2015年7月25日土曜日

東海道五十三次ウオーク 第3回

瀬田唐橋~草津
                                           2015-7-18    40名


  行程  近鉄竹田駅(9:50)=瀬田唐橋(スタート)-建部神社ー 一里山ー弁天池                                                 ー野路の玉川跡ー野路ー立木神社ー 草津宿本陣ー近鉄竹田駅18:30
















今回は瀬田の唐橋からのスタートになる



俵藤太の百足退治(たわらのとうたのむかでたいじ)


俵藤太こと藤原秀郷は 平将門の乱の討伐で知られる 彼が瀬田唐橋に現れた大蛇にたのまれ
三上山に住む百足を成敗したという伝説
大蛇は瀬田川に住む竜王の化身とされ 橋の東詰には この秀郷と龍王をまつる橋守神社がある
  
      建部神社













長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社 祭神は日本武尊
源頼朝が平家に捕えられて伊豆に流される途中 建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願をし
見事にその願いが叶って以来 武運 来運の神として信仰を集めた



おべんとう

建部神社の境内で昼食タイム
前回と同じく「おしながき」付き       
京風のやさしい美味しい仕込み
「うばが餅」一個はいっていた






                                 一里塚跡




     平安時代末期に奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾
     までの道に里程標を立てたのが最初と言われている

     江戸幕府(1604年)は日本橋を起点として全国の街道
     に一里塚を設置を指令し、10年ほどで完了した

     街道の両側に対で 榎 松 杉などが植えられ旅人が
     休息を取れるように配慮されていた


弁天池
        
                                


池の中にある小島には弁財天が祀られて
おり 毎年一月には藁で作った
蛇を体に巻き付け弁天社に参る神事が
行われる

 江戸時代の大盗賊日本左衛門が逃げ
 隠れしていたとの伝説が残っている
   




野路の玉川跡
     
     日本六玉川の一つに数えられ





    東海道を行き来する旅人の喉をうるおしました

    泉は近くを流れる川の伏流水が湧き出ていた
    鎌倉時代には 萩の名所として知られ「萩の玉川」の
    別名がある
    「あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に
                       月やどりけん」  源俊頼 

平 清宗の胴塚

 草津野路の民家の庭に 平清宗の胴塚と保存供養されている


                         「 平安後期の公卿 平宗盛の長男 母は平時宗の娘
 後白河上皇の寵愛をうけ 三才で元服して寿永二年には
 正三位侍従右衛門督であった
 
源平の合戦により 一門と都落ち 文治元年壇ノ浦の戦いで
父宗盛と共に生虜となる
「吾妻鏡」に「至野路 以堀弥太郎影光 梟前右金吾清宗」とあり

当家では代々胴塚として保存供養しているものである
      遠藤権兵衛家  当主遠藤 勉 」 (現地案内板より)


時に清宗は17才で父宗盛(39才)が潔く斬首されたと知り 西方浄土に向かい静かに手を合わせ    堀弥太郎景光の一刀にて首を落とされ、 京都六条河原にてさらされる


「右やはせ道 これより廿五丁」

 矢橋道はこの角を右折し 狭い道を歩いていく

「瀬田へ回れば三里の回り ござれ矢橋の船に乗ろ」 と歌われたように 
大津へは 瀬田橋を経由する陸路よりも 矢橋港からの渡し船のほうが

距離が短く早かったようで 急いだ旅人は矢橋の渡しを利用した
  (現草津市内には 志那・山田・矢橋の三港があった)

      立木神社



 創 建  神護景雲元年(767年)
 御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)

 武甕槌命が常陸の国の鹿島神宮を白鹿に乗り旅に出られ
 諸国を経てこの地に到着され 手に持たれていた柿の鞭を

 を社殿近くに刺した 不思議にも柿の木は生えて枝葉が茂り
 出したとのこと 里人は御神徳を畏みこの木を崇め神殿を建て
 社名を立木神社と称した


草津宿本陣

 
 田中七左衛門本陣
  総坪数 1305坪 建坪468坪 
  かつては田中九蔵本陣もあった
                          上段の間
 
                 
                   
