2019年8月14日水曜日

びわ湖花火大会

びわ湖の夏を華麗に彩る
                             2019-8-8  46名

  行程 枚方市 ラポール枚方前 15時15分ー桂川SA-びわ湖競艇場観覧席ー
     ー花火大会60分ー桂川SAー枚方(23時30分)
 
風船と紫式色のライトが目印ですよ
よそのグループに紛れないで下さい

バス№366わすれないで

























                                                               椅子に№が貼ってあるので自分の番号を探して着席
                              向こうにプリンスホテルや琵琶湖ホテルが見える



















      うあー 大声ダイヤモンド











カメラのタイミングが難しい


フィナーレ
     

       くらがりの 天地にひびく 花火かな    正岡子規

       一輪の 花火となりたる 揚げ花火     山口誓子

       早打ちや  花火の空は 艶まさり     中村汀女
                                    おわり

2019年7月13日土曜日

文学 歴史ウオーク(北野田)


織田作之助「夫婦善哉」を書いた北野田
                            2019-7-7   49名
 コース
  南海高野線北野田駅(9:30〉-堺市立東文化会館(講演・昼食)-野田城址ー
  伊勢道を経由し登美丘裏門近く西野文化村界隈ー大美野ロータリーと噴水ー
  丈6の織田作之助長屋ー北野田駅 (15:00 約3キロ)

  講師 井村身恒先生  著書「織田作之助の大阪」「私のオダサク」他多数 

講義
      井村躬恒先生
  1952年 堺生まれ堺育ち オダサク俱楽部代表
  著書「織田作之助の大阪」「私のオダサク」他・・



ぶらぶら探訪出発



 織田作之助「わが村」から
 なんとといふ理由もなしにこの村に住んでいるが訪れて
 来る人に言わせると、金剛、葛城、笠置その他の山々が
 見え、家の前には古い池があり なんとも環境の良い
 土地であるらしい・・・・・
 この草深い村が文化村といふ別名を持ってゐることの
   方が面白い

南海高野線




織田作之助が深夜酒に酔ってふらふらと帰る途中、水の流れ
に気が付くと鉄橋の上を歩いていたらしい

野田城址


 野田城址
 正中3年(1326)に野田荘の地頭をしていた野田四郎正勝が
 穂出籬山(ホデガキヤマ)の高台に築いた城
 楠木軍の掃討にあった野田氏は それ以降南朝の後醍醐天皇を
 奉り楠木氏に忠誠を尽くした
 三代目の兵部正康は 足利の大軍に包囲されたため 野田城に
 火を放って城外で戦い凄惨な戦場となり野田村は壊滅状態と
 なった

弘法大師御堂建立碑
伊勢道



和泉から河内に入る街道で 福町で西高野街道と連絡して
登美丘にはいる
昔から和泉地方からの伊勢詣でに使われた主要な街道で
北の竹内街道 南の河泉街道と並んで河内を横断する重要な
街道であった





   大美野ロータリーと噴水       堺市東区大美野
大美野ロータリー

バス停













 8本の道路が交わるロータリー交差点で中央島には噴水がある
 ここ大美野は関西土地会社が昭和6年(1931)に開発・分譲した 泉北でも指折りの
 歴史ががある住宅地で第一期の開発に先立ちヨーロッパを視察した技師下村喜三郎に
 よる宅地設計で 中央の噴水は分譲当初から存在していた
   見ていると車はロータリーを回って方向を変えていく
                (戦前はおしゃれな住宅が立ち並んでいたそうな)

 織田作之助長屋跡        堺市東区丈六
「オダサク」はここに住んでいました
家賃25円
      










              

                       
 愛妻一枝さんは良妻賢母型の良くできた婦人で昭和19年子宮癌に襲われ8月6日死去
                                   享年30歳
 :妻一枝午前十時十分過ぎ永眠す夜に入りて颱風となる。     
    風の音天を恨むが如し、一枝あわれ、一枝あわれ。:
               (いつも写真と髪の毛をポケットに入れていたそうな)

 織田作之助  大正2年(1913)~昭和22年(1947)  33歳没
 大阪市の仕出し屋の家にうまれる。三高時代から文学に傾倒し,昭和12年(1937)に
 青山光仁らと同人誌『海風』を創刊。自伝的小説「雨」を発表して注目される 
 昭和14年「俗臭」が芥川賞候補、翌年「夫婦善哉」が『文芸』推薦作となる
 昭和21年に当時の世俗を活写した短篇「世相」で売れっ子となった。
 12月ヒロポンを打ちつつ「土曜夫人」を執筆中喀血し、翌年1月死去。
  
  映画 夫婦善哉   森繫久彌 淡島千景 司葉子 浪花千栄子
     大店のドラ息子と芸者をしながら男の面倒を見る女の様子を描いた作品
    「頼りにしてまっせおばはん」「おおきに」軽妙な語り口と仕草を思い出す
     第6回ブルーリボン賞 第10回毎日映画コンクール賞      おわり
                

2019年6月27日木曜日

交野が原万葉学級




  因幡万葉の旅
                         2019-6-21    42名 
  スケジュール
   枚方バスターミナル(8:10)ー加西SAー砂丘センター見晴らしの丘ー
   仁風閣ー因幡万葉歴史館ー大伴家持の歌碑ー加西SAー枚方(19:00)

