2020年11月17日火曜日

第239回 文学 歴史ウオーク (嵯峨嵐山)

 トロッコ列車と保津川下り

                             2020-11-1   46名

  集合場所 JR嵯峨野線 嵯峨嵐山駅改札口 午前10時30分

  コース  嵯峨嵐山駅(10:30)-トロッコ嵯峨駅(11:02)~トロッコ亀岡(11:25)

       -送迎バスで湯ノ花温泉・烟珂(けぶりがわ)昼食ー保津川下り渡船

       ー(14;30~16:30)ー嵐山船着場・・・16:45解散


JR嵯峨嵐山駅
 平成2年(1990)JR山陰線の複線化によって使われ              
   なくなり
 廃線後荒れていたが保津川渓谷沿いの素晴らしい                 
    景観を車窓から楽しめる列車に改めて発足した

 平成3年(1991)4月27日にトロッコ列車を走らせる
 
   
車窓から美観を楽しむ
 







廃線後に
桜守の佐野藤右衛門さんの姿や       
又楓の苗木を植える人達の姿がテレビで
報道されていたことを思い出す
 




保津峡駅ではタヌキさん達が迎えている





                            トロッコ亀岡駅に到着して
送迎バスで湯の花温泉「京都・烟珂(けぶりがわ)」に到着
ゆっくりと温泉に浸かり 露天風呂では賑やかに歓談
おしながき 
    前菜 汲み上げ京湯葉
       煮蛸 煎り栗 秋刀魚炙り 古代米寿司
    造り 活鮮盛り込み 鯛 戻り鰹 京都の生麩
    焜炉 京都ぽーく麹甘酒鍋
    焼物 秋鮭幽庵焼き  
    油物 海老新丈東寺揚げ 季節野菜いろいろ
    逸品 松茸茶碗蒸し
    お食事 亀岡のお米 自家製京つけもの  
                  水物 旬果物


  送迎バス車窓から亀岡の「夢コスモス園」を眺める


2020年 10月1日~11月3日 開園

約4.2ha(約12704坪)に800万本

家族連れやカップルがそれぞれに
ゆっくりとコスモスを切り取っている








保津川下り

横列4人掛けで23人が乗ると船頭
さんが重いなあと苦笑い
船の操船方法や保津川くだりの歴史
周辺の見どころなどがユーモアたっぷりに紹介され 船の中はいつのまにか
和気あいあいとした雰囲気になった

急流すべり
  

  江戸初期の慶長11年(1606)に京の豪商角倉了以が
  木材や薪 炭などの丹波地方の産物を都に送ることを
  目的に産業水路として拓いた

  昭和の子どもの頃 国鉄山陰線の車窓から 材木を筏に
  組んで運ぶ風景を 何もおもわず眺めていたんだよ


 


トロッコ電車の客と           
船からと手を振って笑っています



時には水しぶきを「キヤー」と浴びながら 
16kmを2時間の船旅であった

                                                      おわり

2020年11月10日火曜日

第238回文学歴史ウオーク(須磨寺)

 源平合戦合戦ゆかりの須磨寺を訪ねて

                               2020-10-4 46名

  集合時間  10月4日 午前10時

      集合場所  山陽電鉄 須磨寺駅 改札口コース   山陽電鉄・須磨寺駅改札口~                            須磨寺見学(一弦琴の鑑賞) (約2㎞)

  講師    西村好子先生  1947年生まれ 兵庫県出身 神戸大学文学部講師

  著書    「寂しい近代ー漱石・鴎外・四迷・露伴」「やさしい漱石」他

須磨霊泉
  須磨霊泉  大正13年建立の石碑
  須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いている
  昭和13年阪神大水害や平成7年の阪神淡路大震災時には貴重な
  水源となり地元の人には「命の水」とよばれている
霊泉 飲用には煮沸が必要です。

ストウーバ

    亜細亜万神殿     神戸市須磨区須磨寺町
   (ネパール大震災復興記念堂)

平成26年或る篤志家が生前にアジア各地で蒐集された神仏の石像
を須磨寺に奉納された

砂曼荼羅

シヴァ神と妃
3人の女神














ネパールでは阪神大震災平成7年(1995)や東日本大震災平成23年(2011)の際 国を挙げて慰霊祭と復興記念が行われていた
平成27年度(2015)ネパールの大震災が発生し復興を願い「ネパール大震災復興記念堂」と名付けられた日本在住のネパールの方々の拠りどころとなっている

 須磨寺    神戸市須磨区須磨寺町
                
              山号上野山 宗派真言宗須磨寺派  創建仁和2年(886)
              開山 間鏡  開基光格天皇(勅願) 本尊 聖観音
龍華橋



仁王門(運慶、湛慶)









古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人も多く 境内には多数の句碑 歌碑 文学碑 漢詩碑など24基が並ぶ

正岡子規句碑
    正岡子規句碑
           暁や 白骨過ぎ行く 蚊帳の外
    松尾芭蕉句碑
           須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇
    与謝蕪村句碑 
           笛の音に 波もよりくる 須磨の秋


源平の庭












源氏の熊谷直実は 須磨の波打ち際で船に乗ろうと逃れる敦盛を見つけ 戦えと扇で
呼び止める。紅顔の公達敦盛(清盛の弟経盛の子)は戻って一騎打ちに応じるも 
百戦錬磨の 直実に組み伏せられる。直実が 相手の兜を取ると なんと自分の息子ほどの年齢の美しい若武者。 直実は逃がそうと逡巡するも源氏の追手が迫っておりそれもならず
泣く泣く首を刎ねた。敦盛、齢17歳であった
            ・・・・・・・・・・
直実は敦盛菩提のために仏門に入り法然上人の下で修行し念仏三昧院を建立する
長岡京市の光明寺の直接の始まりで建永2年(1207)9月4日に予告往生を遂げた
蓮生(宗名)の遺骨は遺言により当寺に安置された

写経輪堂

  写経輪堂
    お堂全体がくるくる回る 大きなマニコロ
    中には奉納された写経が納められている


敦盛の首を洗った池



敦盛首塚

  熊谷直実は義経の首実検の後 許しを得て遺品  
  馬 甲冑 弓矢 青葉の笛と共に戦死の有様を書き添
      えて父経盛に送り 懇ろに弔われた 
  敦盛首塚は今も人は絶えない



副住職小池陽人老師の法話
  温かみのある語り口と笑いを誘いながらの法話に気持ちが和む。後日改めてYouTube
  で「小池陽人」を検索し高校生から老人までどの世代にも通じる法話に感じいる
   
須磨琴(一弦琴)

 須磨琴は一弦琴(いちげんきん)とも呼ばれる
 平安時代 在原行平が須磨に流謫された時に初めて一弦琴   
   をつくり ひとりこれを弾じてその寂寞を慰めたと伝え       
    られている      (兵庫県指定重要無形文化財)






       須磨琴(一弦琴))4台が並べられた清らかな衣装の女性演奏者の
       しっとりした声音と流れるような音の響きに平安時代の趣を彷彿とさせる

            一の谷の 軍やぶれ          
            討たれし平家の 公達あわれ      明治39年
            暁 寒き 須磨の嵐に         作詞 大和田建樹
            聞こえしはこれか 青葉の笛      作曲 田村亮
                                    終わり