2018年8月8日水曜日

西国観音霊場33所めぐり


 第4回(9番~11番)         2018-7-25  38名

  行程  枚方(ラポール枚方)8:00=JR高槻8:40-三室戸寺(十番)-
      醍醐寺[上醍醐十一番]-古都屋(昼食)-南円堂(九番)-枚方17:00 
  
   明星山 三室戸寺(十番)       京都府宇治市菟道滋賀谷
山門

                           宗 派  本山修験宗別格本山
 本 尊  千手観音(秘仏)
 創建年(伝)宝亀年間(770~781)
 開 基(伝)光仁天皇   僧行表
本堂





 天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は毎夜
宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、
右小弁藤原犬養なる者に命じて、光の元を尋ねさせた

光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと
滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た

犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(花びら)が流れてきて それが一尺二寸の二臂の
観音像に変じた。光仁天皇が観音像を安置し、僧行表を開山として創建した

創建当時は御室戸宮と言われていたが 光仁。花山。白河。三帝の離宮になったため
三室戸寺と言われるようになった

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    狛蛇「宇賀神」
      頭は老翁 体は蛇で蓮に乗っている
      撫でると財運 金運がつく
    
      翁のひげーー健康長寿
      蛇の尾 --金運
     みんな 笑いながら撫でまわす
    
宝勝牛




狛牛「宝勝牛」
大きく開いた口中には石の玉があり 撫でると勝運がつく

 (牛玉)富衛門というお百姓が飼っていた弱々しい牛が
 観音様のご利益で立派な牛になり 地域一番の権衛門
 の牛に戦い勝ち その時の報奨金を基に牛の仲買人として
 成功した。
 宝勝牛がくわえている牛玉の観音様に触れると勝運に恵まれる
  
説明を追加

      狛兎

直径60cm程の大きな玉を抱いている
 玉の中には卵型の石があり
 それが立てば願が通じる
      





  三室戸寺のある地域は 古来 菟道(うじ)と称され宇治の中心地であった
  仁徳天皇の弟 菟道稚郎子は宇治天皇とも称され 一時皇位についた可能性
  もある
  この菟道稚郎子は応神天皇と 宇治の豪族和邇氏の娘との間に生まれた皇子で
  宇治を本拠としていた
  菟道稚郎子が宇治に来た際 兎が道案内したとの伝承がある 
  日本書紀に菟道稚郎子は 菟道の山に葬られたとあるが 本堂の裏の古墳が
  菟道稚郎子のものだと言われている 
蓮酒を楽しむ会 7月13日限定300人












   5000坪の庭園には ツツジ シャクナゲ アジサイが季節を楽しませてくれる


 醍醐山 深雪山 醍醐寺(世界遺産) 京都市伏見区醍醐東大路町
西大門(仁王門)



  宗 派 真言宗醍醐派(総本山)
  ご本尊 薬師如来{重要文化財)
  開 基 聖宝理源大師
  創 建 貞観16年(874)



  仁王像(1134)大仏師勢僧 仁僧
          桧材 寄木造り




 下醍醐の伽藍
 仁王門 清滝宮本殿 金堂 五重塔 不動堂 真如三味耶堂 祖師堂
 観音堂(旧大講堂)西国十一番札所 弁天堂 成身院(通称女人堂)報恩院 霊宝館
 
 上醍醐の伽藍
 醍醐水 准胝堂跡(2008年8月24日焼失)薬師堂(国宝)五大堂 如意輪洞(重文)
 開山堂 奥ノ院・洞窟

 准胝堂(十一番)(じゅんていどう) 
 2008年8月24日落雷により焼失し 西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に移される
 
  ご本尊准胝観世音菩薩
観音堂(大講堂)

 准胝堂の創建は貞観18年 聖宝理源大師が開山のおり
 醍醐水の辺の柏の霊木から准てい観世音菩薩を彫り 
 その場に御堂が建てられた。
金堂(国宝)

秀吉の命で紀州湯浅から移築
主要部は平安末期の様式

 
 
 

五重塔(国宝)(951年)
京都府下最古の木造建築





不動堂










  三宝院
庭園
院内(建物内)の撮影は禁止
唐門
朝廷からの使者を迎えるときだけ開いた












  三宝院は永久3年(1115)醍醐寺第14世座主 勝覚僧正により創建された 
  歴代座主が居住する坊で、建造物の大半が重文に指定されている

  醍醐寺は1467年(応仁元年)に始まった応仁の乱の兵火に巻き込まれ三宝院を
  含む多くの建物が焼失し、一帯は荒廃してしまう
  1576年(天正4年)第80代座主義演は豊臣秀吉の擁護を受け1598年(慶長3年)
  醍醐の花見を金剛輪院を中心として執り行った
  金剛輪院に「三宝院」の名称を受け継がせた 其の後作庭は当時一流の庭師や
  「天下一の石組の名手」も参画させ27年間に渡った