                     ・本陣で一番格式の高い部屋
                     唯一の格天井がはまっている
      湯殿
      



   お湯は屋外に湯沸屋形で 
    沸かされて運びいれられる
    
    外敵から身を守るため 部屋は広く湯船は中央に
     設置されている


  太田家酒造

   江戸城築城の祖として 文武両道に優れた 太田道灌を祖先に
   持つ 太田家が酒つくりを始めたのは 廃藩後の事で

   当時所領としていた100余町歩の田畑から収められる近江米を
   有効活用のため酒造を始め 以後酒つくりを生業として発展

   旧東海道 草津宿に趣のある佇まいの道灌蔵は見学 試飲が出来
   るが 時間の都合で試飲だけさせてもらい お土産に1本購入する


追分道標  
  
  東海道と中山道との分岐点にあり「右東海道いせみち」 「左中仙道 美のぢ」と刻まれている
  本日の東海道ウオークはここで終るが 

  別コースに 「姥が餅」のお店に立ち寄り多くの人が たくさんのお土産を買って嬉しい



戦国時代 近江源氏であった佐々木義賢より曾孫を
託された乳母が 養育費の捻出のために東海道と

中仙道の分岐点である草津の地で餅を売ったところ周囲の
人たちが その乳母の誠実さに感じ入って 「姥が餅」と      もてはやしたと言う

ちなみに この独特の形は乳母が幼児に与えた乳房を      表現している




2015年7月20日月曜日

枚方山歩きの会

京都一周トレイル「周山」コース
                                         2015ー7-10     23名

  行程  JRバス停京都(8:30)ー細野口バス停~滝又の滝~九頭神社~茶呑峠
       竜ヶ坂峠~(パラグライダー離陸場往復)~二石仏~中江橋~バス停山国
       ー周山バス停(17:40)ー京都駅(19:06)


















 リーダーの説明

 京都一周トレイルは従来4コース(東山 北山東部 北山西部 西山)でしたが、2010年に    
 旧京北町(現右京区京北)を一周する京北コースが開設されました

 全長が約40㎞になり 「周山」手前の「細野」を起点 終点とする周遊するコースです
 
 京北地域は全域が丹波高原に含まれ 9割以上が北山杉の森林地帯で夏でも涼しく
 清流 田園風景に恵まれた地域で 数々の名所旧跡 寺院等が楽しめます



滝又の滝(ナカマタの滝)
       ( 織田信長の甥 十界因居士が命名した)

出発して山間を一時間ほど歩くと「ざあーーーーーー」

と大音響が聞こえだし 期待に心が弾みまだかまだかと
進むうちに 秀麗な落差を見せてくれた滝は 約20m

昨日の大雨で 水嵩を増して堂々とした落ち込みで誰も
「ウアアーー! ウアアー!」と感歎の叫び」

何時まで見ていても飽きない
カメラのシャッターを 何度もきる人
あの滝に打たれたいなあ と言う人

リーダーの どうだ!という満足気な顔

ほんとに姿が良い 大量の水が滑り踊って落ちている
気持ちが洗われ  安らぐ










沢に渡された木橋を幾度か繰り返し渡ったり 樹の根とガレ石に   足元を緊張して歩く






沢の流れを上っているうち 地形の所為か沢幅が 広くなって水流も勢いを増している。 前の人はゆらぐ木橋を難なく渡ったが揺れを見てると 立すくんでしまった  

 リーダーはこんなこともあろううかと やおらリュックザックから オレンジ色ロープを取り出し
 数人の男性と掛け声を掛け合いながら対岸に渡して がっちりした樹に巻きつけてピンと張り
 もう一方では 2人の男性が渾身の力でロープを引き締めてゆるぎない

「さあ ゆっくり渡れ 大丈夫やから」

周囲の温かい声援に守られて片手をロープにかけ 5メートル程の木橋を渡ることが出来た   
                                             (ありがとう 神様 仏様)


 長ァーいオレンジロープの後片付けを手慣れた作業で小さく

 纏められる 拍手する人あり 野次が飛び 笑いが湧く
          (然しながら 自己のレベルダウンを自戒する)


