アンコールワット 四日目
2016ー5-21 25名
午前中自由行動タイム・・・ 1人で言葉もわからないのに街をうろうろするのも不安なので
ガイドさんのおすすめで 街のマッサージ屋へ他の2人組と一所にツアー会社のバスで行く
若い女の子と思えぬくらいの力強い指で ぐいぐい揉まれて痛い 肩 腰 足と思いっきり
押さえたり 引っ張られたり 初めての経験でがまんするだけで終わってやれやれと 安心
帰りは予約してあったトゥク トゥク(3輪タクシー)で街中を走ってもらう
無茶苦茶ガタガタとゆられるのでつり革をしっかりにぎりしめて砂っぽい風を全身に浴びた
街はアンコールワットの高さを超えてはならない建築制限があり綺麗と汚いがごちゃまぜ
バイクで突っ走ってる若者が多く活気がある (マッサージ15$ トゥク トゥク5$)
ホテルのロビーに全員帰国の身支度をして11:30に集合
買い物でパンパンになったらしいそれぞれのスーツケース
をバスのトランクに積み込む 観光の最終コースとなる
中華レストランで昼食 やっと慣れた食べ物かと思ったが
日本で食べる中華料理とはちょっと逢う (あっさりした味)
「空芯菜」をホテルのバイキングでもよく食べたが又出てきた
「チャー、トロォコオン」空芯菜のにんにく炒めで定番らしい
テーブルが円卓の所為か お互いの会話がしやすくなってビールやワインをセットで注文する
通貨のことはさっぱりわからないので 飲み物は 人任せでなんとなく割勘ですませた
カンボジアの通貨の単位は 「リエル」で旅慣れた人が簡単に暗算してくれた
ロレイ
創建者 ヤショーウ”ァルマン一世
創 建 893年
信 仰 ヒンドゥー教 (シウ”ァ派)
王都がアンコール地域に移るまではロリュオス地域に
王都が築かれていた
レンガが主に使われている為か損傷が大きい
補修の為の鉄柵で囲まれている
左側の祠堂は一部を残して完全に崩れている
左 デウ”ァター像
右 デウ”ァターの女官
リンガ
十字路に砂岩でできた樋があり(半分崩れている)
リンガに聖水をかける儀式をする
プリア・コー (聖なる牛)
創建者 インドラウ”ァルマン一世
創 建 879年
信 仰 ヒンドゥー教(シウ”ァ派)
かなり風化していて今にも崩れそう
聖なる牛ナンデイン像(シウ”ァ神の乗り物) 祠堂の前に3頭並んで神が堂から出てくるのを待つ
堂の壁面に細かく文字が)刻まれている 若者2・3人がそれを
なぞって読んでいるいるように見えた
ちなみに話しかけると「すみません」と笑って手を横にふった??
彼等は日本語を知っているのかい??? 話しかけたこっちも可笑しい???
現在の仏教寺院
天井も柱も極彩色で仏画や花が描かれ祭壇の仏様も鮮やか
今まで見てきた遺跡群から現実に目を覚まされた
お寺の側に土葬の墓
「これは赤蟻です」
大きいよ!赤蟻のお宿でっか?
この地では「蟻」を食べるんやって!
例えば牛肉と赤蟻をにんにくといっしょに炒めるとか
又赤蟻の卵も食べるそうな 説明を聞いているうちに
体のあちこちがむずがゆくなってきた
革細工工房
スバエク(影絵芝居)の工房 といっても屋外で少年達が黙々と彫っている
白い牛の皮をなめして木槌と目打で透かし彫にする トントンと打つ音があちこちで響く
一人前の仕事ができるようになるのに 17年かかるそうな
3頭像(アイラーウ”ァター) ヒンドゥ教神インドラの乗り物
バコン
創建者 インドラウ”ァルマン一世
創 建 881年
信 仰 ヒンドゥー教(シウ”ァ派)
最初のピラミッド式寺院として知られている
周壁は三重に張り巡らされている
第三周壁の中央に5層のピラミッド型基壇
が築かれ5層目には祠堂が1基
手すりのない石段は30cm程の高さで一つ一つゆっくり登る
1層、 2層、 3層、 4層、 5層、
上がりきって嬉しくなり バンザイ!(気分が若返る)
東西約900m 南北約700m
裏側に回ると2頭の獅子が崩れた小祠堂を見守っている
向こうに派手な色の建物は現在の寺院
日本の平安時代に この地では王様が
この重厚な石の御殿の中を並み居る
お供を侍らかせてゆらりゆらりと
歩いていたんでしょうな
王の白い衣がひらりと風にゆれている姿を
想像する
オールドマーケット
シェムリアップの台所で地元の人向けのマーケットで 生鮮食料品 雑貨 日用品 衣料品等々
活気に溢れる 魚のてんこ盛り 野菜も果物も雑然とてんこもり 呼び声もあちこちちで叫んでる
むんむんとした空気になんとも辟易気味です
いろんな種類の干物 地面で野菜を並べる
豚の頭にギョッ!ギョッ! 通りは 輪タク バイクがずらり
「オールドマーケット」の喧噪から出て散策したいると 大木が聳えている公園にきた
美しい庶民の憩の場である おっちゃん達4・5人が木陰で たむろして喋っていっる
子供の頃の街の風景を思い出す 平和なんだろうか せちがらい世の中なんだろうか
ピーポー ピーポー あれっ! 救急車!現実はこうなんだ!
1世紀 ころから王朝が栄え 7世紀から13世紀まで続いたクメール王朝は 東南アジアの大国 として栄えた
19世紀 からベトナムやラオスと共にフランス領インドシナとして植民地時代を迎える
20世紀 に日本帝国の支援を受けて ノロドム シハヌーク国王が独立宣言
ベトナム戦争には中立的であったが 国王外遊中にクーデターが起こりベトナム戦争に介入
サロト サルはポル ポトと改名し シハヌークを幽閉
苛烈な独裁と圧政の元に虐殺と飢餓で多数の国民が死亡する (数は不明)
ベトナムによる占領を経て1990年代以降 シハヌークによる王政に復帰
日本とは友好的な関係であり 日本から無償 円借款含めて多額のODAが供出されている事や
国際連合カンボジア暫定統治機構の代表を務めた明石康が国内勢力の和平に尽力し
民主的な選挙のもとにカンボジア王を再建した事があげられる
中国等はODAの見返り要求してくるのに対して日本は一切要求してこない為 逆に日本にお礼
したいと云う気持ちが強く親日感情につながっている
アンコールワットを訪れたい思いで やってきたが 歴史もさることながら 現実のこの国の
ありようがなぜか愛おしい ガイドさんの語り口が切実だった ガンバレ ガンバレと云いたい
シエムリアップ 20:45 空路 帰国の途に
5月22日 関西国際空港 6:40 大阪着 リムジンバス京阪守口行き 7:35
無事に帰宅 感謝礼拝
2 件のコメント:
旅もいよいよクライマックス。改めて再度、其の1から拝見。数々の写真や説明文を読み返し、すっかりこの旅は私のものに〔横取り?〕。疑似体験させて頂きました。どれも切り絵の中の夢の出来事のよう。心に残る良い旅でしたね。帰国時も、やはり、現地で解散でしたか。とんでもない話やわ-ごまん-
ありがとう ブログの書き込みをしながら再度 旅行気分でした
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