2016年11月21日月曜日

出雲大社




 神在月の出雲大社
                            2016-11―10   22名
  
  行程
  京都駅前(7:00)=京都竹田(7:30)=出雲大社(団体祈祷)=京都竹田=京都(21:20)

   「 神在月 」   むかしむかし日本の国造りをされた大国主命は 天照大神に国譲りを
        されたとき現世の政事(まつりごと)は天照大神に、人の縁など目に見えない
                   ことは大国主大神が治めることになったといわれている

        全国の神々は旧暦10月11日から17日までの7日間 出雲の地で神事
        (神業 かみごと) すなわち人には予めそれと知ることのできない人生諸般の
        事など神議(かむはかり)にかけて決められるといわれている
 
滋賀観光バス(運転手2名)

 女性参加限定コースで 一人参加者は2シートを1人で  
 ゆっくり坐る
 間もなく朝食のクロワッサンとオレンジジュースがくばられた

加西SA 9:15 トイレ休憩









大山PA 11:15 トイレ休憩
大山を車内から眺める









   



  バスは中国自動車道をひた走り 勝央SAでお弁当が積み込まれると直ぐに銘々に配られ
 早速に蓋を開いて幕の内弁当を食べ始める 良い味加減で美味しく頂く


  お弁当の包装紙に京の「通り歌」が印刷されて、鼻歌まじりでお箸が和む


東西の通り


    丸竹戎に押し御池 姉三六角蛸錦

    四綾仏高松萬五条 雪駄ちゃらちゃら魚の棚

    六条三哲通りすぎ 七条超えれば八九条

    十条東寺でとどめさす
   







南北の通り






  
  
  寺御幸麩屋冨柳堺
           
  高間東車屋町 烏両替室衣 

  新町釜座西小川 油醒ヶ井堀川のみず

  葭屋猪黒大宮へ 松日暮知恵光院 

  浄福千本はては西陣



稲佐の浜の弁天島
屏風岩 別名国譲り岩











 「稲佐の浜」 旧歴10月10日国譲りの地である稲佐の浜にて
                       ご神火が焚かれ浜にやってくる神々をお迎え
                      する「神迎神事」が行われる
 

   高天原から使者として派遣された武甕槌神(たけづちのかみ)は屏風岩を背にして
   大国主大神と国譲りの話し合いをなされた 大国大神は「和を尊し」として戦うことなく
   国譲りをされた

日本一大きい国旗
広さ畳75枚 重さ49㎏ 

いよいよ出雲大社に来た











 旅行会社の ツアー参拝者が大勢で雑踏のようになって
  各添乗員の黄色い声が飛んでいる







    神楽殿  大注連縄(長さ13.5m太さ8m重さ4,4t)  参拝は二禮四拍手一禮


拝殿 左奥は本殿
西十九社












 神在祭(かみありさい) 本年は11月10日 14日 16日に御本殿にて斎行される

 十九社祭(じゅうくしゃさい) 東十九社 西十九社
           御本殿の東西に相対して鎮座するお社で 通常全国の里々に
           おまつりされる八百萬神のお宿で この期間だけは扉がすべて
           開かれ毎朝祭事が斎行される


           ・ 神官の祝詞奏上の声がしんとした場内隅々に朗々と響き渡る
           ・ 巫女のかざす神楽鈴の音色が清らかに華やかに鳴り響く

古代出雲大社の想像図
発掘された直径1.35mの柱











 日本書紀に 「659年斉明5是歳条に造らせる」とある

 平安初期の源為憲(みなもとのためのり)が書いたもので 社の大きさの順位を暗記しやすい
 ようにゴロ合わせなどを記している
 「大屋を誦して謂う。雲太、和二、京三、」と書かれている
 雲太・・・出雲大社。和二・・・東大寺大仏殿。 京三・・・京都大極殿(今の平安神宮)

 出雲大社現在の本殿は1774年(延享元年)に造営され高さ8丈(約24m)の建造物三度の
 修繕を加えながら今に伝わっている
 古代には32丈(96m) 中世には16丈(約48m)だったとつたえられている

 出雲大社宮司 千家(せんげ)家には 古い時代に書かれた出雲大社本殿の平面設計図
 「金輪御造営差図(かなわごぞうえいず)には 
 巨木3本を1つの柱として組み 全9本の巨大柱が本殿を支えた構造が記されている