  
     九頭神社
        
 社殿は覆い屋で 
     守られている

  
余野集落の外れの山裾にひっそりと鎮座するこの神社の創建は不明で 本殿は1778年       
地元余野村の大工3名が建て 見事な彫刻があり 京都有形文化財に指定されている
  
鳥居の前の大杉は何時頃植えられたものであろうか 100年以上は経っているであろう

余野公民館の敷地内広場で昼食タイム

公民館前のバス停にJRバスが来て一人の乗客があった
時刻表をみると1時間に1本しかない のどかな風景を

見た感じがした JRバスは「周山」から「余野公民館前」
までで折り返し「周山」に戻って行く




これからは 沢渡りはありませんから
 
森林浴を楽しみながらゆっくり歩きましょう







茶呑峠の地蔵


 峠のお地蔵さまの覆堂は天然石で囲み屋根は樹皮葺き
 されている



「この石仏は完全な丸彫りの地蔵菩薩で江戸中期のころに
つくられたもののようです

下ぶくれの温顔や衣の細部蓮の花びらなど明らかで峠の
地蔵さんとして気品に満ちた立派な仏さまです

永い年月 峠を越える人々がこの地蔵さんに祈りを捧げて
通っていったと思われます
            昭和五五年 庚申睦月   一参拝人」















パラグライダー離陸場へ上る分岐点で
「このコースで一番の展望場で20分程で行けます」

小休止でお茶を飲んだり 甘いお菓子をわけあっていると   
あちこちで 「ヒルがひっついたあー」と黄色い叫び声

女性も男性も ズボンや 靴下に引っ付いてるのを大騒ぎで
つまみ落とす 「くわばら くわばら」

女性2名だけが パラグライダー場行きはパスして
サブリーダー2名様の補導で降ることにする

     二石仏

  頑丈な石室に安置された石仏


  左は錫杖と宝珠を持つ地蔵菩薩
  右は智拳印を結ぶ大日如来

  江戸時代中期には茶店もあって 小浜街道として賑わった

      山国神社
      

    平安京造営の際に御杣御料地(木材を切り出す所)と定め(770~780)本殿が建てられた 
    毎年10月に行われる例祭には 維新勤王山国隊が行進し大変賑わっている



    バス停「山国」から遥か向こうのハングライダー離陸地を 
    見上げる
    今日は飛んでいないが 優雅に風に乗った姿を見たいネ
    
    「山国さきがけセンター」でアイスクリームを舐める人
    ビールを飲んでご満悦のご仁(暑い時はこれが一番やあ)
    地元野菜を買って見せ合う笑顔で 疲れは飛んだ


    ふるさとバス停 「山国」17:16ー     のりかえ
    JRバス停 「京北合同庁舎前」17:42ー京都19:06 料金¥1440  



                            
                        
       おつかれさまでした    

       お疲れさまでした
           おつかれさまでした





2015年7月8日水曜日

東海道53次ウオーク 第2回

山科~大津宿~瀬田の唐橋
                                    2015-6-28(日)   28名
                                          (土曜クラスは参加者多数)
  行程   山科追分(井筒八つ橋本舗追分店)(10:00)・・・逢坂峠・・・大津宿・・・瀬田唐橋


  「井筒八つ橋店」前に大阪から観光バスで到着組と 現地集合組が合流して女性リーダーの
  元気な号令で準備体操をし 体をのばして 「エイエイ オーッ」と雄叫びをあげて出発

  閑栖寺(かんせいじ) (大津市横木)

境内に車石が復元されている

 道を歩いていると民家の石垣 
 とか玄関前に散在している
 京都ー大津間に5~6万個敷か
 れていた
 当時は日の岡峠の勾配がきつく
 米俵の一部を降ろして人間が 
  
 運び 牛馬を引っ張って通った
 そうな 

     
  

伏見街道追分 
  ガイド氏が「後ろを振り返ってみてくださーい」と言われて見ると
 左後方に一筋の道が通っている
 この三叉路は「伏見街道追分」で伏見を経て大阪 奈良へ至る




