播磨の史跡をたずねて
2019-3-23 40名
コース
枚方バスターミナル(8:00)-伊和神社ー揖保乃糸資料館―平方の里ー
斑鳩寺ー太子町歴史資料館」―瓢塚古墳ー石の宝殿ー枚方(18:30)
両備バス |
前回と同じく「両備バス」で
前回と同じ運転手さんで神社、仏閣が趣味だそうです
宝塚SAは華やかで大きい
宝塚SA |
トイレにはシャンデリア |
揖保川 |
揖保川
一級河川 69,736㎞
水源 藤無山(氷ノ山系)1139m
合流先 播磨灘(兵庫県)
流れは浅く何処までもごろごろ石ばかり
伊和神社 兵庫県宍粟市(しそうし)一宮町須行名(すぎょうめ)
本殿 |
少彦名神(すくなひこなのかみ)
下照姫神(したてるひめのかみ)
創 建 144年 成務天皇14年
杉桧の大樹で荘厳な趣き |
山陰と山陽交通の要衝に位置し縄文の頃から
開発されていた地にある
16000坪の広大な森林のなかにあり
厳かな雰囲気がある
鶴石 |
伊和恒郷の夢に「我を祀れ」とのご神託があり
一夜のうちに杉 桧等が群生して多くの鶴が舞っており
大きな白鶴が二羽石上に北向きに眠っていたので
その所に社殿を造営したという その石を鶴石といい
社殿が北向きであるのもそのためである
揖保乃糸資料館 兵庫県竜野市神岡町奥村
そうめん作りの説明(実演) |
そうめん御膳 |
実物大で行程が表現されている
ひきのばし |
麺の仕込み |
斑鳩寺(いかるがでら) 兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)
聖徳殿 |
仁王門 |
三重塔(重要文化財) |
宗 派 天台宗
本 尊 釈迦如来 薬師如来 如意輪観音
新西国三十三札所 第33番
創 建 伝 推古天皇14年4(606年)
開 基 伝 聖徳太子
推古天皇14年、35歳の聖徳太子は天皇に請われ三日間にわたり
勝鬘経(しょうまんきょう)を講じた 天皇はその妙味に感動し 賞として
聖徳太子に播磨国揖保郡の土地360町歩を与えたという
大 楠 |
聖徳太子は当時住んでいた大和国斑鳩宮からこの地に
来て斑鳩荘と名付け伽藍を建設したと伝えられる
七堂伽藍をならべた大寺で壮麗を極めた
天文10年(1541年)に赤松・山名の争乱で焼失した
その後赤松氏などの発願で漸次再建された
太子町立歴史資料館 兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)
揖保川周辺の歴史 |
歴史資料館 |
資料館入り口 |
河内の枚方から移住して平方あたりを開墾したこと が記入されていた
平方の里 |
瓢塚古墳(ひさごづか) 姫路市勝原区丁字家久田
瓢塚古墳 |
姫路市の許可で古墳のてっぺんを歩く |
古墳時代初頭の3世紀中頃に造られたと考えられる前方後円墳。
全長104m 後円部の高さは約7m 発掘調査は行われていないが採集された
竹菅文のある壺形土器は 山陰地方のものとよく似ている
石の宝殿 兵庫県高砂市阿弥陀町生石
生石(おうしこ)神社 |
主祭神 大穴牟遅命(オオアナムチ)
少毘古那命(スクナヒコナ)
創 建 伝 崇神天皇治世
ご神体 |
ご神体と拝殿 |
神社のご神体が「石の宝殿」と呼ばれ 水面に浮かんでいるように見えるところから
「浮石」ともいわれる謎の石造物があることで知られる日本三奇のひとつ
(塩釜神社の塩釜、霧島東神社の天の逆鉾,生石神社の石の宝殿)
いつの時代に何の為に造られたかわからない
石の底を覗いてみると水の上に浮いているように見える不思議! 500tあるそうな
竜山石砕石遺跡 |
裏山も石の階段 |
、
竜山石は古墳時代の石棺材として用いられていた
大汝 少彦名将座 志都 石室者 幾代 将経
おおなむち すくなひこなの しずのいわやは いくよへぬらむ 万葉集
終