう)(窪津王子跡)大阪市中央区石町

淀川河口には渡辺津・窪津・大江などあり京からの船が着く

熊野古道の基点でもあった 熊野三山への参詣道沿いに建っていた

この地は坐摩神社の旧鎮座地であって天正11年(1583)

豊臣秀吉大阪城築城に際し大阪中央区久太郎町に遷座さる




「熊野九十九王子」のうち最初の「窪津王子」は

 この坐摩神社行宮の場所にあったとされる




坐摩神社行宮由緒

神功皇后が新羅よりご帰還の折この地に坐摩神を奉斎

された 又 石上にご休息されたと伝えている

今も境内にご鎮座石が残り 故にこの地を石町と称す



太閤下水背割   

   大阪中央区豊人町 地下鉄「谷町4丁目」

 豊臣秀吉が大阪城築城(天正11年1583年)際 町づくりにあたっては大阪が 淀川・大和川のデルタ地帯にできた低湿な土地で あったので 道路整備と同時に町家からでる下水を排水するため下水溝が建設された 大阪城に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られその道路に面した建物の背中どうしのところ(裏口)に下水溝が掘られた

「背割下水」「太閤下水」と呼ばれている 


現在背割下水は地下構になっている



南大江公園  大阪市中央区谷町四丁目                

 面積は5000㎡ほどでほぼ子供向けの遊具広場である 因みに         
  「直木三十五」が生まれて少年期を過ごしたのがこの辺り            

狸坂大明神
狸を火除けの神様として祀る風習は日本各地にあるようです この地は朝日神明社跡で
また坂口王子跡伝承地でもある                           

榎大神     大阪市中央区谷町六丁目               
            
   榎大明神は榎とされている木を神体とした祠で 榎は鑑定では槐(えんじゅ)  
   とされ樹齢およそ670年といわれている(祠の後)この辺りは紀州熊野参りと  
   伊勢参りのみちすじだった この樹は何より地元の人達は土地神とし     
「白蛇大明神」の祠を建てて代々この樹をお守りしてきた        
  
  東雲稲荷神社  大阪市中央区上町  創建 平成元年(1989)6月      



当地は元々玉造を代表する町人 松山甚四郎、その手代源助が全国に安全な旅を
提供するため組織された「浪花講」を設立した場所            
(現在の伊勢参りは玉造稲荷神社から出発し170㎞7泊8日で伊勢街道を歩く)

当社そのものの縁起としては不明だが平成元年6月に玉造神社より文社された 


玉造稲荷神社   大阪市中央区玉造                
       主祭神 宇迦之御魂大神   創建 伝垂仁天皇

聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際 この玉造岡に陣を敷き
「我に勝ちを与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせたまえ」と祈願
されたところ の地に枝葉が生じ この戦いも無事に終わった     
その後天正4年の兵乱により悉く焼失したが 豊臣秀頼公により再建された

豊臣秀頼公
秀頼公と淀君を結ぶ胎盤が鎮まる
玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)   

瓜を実験栽培中
(天保七年)の記載によると この辺りで作られていた瓜は玉造黒門越瓜と言われ
 太くて長くて濃緑いろ、八~九条の縦縞があり 糠漬けが美味しかったこと 
   から名産となった                             
                         
白光大神(しらみつおおかみ)   大阪市中央区             

白光とは白蛇のことで玉造稲荷から飛んで来た榎の種がこの場所で育ち
白蛇が住み着いたといわれている                 

黒門場所跡

かって大阪城の玉造門が黒塗りであったため 黒門とよばれていた
黒門は大阪市中央区玉造1丁目にあり 豊臣期に惣構門として築かれた
(交通量の激しい道路脇の草ぼうぼうの中に忘れ去られていて悲しい) 


二軒茶屋跡・石橋 旧蹟   大阪市東成区(玉造駅東)         
                         

江戸時代から奈良街道が人の往来も盛んとなり この街道の起点であった
玉造に「つるや」「ますや」という二軒の茶屋があり 旅人の休息の場と
して繁盛した                           
この二軒のそばを流れていた猫間川に宝永8年(1711)幕府の命によって
石橋が架けられ黒門橋と名づけられた                
当時としては珍しく石で造られたものだったので通称石橋と呼ばれていた
  ここも又交通量激しい道路際に石碑が淋しく立っていて偲ぶよしもない  


 大阪環状線玉造駅で解散 12:30

 子供の頃、天王寺区空堀町に叔父が「ガラス業」を営んでいた、母に連れられ
  「玉造」へよく行った事を思い出す、話上手な叔母の手振りが面白く楽しかった
         
 叔父は正義感が強く怒りっぽい人であった 信仰心篤い人で奈良の大神神社に
   月参りし又京都東山の東福寺が台風で大きく破損した時に大金を奉納した人だった
        
                                 おわり