  古都屋で昼食
鹿せんべいに釣られて依ってくる
そうめん御膳

      興福寺南円堂            奈良市登大路町

南円堂

  宗 派  法相宗大本山
  ご本尊  不空羂索観世音菩薩(国宝)
       (ふくうけんさく観世音)
  開 基  藤原内麻呂公・冬嗣公


   八角の一面は6,4m
  
五重塔


再建中の中金堂












  平城京での創建1300年を期に中金堂が再建中で10月に落慶法要される
  
  堂々と力強い五重の塔を見上る。高さ50,1m 
  外人のカップルが「ビューティフル」と感歎していた。意を突かれた

      国宝館には馴染みの阿修羅像はじめ 国宝20余像の仏像を拝し天平の時代に
  想いをはせる

両備バス に乗車し帰路に着く
           

2018年6月29日金曜日

宿場町枚方を考える会

  近郊の史跡を歩く~茄子作・私部方面
                                     2018-5-20  40名

 コース 交野市駅~逢合橋~東高野街道(本尊掛松跡~上の山の辻、大峰山道標)~
     閲武駐蹕記念碑(大正天皇)~山根街道~畠山家代官北田家住宅、長屋門~
     私部城跡~交野市駅  (徒歩約3.5㌔)


交野市 私部地区

砂子坂(すだこざか) 

砂子坂             交野市私部
昔 天の川はよく氾濫し 山からの土砂が低湿地である
砂子のあたりに堆積してついた地名と思われる



逢合橋(あいあいばし)







 逢合橋
          伝説では織姫と牽牛がこの橋で出会うとされている

  貝原益軒の紀行文「南遊紀行」の中で[天の川の源は
  生駒山の下の北より流れ出て、田原という谷を過ぎ、
  岩船に落ち、私市村の南を経て、枚方町の北へ出て淀川に入る

  獅子窟山より天の川を見下ろせば、砂川に水少なく、ひろくして、長くしてあたかも
  天上の銀河(天の川)の形のごとし、
  凡そ諸国の川を見しに、かくの如く白砂のひろく直にして数里長くつづきたるけるは
  いまだ見ず「天の川」と名付けし事むべなるなり・・・・・・・・]

七夕万葉歌碑

万葉歌碑
「彦星と 織女と今夜逢う 天の川門に 波立つなゆ」

(あの彦星と織女星とが 今夜逢う天の川の渡り場に  
 波よ 立つな決して)  
 巻10-2040   作者 不詳


本尊掛松跡


   

  
  本尊掛松跡          枚方市茄子作

 融通念仏踊りの発祥の地とされる。元亨元年(1321)

 法明上人が石清水八幡宮へと向かう途中で 迎えの
 八幡宮社人から、十一尊天得如来の画軸を受け取った
 場所で、その掛け軸を近くの松の木にかけて念仏を唱え
 感激のあまり踊ったという伝説地


 
  
  道標         道標
  右 宇治道      右 山根街道 私部口津田 
  左 京八幡道     左 明治三十七年一月建立
             裏 すぐ東高野海道







閲武駐蹕記念碑(えつぶちゅうひつきねんひ        交野市私部西

閲武駐蹕記念碑
演習部隊配置図















大正天皇が大演習をごらんになる為一時 馬から
下りられた所。    蹕(ヒツ。さきばらい。)



大正3年(1914)11月15日~17日
参加した兵士4万人 物資の輸送,審判、見学者含め10万人
動員兵力だけで秀吉と光秀による天王山決戦とほぼ同数


  北田家住宅                   交野市私部1丁目

長屋門
民家では日本一の長さ55,9m

















 地元では代官屋敷と言われている
 もと私部城主安見氏の重臣で 江戸時代旗本畠山の代官職を務めた
 南北朝時代の南朝方に仕えていた武将・北畠顕家(きたばたけあきいえ)につながり
 南朝没落後、足利家の世となったのを機に民間に下り、その姓をはばかって「北畠」の
 白を除き「北田」と称したといわれる
 関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下を統一し幕藩体制をしいたのに伴い元和5年(1619)
 畠山の子孫」・旗本畠山修理大夫が、私部の3分の2を所領するに及んで北田家は
 この地の庄屋を務めることになる
 18世紀前半には代官職を担うようになった  (屋敷公開は春と秋の2季制)

