2013年4月4日木曜日

東高野街道(2)交野~野崎   2013-4-3   

京阪 交野市駅ー本尊掛松遺跡ー地蔵石仏ー神祖営祉碑ー平井家ー旗掛け松ー星田神社ー

大正天皇行幸碑ー大井川万吉碑ー弘法大師祠ー打上の弘法井戸ー石室殿古墳ー大峰登山記念碑

ー二月堂灯篭ー三徳稲荷碑ー墓の堂古墳ー和田賢秀墓ー歴史資料舘ー四條畷神社ー

楠木正行墓ーJR野崎駅       (歩程約11km)
                     
本尊掛松遺跡
満開のさくら

本尊掛松遺跡・・・法明上人が「十一面尊天得如来」の画像を授けられて歓喜のあまり「尊像」を

傍らの松に掛けて、称名念仏を唱え踊りだした。(30年昔にこの地を訪れた時は荒野で往時を
郷士の甍

忍んだが現在は住宅街のなかに清潔に佇んでいる。



神祖営祉碑
出陣の時の旗掛松

徳川家康が「大阪夏の陣」の時に宿陣した事を記念する

石碑が建っている。

星田北の庄の郷士「平井家」は三河の国の地頭職であった

ことから同じ三河出身の家康とはゆかりの家柄であった。

3,600坪の敷地内に宿陣を造る

弘法大師祠


     北口と南口に(どの道のことかわからない)小さな    

      弘法大師祠があり祠から少し南の地に
     
     弘法井戸がありどんなに日照りが続いても枯れたことが
                                             なかったと伝えられている





弘法井戸











石宝殿古墳 




寝屋川市東端の打上にある北河内唯一の古墳

内部の高さ08m 奥行2m 7世紀ごろかと思われる

被葬者は不明だが政権とつながりのある豪族らしい





四條畷神社


御祭神・・・楠木正行(正成の嫡男)
               御年22才

       楠木正時(正成の二男)

       和田賢秀(正成の甥)


 明治22年明治天皇の思召により
 別格官弊社に列格仰下され
 翌年鎮座





楠木正l行墓

墓の横には樹齢550年の楠がそびえている








                                
 


和田賢秀墓 

猛將で相手の首を噛みきったので「歯の神」と崇められてる

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