四国八十八ヶ所めぐり (66番~77番)
2015ー4-7-8 34名
行程 一日目 枚方(7:30)-高槻-明石海峡大橋ー大鳴門橋ー70番本山寺ー68番神恵院
69番観音寺ー66番雲辺寺ー67番大興寺ーアパホテル高松空港 泊
二日目 ホテル(7:30)ー71番弥谷寺ー73番出釈迦寺ー72番曼荼羅寺ー74番甲山寺
75番善通寺ー76番金倉寺ー77番道隆寺ー大鳴門橋ー
淡路ハイウエイオアシスー高槻ー枚方着(19:00)
一日目
第70番 寺宝院 本山寺 香川県三豊市豊中町本山甲
本 尊 馬頭観音
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん あみりとう どはんば うんばった そわか
本 堂
本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの
平城天皇の勅願により 弘法大師が七十番札所として開基
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際 住職を刃に
かけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち
驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れた「太刀受弥陀」
五重塔
大 師 堂
明治43年
住職の頼富実毅が再建
盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後 目が見えるようになり
その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やしました
遠くからでも目につき本山寺のシンボルとなっている
第68番 七宝山 神恵院 香川県観音寺市八幡町
本 尊 阿弥陀如来
開 基 日証上人
創 建 大宝3年(703)
真 言 おん あみりた ていせい からうん
開基は 法相宗の高僧日証上人で「琴弾八幡宮」を建立
807年に弘法大師が琴弾八幡宮の木地仏である
阿弥陀如来を描いて本尊として祀り寺の名を「神恵院」とした
本 堂 鐘楼の天井の彫刻が見事である
第69番 七宝山 観音寺 香川県観音寺八幡町
本 尊 聖観世音菩薩
開 基 日証上人
創 建 大宝3年(703)
真 言 おん あろりきゃ そわか
(小雨の中で参拝)
68番神恵院と同一境内にある 開基も創建の時期や由緒も同じである
弘法大師は琴弾八幡宮の木地仏である阿弥陀如来像を修めた時
この寺の第7世住職となって入山している
桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏
の子 道尊太政大僧正が住職として43年間務めた
第66番 千手院 雲辺寺 徳島県三好市池田町白地ノロウチ
本 尊 千手観世音菩薩(経尋作)
開 基 弘法大師
創 建 延歴8年(789)
真 言 おん ばざらたらま きりく
本 堂 四国山脈の山頂近くにある霊場で 「遍路ころがし」と呼ばれ
難所とされた 現在は麓からロープウエーで山頂駅まで上る
ロープウエーからの眺めは雨に曇って遠くまでは見えないが
山合いに桜が咲いてそれなりに美しい
カ ヤ の 木
樹高 20m
樹齢 1200年余
弘法大師四国修行の砌り カヤの種子を植えられたと伝えられている
第67番 不動光院 大興寺 香川県三豊市山本町
本 尊 薬師如来(伝弘法大師作)
開 基 弘法大師
創 建 天平14年(742)
真 言 おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
仁 王 門
742年東大寺の末寺として建立した その後嵯峨天皇の勅願によりて空海が再興したと
いわれている
仁王門にある金剛力士像は運慶の作と伝えられ 八十八ヶ所中最大とされる
5階 523号室 4名相部屋
8階 大浴場
1階 夕食会場 18:45
1階 朝食会場 6:00~(バイキング)
明日の出発は7:30
夕食後 部屋にもどり それぞれが趣味や日常生活を話
始め ると止まらなくなる 声もだんだん大きくなり笑い声と驚き声で賑やかで楽しい
中でも秀逸なご仁は 日本画を嗜みお寺の襖絵を描かれたそうな(八幡市在住 古家後女史)
襖絵・・京都市 東山区下河原 天台宗 双林寺
第71番 千手院 弥谷寺 香川県三豊市三野町
本 尊 千手観世音菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平年間(729~749)
真 言 おん ばざら たまら きりく
古来より日本三大霊場(恐山 臼杵磨崖仏 弥谷寺(いやだに)
の一つに数えられていた
境内口から山頂の本堂迄およそ540段の石段が続く 歩き組と小型バス組に分かれる
(片道500円) バスを降りてからでも108段をヒィーヒィーハァーハァー
