2016年8月16日火曜日

夏山シーズン


   剣 岳 残 照
                       2016-8-16

      14年前(当時73才〕鹿島槍岳に登山の折 眼前に見た剣岳の威容が今も脳裏に焼き付
   いている
   
   容易に人を寄せ付けない厳しさがあるものの それだけに孤高の美しさと荘厳さに  
   圧倒される 

   (曾てアルピニストであった某氏から「剣岳」の写真を数枚いただいたのでご披露します)


白馬山荘前から見る剣岳と立山連邦
 新田次郎著 「剣岳(点の記)」より
富山から4里(16キロ)のところに立山信仰の第一基点岩峅寺(いわくらじ)があった、 
ここから更に 2里(8㌔)登った所に芦峅寺あしくらじ)があり・・・・・・・・・・・・・・・
常願寺川の西岸を歩いて大山村和田という山峡の村につく・・・・(富山から六時間)

地元では剣岳は登れない山 登ってはならない山と言うことであった
 「弘法大師が草鞋3千足使っても登れなかったという山ですから」・・・・・・・・・・





それは鑢(やすり)で磨きあげられた鋭い岩峰であった。立山連邦のどの山とも似ていなかった
浄土山も雄山も大汝山も 別山もすべておだやかな表情をしていた

剣岳だけは奥まった一角で肩をいからし 近づく者を威嚇しているようであった
彼は「立山曼荼羅」を思い浮かべた 剣岳だけを 死の山と解釈したのも納得ゆく気がした

大日岳から剣岳
剣岳へ行く道は三つあります
     雄山(立山)に登って 尾根伝いの道を大汝山 真砂山と行き剣沢へおりて 
     剣岳の東面からから取り付く道と

     雷鳥沢から剣御前へ登って 尾根伝いに剣岳へ向かう道と

     室道乗越を越え 立山川沿いに下って 剣岳から西に長く張り出している
     尾根に取りついて登る道です

     七合目か八合目まで行けたとしても 後が登れない それは遠くから見ても
     分かるように 絶壁にかこまれているからです

     柴崎(陸地測量手柴崎芳太郎)は室道乗越の峠に立った

     早月尾根(当時はこの名はまだつけられていなかった)が西から東に延びて
     いった頂点が剣岳であった
 


確かに四人は大雪渓に一歩足を踏み入れた時から尋常でなかった     
誰も登ったことのない剣岳の頂上に 今日こそ立ってみせるのだという   
     覚悟が期せずして四人の心を貫いていた                     

赤錆びた長さ八寸程の穂先を発見した・・・・大きな錫杖の頭が置いてあるのを発見す
     
・・・・・・・・・・・・絶頂は岩石の山であった 「剣岳四等三角点」は設定された 
長次郎が背負ってきた柱に「明治四十七年七月二十七日陸地測量部」  
    と筆太に書いた木札が打ちつけられた                    



奥大日岳からみた剣岳


     新田次郎(64歳)が「点の記」の執筆にあたって案内人の佐伯文蔵さん
     文芸春秋社出版部の3名とで取材登山をしている

     文蔵さんは立山の主と言われるほどこの方面のことに詳しい人であった 

   剣沢小屋6:30・・・一服剣8:00(鹿島槍がはっきりみえる)・・・前剣頂上に立つと
   風速20mの風と 雨が本降り9:00
   文蔵さんは我々4人のグループの先50mほどを常に歩いていた

   軍隊剣・・・尾根の西側(東大谷側)・・・再び東側(剣沢側)・・・カニノヨコバイ・・・

   頂上は深い冷たい霧の中にあった 視界およそ20m

   文蔵さんが 柴崎測量官が歩いた地形を説明した ザラ峠 鷲岳 鳶山 越中沢岳
   出原山 丸山が一幅の画のように見えた
  
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    剣岳山頂で発見された 錫杖の頭と鉄剣は昭和34年6月27日重要文化財に指定
    柴崎芳博さんが保管
    鉄剣は錆びて細長い塊りだが 胴の錫杖の頭は千古の謎を秘めた緑青に包まれている


           ・・・・・・・・・・・・・・・・・お ま け・・・・・・・・・


双六岳  黒百合 チングルマ アオノツガザクラ


白馬岳  お花畑け
白山の黒百合























鏡平らから見る槍ヶ岳と穂高連峰


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

同じく10数年前、まだ健脚で私も跳んでる女であった頃の事。海抜0の確認で富山湾に手を浸し、立山の山頂に向けて早朝5時一斉に駆け出しました。いくつもの峠を越え最後には岩をよじ登り山頂に到着。依頼されていた盲導犬のお骨の撒布は撒くというより風に乗って消えていった。翌朝の室堂の山小屋から見た立山連峰の情景に畏怖さえ感じたものです。アー!泣けてくるほど懐かしい。
―センチメンタルゴマン-

ITO さんのコメント...

いい経験があり思い出があるのは 心の財産ですね 唯々自分だけの記憶ですが
幸せな事です

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