      無量光寺  (むりょうこうじ)            交野市私部                  
無量光寺門

山号  無碍光山(むげこうざん)
宗派  浄土真宗本願寺派 
本尊  阿弥陀如来立像
創建  嘉吉元年(1441)了道によって真宗に転じた

鐘楼





 曾ては住吉神社の西の方に天台宗の寺として建立された
 1441年足利軍に焼かれたいわれているが資料がない
 当時の了道は蓮如上人の教えを受けて浄土真宗に転じた

   梵鐘 
 享保15年(1730)の作。太平洋戦争時の金物供出を  
 免れ現存している

交野市指定樹木のイチョウの木

       想善寺   
                        交野市私部

   山号  修元山
   宗派  浄土宗西山派
   本尊  阿弥陀如来坐像

      河内三十三所観音霊場第十六番札所







   寺歴によると 天正年間に惣善なる人が念仏生活をしたのが始まりという
  
経の巻鬼瓦
経の巻鬼瓦










  古くから交野は良質の粘土を産し 多くの瓦窯があった。
  この瓦には「私瓦八」の銘があり、河州交野郡私部村 瓦師 大矢八兵衞(文政年間)
  の釜で焼かれたもの
  同銘の瓦は小田原城でも発見されており 私部瓦として良質の粘土と共に
  私部瓦師達の優れた造形力も高く評価されていた
経の巻(京の巻)鬼瓦


    光通寺                  交野市私部


     山号  長寿山
   宗派  臨済宗東福寺派
   本尊  聖観音菩薩
   創建  室町時代
   開基  別峰和尚 




                大阪の陣の兵火で焼失し、元禄の頃 覚海が中興する
                本堂には後村上天皇と、土御門天皇の位牌が祀られている
                朝廷にお茶を献上するなど極めて力のある寺であった
石垣地蔵(お薬師さま)
石垣地蔵(阿弥陀さま)












    私部城址                 私部5丁目

私部城址
私部城跡














  別名 交野城 連郭構造の平城 
  築城 永禄8年(1565)  廃城 天正9年{1581) 
  私部城は室町時代に築かれた河内の豪族畠山氏の家臣安見右近氏の居城である
  
  一段低い所にある田や畑は城を守った堀の跡で 小高い山は郭(くるわ)と    
  呼ばれる陣地で城の中心部である
  守りの弱い地形でありながら地形を巧みに生かして城が築かれ、落城の記録は無い
  織田信長軍が河内、摂津に進出する際の拠点となった            
  本能寺の変後に廃城された
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    地名  私部(きさべ)
  大和朝廷時代 皇后の事を司る役所を「私府」。それに当たる人を 「私官」。
  仕事をする人を「私部」と言っていた
  「私」という字は「后」と同じ意味で「きさき」と読んでいた
  「部」は朝廷に属する各種職業人の集団ということで 皇后のために
  する人達は「私部」と言われていた
  交野地方の「私部」は皇后のための稲作を行う人達という役職名で それが
  集団名となって地名に残されてきた
                         交野ものがたり おわり

2018年6月10日日曜日

ぶらり ほっこり




                     京阪電鉄 枚方公園駅構内にツバメのお宿

こっちの方が楽しいよ
ちょっと休憩

     最近ツバメを見なくなったなあと思っていた矢先にざわざわした駅構内の天井が騒々し
  いツバメ達の元気な生活にびっくり

             中島 潔 展           3月17日~5月20日
                                   大阪文化館・天保山(海遊館となり)

春の風



春の風












   














     






















  可憐な瞳の中に小さな宝石が描かれているのにびっくり 画家の魂は奥深い




          第7回「写真散歩」フオト展
                         枚方市民ギャラリー 5月18日~23日

薫風



    掛村裕子さん

     
機能美













       西村清美さん
願い(スコットランド)

セント・ジャイルズ大聖堂














    西田 彰氏
朝 陽

     31点の作品どの作品も芸術性がただよい 静かな躍動感に魅せられた

      

         羽生結弦展          京都高島屋 5月9日~21日









            










記念切手シート(82円×5) 



羽生選手の勝ち飯
「とろ卵豚キャベツ」


































   宮城県仙台市出身  1994年12月7日生 身長172㎝ 体重53kg 

   2014 ソチオリンピック。2018 平昌オリンピック大会連続優勝
   世界ランキング2013年10月~2018年4月にわたり1位

   2歳の頃から喘息を克服するためにスケートを始めた
   腰痛。中国人スケーターと衝突(顎7針 頭3針)。右足捻挫。左足靭帯損傷
    右足関節外側靭帯損傷など連覇に至るまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ

  ・ 演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は「士」の形を描いており
    「ジャンプ」の回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない
    である
   2014年 紫綬褒章 2018年 国民栄誉賞
  ・ 自叙伝「蒼い炎」の印税総額2500万円超を「アイスリンク仙台」に寄付

    会場では出場時の華やかなで繊細な衣装や 金メダル4個が輝いていた
                                          おわり