聖観世音菩薩 阿弥陀三尊磨崖仏
濡れた540段の石段を滑らないように慎重に降りて来たら
茶屋で熱いお茶の接待に預かり とても有難く頂戴する
茶屋ではぽってりした草餅が売られていてそれが
飛ぶように売れている 店主も接待に預かった者も
みんなにこにこ顔で満足そう(疲れがいっぺんに消えた)
第73番 求聞持院 出釈迦寺 香川県善通寺市吉原町
本 尊 釈迦如来
開 基 弘法大師
創 建 平安時代前期
真 言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
「捨身ヶ嶽」縁起
弘法大師が”真魚”と呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り 「我、仏法に入りて一切の衆生
を済度せんと欲す。吾願成就するものならば釈迦如来よ姿を現したまえ。もし叶わぬのなら
一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。
すると紫雲が湧き 釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱き止め
命を救われた。青年になって我拝師山山頂で虚空蔵菩薩を安置し堂宇を建てた
この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ 今は寺の奥の院となり急坂を50分ほど上がるそうな
山と山が落ち合う途中に奥の院が建っている
第72番 延命院 曼荼羅寺 香川県善通寺市吉原町
本 尊 大日如来
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん あびらうんけん ばざらばどばん
創建は最も古く推古四年(596)讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され「世坂寺」と称す
弘法大師が唐から帰朝した翌年 母の玉依御前の冥福を祈るため 伽藍を三年がかりで建立
本尊に大日如来を祀り 寺名を「曼荼羅寺」に改めた
西行法師がこの近くの「水茎の丘」に庵を建てて7年余り暮らして この寺に通い本堂前の
平らな石の上でよく昼寝をしていたとそうな
第74番 多宝院 甲山寺 香川県善通寺市弘田町
本尊 薬師如来
(弘法大師作)
開基 弘法大師
創建 平安初期
真言 おん ころころ
せんだり まとうぎ
そわか
本 堂
大 師 堂
弘仁9年(818)満濃池が大決壊する 朝廷から派遣された 筑地使も難工事の為3年を経ても
難渋していた
弘仁12年(821)弘法大師は 嵯峨天皇の勅命を受けて満濃池を修復するよう 別当として派遣
された
大師は工事成就を祈願し薬師如来を刻み本尊として安置する その工事も3ヶ月で完成させた
大師は これ偏に薬師如来の加護であるとして、勅賜金の一部で堂塔を建立し寺号は山の形
が毘沙門天の甲に似ていることから 「甲山寺」とし 74番札所に定めた
第75番 誕生院 善通寺 香川県善通寺市善通寺
本 尊 薬師如来
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
真言宗善通寺派の総本山で 弘法大師誕生の地である創建
本 堂 当時の伽藍配置を残している
唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため大同2年
6年の年月をかけて、建立した真言宗最初の道場で
父の佐伯善通(よしみち)公の名をとって寺号とした
総面積45000平方メートルに及ぶ広大な境内は東院 西院
金堂 五重塔などが並ぶ「伽藍」は創建以来の寺域である
大 師 堂
第76番 宝憧院 金倉寺 香川県善通寺市金蔵寺町
仁王門
大師堂
本 尊 薬師如来
開 基 和気道善
創 建 宝建5年(774)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
金倉寺は弘法大師の甥で天台宗門派の開祖「智証大師」が誕生した地
智証大師の祖父・和気道善が建立。
智証大師は唐より帰国後 伽藍の造営を行われたが度重なる兵火で焼失したが
慶安4年(1651)に再興された
乃木将軍が明治31年~34年宿舎として滞在していた
第77番 明王院 道隆寺 香川県 仲多度郡多度津町
本 尊 薬師如来
開 基 和気道隆
創 建 和同5年(712)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
本 堂 大 師 堂
天平の頃この付近は桑園であった、寺伝によれば当地の領主である和気道隆が乳母を
誤って射殺してしまったため これを悲しんで桑の大木を切り 薬師如来を刻んで堂に
安置したのが起源であるという
後に弘法大師が巡錫したとき 薬師如来を刻み道隆が彫った小像を胎内に納めて
(二体薬師如来)本尊とし 四国霊場に定めた
八十八ヶ所 めぐり