2018年6月29日金曜日

宿場町枚方を考える会

  近郊の史跡を歩く~茄子作・私部方面
                                     2018-5-20  40名

 コース 交野市駅~逢合橋~東高野街道(本尊掛松跡~上の山の辻、大峰山道標)~
     閲武駐蹕記念碑(大正天皇)~山根街道~畠山家代官北田家住宅、長屋門~
     私部城跡~交野市駅  (徒歩約3.5㌔)


交野市 私部地区

砂子坂(すだこざか) 

砂子坂             交野市私部
昔 天の川はよく氾濫し 山からの土砂が低湿地である
砂子のあたりに堆積してついた地名と思われる



逢合橋(あいあいばし)







 逢合橋
          伝説では織姫と牽牛がこの橋で出会うとされている

  貝原益軒の紀行文「南遊紀行」の中で[天の川の源は
  生駒山の下の北より流れ出て、田原という谷を過ぎ、
  岩船に落ち、私市村の南を経て、枚方町の北へ出て淀川に入る

  獅子窟山より天の川を見下ろせば、砂川に水少なく、ひろくして、長くしてあたかも
  天上の銀河(天の川)の形のごとし、
  凡そ諸国の川を見しに、かくの如く白砂のひろく直にして数里長くつづきたるけるは
  いまだ見ず「天の川」と名付けし事むべなるなり・・・・・・・・]

七夕万葉歌碑

万葉歌碑
「彦星と 織女と今夜逢う 天の川門に 波立つなゆ」

(あの彦星と織女星とが 今夜逢う天の川の渡り場に  
 波よ 立つな決して)  
 巻10-2040   作者 不詳


本尊掛松跡


   

  
  本尊掛松跡          枚方市茄子作

 融通念仏踊りの発祥の地とされる。元亨元年(1321)

 法明上人が石清水八幡宮へと向かう途中で 迎えの
 八幡宮社人から、十一尊天得如来の画軸を受け取った
 場所で、その掛け軸を近くの松の木にかけて念仏を唱え
 感激のあまり踊ったという伝説地


 
  
  道標         道標
  右 宇治道      右 山根街道 私部口津田 
  左 京八幡道     左 明治三十七年一月建立
             裏 すぐ東高野海道







閲武駐蹕記念碑(えつぶちゅうひつきねんひ        交野市私部西

閲武駐蹕記念碑
演習部隊配置図















大正天皇が大演習をごらんになる為一時 馬から
下りられた所。    蹕(ヒツ。さきばらい。)



大正3年(1914)11月15日~17日
参加した兵士4万人 物資の輸送,審判、見学者含め10万人
動員兵力だけで秀吉と光秀による天王山決戦とほぼ同数


  北田家住宅                   交野市私部1丁目

長屋門
民家では日本一の長さ55,9m

















 地元では代官屋敷と言われている
 もと私部城主安見氏の重臣で 江戸時代旗本畠山の代官職を務めた
 南北朝時代の南朝方に仕えていた武将・北畠顕家(きたばたけあきいえ)につながり
 南朝没落後、足利家の世となったのを機に民間に下り、その姓をはばかって「北畠」の
 白を除き「北田」と称したといわれる
 関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下を統一し幕藩体制をしいたのに伴い元和5年(1619)
 畠山の子孫」・旗本畠山修理大夫が、私部の3分の2を所領するに及んで北田家は
 この地の庄屋を務めることになる
 18世紀前半には代官職を担うようになった  (屋敷公開は春と秋の2季制)

      無量光寺  (むりょうこうじ)            交野市私部                  
無量光寺門

山号  無碍光山(むげこうざん)
宗派  浄土真宗本願寺派 
本尊  阿弥陀如来立像
創建  嘉吉元年(1441)了道によって真宗に転じた

鐘楼





 曾ては住吉神社の西の方に天台宗の寺として建立された
 1441年足利軍に焼かれたいわれているが資料がない
 当時の了道は蓮如上人の教えを受けて浄土真宗に転じた

   梵鐘 
 享保15年(1730)の作。太平洋戦争時の金物供出を  
 免れ現存している

交野市指定樹木のイチョウの木

       想善寺   
                        交野市私部

   山号  修元山
   宗派  浄土宗西山派
   本尊  阿弥陀如来坐像

      河内三十三所観音霊場第十六番札所







   寺歴によると 天正年間に惣善なる人が念仏生活をしたのが始まりという
  
経の巻鬼瓦
経の巻鬼瓦










  古くから交野は良質の粘土を産し 多くの瓦窯があった。
  この瓦には「私瓦八」の銘があり、河州交野郡私部村 瓦師 大矢八兵衞(文政年間)
  の釜で焼かれたもの
  同銘の瓦は小田原城でも発見されており 私部瓦として良質の粘土と共に
  私部瓦師達の優れた造形力も高く評価されていた
経の巻(京の巻)鬼瓦