      枚方を出発して中国自動車道のSA加西でトイレ休憩をはさんで約3時間で
  砂丘センター見晴らしの丘に着いて昼食タイム

   砂丘センター見晴らしの丘      鳥取市福部町湯山

砂丘センター見晴らしの丘
せいろ蒸し御膳








ラクダに乗って砂山散歩

リフトで砂丘先端へ










     広い砂丘は美しい、気持ちがいい。

 仁風閣        鳥取市東町

バルコニーから庭を眺める

仁風閣(命名は東郷平八郎)










当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓の宿泊施設として鳥取城跡の
扇御殿跡に鳥取藩主であった池田中博侯爵が明治40年(1907)にフレンチルネッサンスの洋風建築が建てられた「宮廷建築の第一人者片山東熊」が手掛けた(重要文化財) 
天守台

鳥取城は圧倒的な石垣で有名










小学唱歌 ふるさと

   城外に「ふるさと」の歌碑がありボタンを押すと
   歌手の声が流れる 鳥取市生まれの
   作曲家岡野貞一  明治11年~昭和16年

   春が来た 朧月夜 春の小川 もみじ 水師営の会見






  因幡万葉歴史館       鳥取市国府町町屋


古代因幡と万葉文化にふれる異空間(平成6年開館)
大伴家持が「万葉集」の最後を飾る歌詠んだ地、

古代因幡国に暮らした人々の歴史と文化を紹介している





因幡国は7郡50卿に組織されていた

 因幡国庁跡は鳥取駅の東南4㌔岩美郡国府郡の地
 にあった
 シンボルタワー「時の塔」から因幡国庁跡
 今木山 面影山 甑山が一望できる


大伴家持(安田靫彦画) 


万葉集写本(春日本の複製)



     





大伴家持は天平宝字二年(758〉因幡守となり、翌年正月一日
 に新年の宴を設け「万葉集」最後の歌をうたった


     天平宝字三年春正月一日因幡国庁賜響国郡司等之宴歌一首
     「新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家騰」
     (あたらしきとしのはじめのはつはるのきようふるゆきのいやしけよごと)

揮毫者 犬養 孝
建立(19994年 平成6年11月 



  

新 年之初乃 波都波流能 家布敷流由伎能騰
                伊夜之家餘其

  (新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や
                いやしけ吉事)  

 在原行平の歌碑


  在原行平の歌碑
   たちわかれ いなばの山の 峰におふる
          まつとしきかば 今帰りこむ
                           「百人一首(古今集)」

 行平が因幡に赴任する途中、 須磨の海岸で汐汲みを 
  していた松風 村雨の姉妹に会い二人を連れてきた

  その行平が帰京する時の姉妹との惜別の歌という


舞台 
万葉衣装



                     




    
      

    10月には万葉衣装を着て万葉集の朗詠が催される

                     おつかれさま

2019年6月15日土曜日

はつらつCITY

市民の森 花菖蒲観賞ウオーク
                              2019-6-13   68名 
  コース
  京阪電車「樟葉駅」10:00ー旧京街道ー延寿寺ー交野天神社ー市民の森      
              ー樟葉東公園ー「樟葉駅」解散 (歩行距離:約7㎞)


「はつらつCTIY」の旗の前に集合

                          延寿寺    枚方市樟葉野田1丁目


延寿寺
     
                                                    

                           
      宗派  浄土宗
      本尊  阿弥陀如来
        



  交野天神(かたのあまつかみのやしろ)  枚方市楠葉丘









右の碑 「樟葉宮旧蹟」
左「桓武天皇先帝御追尊之地」
     

        


     祭神 光仁天皇 天͡兒屋根命 菅原道真 

     創建 延歴6年(787)
        


 鳥居を潜ると広大な境内(約4000坪)は常緑樹の樹木が鬱蒼と茂り参道は霊気に触れ
   て引き締まった

参道
拝殿











 「続日本紀」及び「石清水八幡宮縁起」によると桓武天皇が「延暦6年」に交野に
  父光仁天皇を祀るため郊祀壇を設けた
  この地が継体天皇即位地の樟葉宮伝承地であったことが大きな理由と思われる
  創建当時から皇室とは関係が深く社殿の修理などの際には朝廷より特使が参向される
茅の輪くぐり(真面目に8の字回り)
末社貴船神社




                                 






大阪府指定史跡
日本書紀に「天皇行樟葉宮」と見え
そこに即位せられた樟葉宮がこの地域と考えられる

継体天皇樟葉宮跡伝承地














  市民の森     枚方市樟葉野田2丁目   


鏡伝池

     「くもらじな真澄の鏡 影そうる 樟葉の宮の 春の夜の月」
                               関白左大臣 藤原実経(続古今和歌集)
      付近一帯は平安時代に貴族の狩猟の地として知られていた       
花菖蒲約3500株











                             
  かわせみも飛来するそうでバードウォッチング
  の場でもあるらしい 




  

  樟葉東公園        枚方市樟葉朝日3丁目
公園内で解散12:00
   丘陵地の地形を活かしながら森と散策路や多目的広場がある
   公園の外周は距離標のついた周回路になってジョギングやウオーキングを
   楽しんでいる人が多い     
   「はつらつCTIY」は保健センターの行事で不定期に行なわれ 若いサポーター
   の元気な声かけに老体もチョット頑張った    お疲れさまでした。