月心寺

 浮世絵に紹介された「走井の清水」で知られる茶屋であった

 日本画家「橋本関雪」の元別荘でもある

 御堂には 小野小町の百歳像が安置されている


 
 
 土壁の透き間から 奥にある井戸(井筒)を交代で眺める




                                           
                         
              

逢坂峠                                          蝉丸神社上社
              


   声が大きく
   きれいで」
   爽やかな
   リーダーの解説








逢坂の峠は都と東国 北国を結ぶ東海道 東山道 北陸道の        関蝉丸神社下社

3つの主要道路が集中する交通の要衝で古くから 峠や
この関所を題材にした作品が多く残っている

「これやこのゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも
逢坂の関」

関蝉丸神社下社: 弘仁13年(822)小野)朝臣嶺守が逢坂山の
守護神として山上 山下に勧請され、946年に蝉丸の霊を合祀



                      
   歩いていて 途中にうなぎの名店「かねよ」の前を通る

   匂いは流れて来なかったが 誰も羨ましそうに笑っ 
   て通り過ぎる
         

                         
                     (功 頼 成 楽 )
                    
                                           落成を楽成にしたのがみそ
            旧逢坂山隧道












        旧逢坂山トンネル 石積みの重厚な坑門が完全な形で現存している

        明治11年10月5日から約1年8ヶ月の歳月を費やし明治13年6月28日竣工
        坑門上部にある石額は時の太政大臣三條実美の筆になるもので「楽成」は
        「落成」は「落盤」を避けるために「楽成」にしたとつたえられている
 
  大 津 宿

  本陣跡    江戸より53番目の宿  
          湖国最大の5軒の本陣 脇本陣があり
          人口は14、892人
          






    「此付近露国皇太子遭難之地」
           
                明治24年(1891) ロシア皇太子ニコライが
                巡査津田三蔵に斬りつけられたところ

                当時列強の ロシア帝国皇太子の暗殺事件で
                緊迫した状況下で 近代日本法学史上重要な
                事件とされる
                
              裁判で津田は無期徒刑(新刑法の懲役刑)となり 
                外務大臣 青木周蔵 内務大臣 西郷従道
                司法大臣 山田顕義が辞職した
      

  おべんとう

   大津駅前公園でお茶と弁当が配られる  お弁当のつつみ紙をあけると「おしながき」には
    浮世絵が印刷されてメニューが 品よく書かれている 内容も品よく 美味しかった














        


 義仲寺
 
 源範頼 ・義経軍と宇治川瀬田川の合戦(1184年)で      
 粟津が原 で討ち死にした 木曽義仲が葬られたところ
 芭蕉の墓
  「骸(から)は木曽塚におくるべし」と遺言していたという

  句碑 「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」


      和田神社                                       大いちょう














 白鳳4年(675)に鎮座  本殿は鎌倉時代の建築で重要文化財

 大銀杏は樹齢600~650年   石田光成が関ヶ原で捕えられ 京へ護送される際、
 このイチョウの木の下で休息をとったという伝説がある
                                           

   膳所城址の門
旧膳所城の北大手門として建てられたもの

膳所城は徳川家康の命により築かれた
築城の名手と謳われた藤堂高虎に造らせた城
                       



    膳所六門


                            武家屋敷の長屋門が残されている
              




                        瀬田の唐橋














   今回のウオークの終着点 女性リーダーの号令でストレッチ体操をして散会(16:00)



   瀬田の唐橋に因んだお話

   ・近江八景「瀬田の夕照」で名高く 多くの文学作品や又 日本書紀にも登場している
    
   ・「唐橋を制するものは 天下を制する」と言われたほど京へ通じる交通の要衝である

   ・連歌師 宗長 「武士(もののふ)のやばせの船は早くとも 急がば廻れ瀬田の長橋」
  
   ・芭蕉       「五月雨に隠れぬものや 瀬田の橋」
 
   ついでに
     近江八景    石山の秋月  瀬田の夕照  粟津の晴嵐  矢橋の帰帆
   
               三井の晩鐘  唐崎の夜雨  堅田の落雁  比良の暮雪    おわり