    光通寺                  交野市私部


     山号  長寿山
   宗派  臨済宗東福寺派
   本尊  聖観音菩薩
   創建  室町時代
   開基  別峰和尚 




                大阪の陣の兵火で焼失し、元禄の頃 覚海が中興する
                本堂には後村上天皇と、土御門天皇の位牌が祀られている
                朝廷にお茶を献上するなど極めて力のある寺であった
石垣地蔵(お薬師さま)
石垣地蔵(阿弥陀さま)












    私部城址                 私部5丁目

私部城址
私部城跡














  別名 交野城 連郭構造の平城 
  築城 永禄8年(1565)  廃城 天正9年{1581) 
  私部城は室町時代に築かれた河内の豪族畠山氏の家臣安見右近氏の居城である
  
  一段低い所にある田や畑は城を守った堀の跡で 小高い山は郭(くるわ)と    
  呼ばれる陣地で城の中心部である
  守りの弱い地形でありながら地形を巧みに生かして城が築かれ、落城の記録は無い
  織田信長軍が河内、摂津に進出する際の拠点となった            
  本能寺の変後に廃城された
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    地名  私部(きさべ)
  大和朝廷時代 皇后の事を司る役所を「私府」。それに当たる人を 「私官」。
  仕事をする人を「私部」と言っていた
  「私」という字は「后」と同じ意味で「きさき」と読んでいた
  「部」は朝廷に属する各種職業人の集団ということで 皇后のために
  する人達は「私部」と言われていた
  交野地方の「私部」は皇后のための稲作を行う人達という役職名で それが
  集団名となって地名に残されてきた
                         交野ものがたり おわり

2018年6月10日日曜日

ぶらり ほっこり




                     京阪電鉄 枚方公園駅構内にツバメのお宿

こっちの方が楽しいよ
ちょっと休憩

     最近ツバメを見なくなったなあと思っていた矢先にざわざわした駅構内の天井が騒々し
  いツバメ達の元気な生活にびっくり

             中島 潔 展           3月17日~5月20日
                                   大阪文化館・天保山(海遊館となり)

春の風



春の風












   














     






















  可憐な瞳の中に小さな宝石が描かれているのにびっくり 画家の魂は奥深い




          第7回「写真散歩」フオト展
                         枚方市民ギャラリー 5月18日~23日

薫風



    掛村裕子さん

     
機能美













       西村清美さん
願い(スコットランド)

セント・ジャイルズ大聖堂














    西田 彰氏
朝 陽

     31点の作品どの作品も芸術性がただよい 静かな躍動感に魅せられた

      

         羽生結弦展          京都高島屋 5月9日~21日









            










記念切手シート(82円×5) 



羽生選手の勝ち飯
「とろ卵豚キャベツ」


































   宮城県仙台市出身  1994年12月7日生 身長172㎝ 体重53kg 

   2014 ソチオリンピック。2018 平昌オリンピック大会連続優勝
   世界ランキング2013年10月~2018年4月にわたり1位

   2歳の頃から喘息を克服するためにスケートを始めた
   腰痛。中国人スケーターと衝突(顎7針 頭3針)。右足捻挫。左足靭帯損傷
    右足関節外側靭帯損傷など連覇に至るまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ

  ・ 演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は「士」の形を描いており
    「ジャンプ」の回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない
    である
   2014年 紫綬褒章 2018年 国民栄誉賞
  ・ 自叙伝「蒼い炎」の印税総額2500万円超を「アイスリンク仙台」に寄付

    会場では出場時の華やかなで繊細な衣装や 金メダル4個が輝いていた
                                          おわり

2018年5月14日月曜日

枚方一周ウオーク

 淀川(枚方公園~御殿山)

                             2018-5-13  30名

  行程  京阪電車枚方公園駅前ー水面廻廊ー明治18年洪水碑ー郵便屋渡し跡ー
      ー淀川資料館ー正光寺ー八幡神社

ボランテイアガイドさん達

 曇り空であるが「枚方公園駅」前に集合して名簿点検後
 枚方観光ボランテイアリーダーからコースの説明を聞く

 参加者は3班に分けられ、ネーム札を渡される

  

小降りでも歩く








     水面廻廊(みなもかいろう)


  この水路は昭和初期に農業用水路として造られた寝屋川市界まで2,8km
  平成8年4月 この水路を出口雨水幹線として改修し
  「水面廻廊」と名付け 安らぎの空間を創造した


水面廻廊入り口

雨が降りだしたが散歩









30石舟のレプリカ


用水路の取り入れ口









内緒ですが向側に「TUTAYA」の本家らしい



  淀川洪水碑

明治十八年洪水碑

洪水の説明














  1885年(明治18年)6月18日淀川左岸にある支流 天野川の堤防が決壊 次いで
  枚方の三矢、伊加賀で淀川本流の堤防が182mにも渡って決壊、
  淀川左岸の堤防は各所で決壊、
  これにより大阪府下 北は枚方市から南は東大阪市 大阪市の淀川以南の
  約15269町歩(15142ha)が水害を受けた
  大川上流の川崎橋、天満橋、天神橋,難波橋、淀屋橋 安治川橋と30余りが次々と
  流失した
  家屋流失1749戸 損壊15000戸 被災者30万4199人

  この間、大川の堤防をわざと決壊させ そこからこの膨大な水を流してしまおうと
  「わざと切れ」と呼ばれる江戸時代から度々行われてきた方法をとった
  最終的に長い時間がかかったがここから大半の水が市街から出て行った
  

  枚方市水位観測所
                枚方市桜町3-32



淀川河川敷に水位観測所













 淀川に群生している葦を模して造られた観測データーは淀川工事事務所へ光ケーブルで
 送信される
 ちなみにインターネットで 舟橋川 天の川 穂谷川の水の流れ状況がカメラ映像で
 1分毎更新されて 見ることが出来る

  郵便屋の渡し跡(大塚の渡し)

   明治時代淀川左岸の郵便物は枚方の渡しを利用して船で高槻まで運ばれていた
   昭和5年(1930)枚方大橋の完成で郵便屋の渡しは姿を消した


郵便屋の渡し跡

   淀川資料館      枚方市新町2-2-13

淀川資料館

       琵琶湖の水は京都、大阪のみならず神戸の上水道も一部まかなっている
  淀川は古くから水運に利用されており、灌漑、発電、上水道、工業用水水道など
  多くの目的に利用され、社会 経済 文化の発展に大きく貢献してきた
          
淀川の歴史

くらしと淀川









   琵琶湖から淀川、大阪湾への水の流れ 淀川の特徴、大阪平野のっ変遷
   淀川の昔の治水事業(茨田堤 文禄堤) 三十石舟と喰らわんか舟
   明治十八年の大洪水のようす 淀川のつくりかえと沖野忠雄 大橋房太郎

   パネル展示ばかりであまり興味がわかず 雨降りの中を歩いた疲れもあり
   ここでリタイヤする人が多い (右にならって同じくリタイヤ)
                 **************

   ウオーキングをリタイヤして枚方市の「五六市」をぶらぶら見て歩く    

  五六市
   京阪枚方市駅~枚方公園の北側 約1キロ 120~180軒ほどが出店している
   東海道第56番の宿場町として栄えた枚方宿なので「五六市」と名付けられた   
  



       雑貨 天然酵母パン 無農薬野菜 手創りアクセサリー
 












  雨降りの中 皆さん頑張って出店しているが 残念ながら客足は乏しい

   漬物店  大根 白菜 みぶな ひの菜 きゅうり 奈良漬け ・・・・・ 
    台の上にぎっちりと並んでいる,店主は素朴で優しそう。
    リピーターがあるらしく和やかな会話が弾んでいる 100円、200円均一
   (大根 白菜 なすびを買う。夕食は新鮮な味を噛みしめ幸福な気分になった)
              
                                    歩数計 5600歩