出雲大社宮司千家(せんげ)宅
出雲大社宮司が就任したら 宮司は一年間精進潔斎して
皇居に出かけ 天皇の前で出雲壽詞(よごと)を奏上する

天皇は毎年出雲大社の例祭に勅使を派遣し御幣物を献上
皇室で慶事があれば出雲大社で神事を行い 御札を贈る

皇室の凶事は 出雲大社も喪に服す
現在の千家氏の長は「千家国磨」 85代目の「出雲国造」
となる2014年10月天皇家の高円宮典子さまとご結婚された



神話 因幡の白兎
帰路 
 出雲15:40=蒜山SA(トイレ休憩)=赤松PA(トイレ休憩)=近鉄竹田駅20:50=京都駅21:20
  バス走行距離750キロ                 お疲れさまでした




               

2016年11月1日火曜日

葦の会 11月例会

   京田辺を歩く
                        2016-11-2     29名

    行程 
        JR京田辺駅(9:30)ー棚倉孫神社ー甘南備神社ー一休寺ー甘南備山ー扇池
        ―やすらぎの丘霊園ー尊延寺バス停



           棚倉孫(たなくらひこ)神社前広場で                                       ボランティァガイド氏の案内説明を聞く
  

棚倉孫神社








             棚倉孫(たなくらひこ)神社
                        創建 不明
           祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)
           別名 天香古山命(あめのかごやまのみこと)
           別名 手栗彦彦命(たぐりひこのみこと)

       古事記や日本書紀によると天孫降臨に父命(饒速日命)(にぎはやひのみこと)と共に降り  
  紀州熊野に住み神武天皇の東征の時 布都御魂(ふつのみたま)の神剣を奉り大功を    
  立てられたとある
         
ずいき神輿
子供ずいき神輿












瑞饋(ずいき)神輿は2年に1度奇数年の10月体育の日に行われる

  由来
   淀城主が参勤交代の途中で大井川を渡った時 棚倉孫神社の神からのお告げのおかげ
   で難をのがれたことを感謝し 神社に石の大鳥居を寄進した
   これを喜んだ村人達が瑞饋神輿をつくり祀ったことに始まる




 野菜を飾った神輿
   (資料より)









甘南備寺
穴の開いた石











  「かんなび」は「神南備」とも「神奈備」ともいわれ 神が宿る山として古代から信仰されていた
  奈良時代の僧 行基による創建で 平安時代末期の今昔物語のなかにも登場している

  本尊 薬師如来は耳の病に霊験あらかたで地元では暑く信仰を集めていて 病が治ると
  穴の開いた石を奉納する慣わしがある

  酬恩庵一休寺 臨在宗大徳寺派  本尊 釈迦如来  京田辺市薪里ノ内 

一休寺参道
本道(仏殿)












  一休は室町時代康正2年(1456)63歳~文明13年(1481)88歳で亡くなるまで25年間在寺

方丈前庭園で住職の説明

方丈の襖絵 狩野探幽










面白い表情の五百羅漢
方丈庭園
松花堂昭乗 佐川田喜六 石川丈山作














一休禅師墓所

「慈楊塔」と呼ばれ宮内庁が後小松天皇ご落胤説に基づいて
陵墓として管理している 

門内に入れないので ご紋の透き間から覗くと枯山水の
庭園の中に小堂があった

一休さんは臨終の際に「死にとうない」と述べたと伝わって
いるそうだが その心は?????
一休寺納豆




    一休寺納豆は塩辛いけれど味わい深く香ばしい

    一休が中国からの製法をもとに伝授した
    夏の暑い日に仕込み一年間天日干しにして完成させる

    今も代々伝えられ住職の手によって作られている








いい天気でよろしいなあ のんびりとお喋りしながら
甘南備山に向かって歩く






京都盆地 比叡山 愛宕山 確認する





甘南備山展望台













   甘南備山は京都 大阪の府境に接し生駒山脈の支峰となっていて雄山と雌山の2つの
   山頂がある  雄山221.0m(甘南備神社) 雌山201.6m(三角点)

   平安京の建設の際に その中心線となる朱雀大路が舟岡山と甘南備山を結ぶ線上に
   決められたと伝えられている

   経度では船岡山から甘南備山はほぼ真南に位置する 
   三角点の約50m東下に白石があり 太陽の光の反射によって 都の建設当時の目印に
   なったと考えられている
   
甘南備神社 

 京都府京田辺市薪甘南備

   甘南備山の頂上に鎮座している「かんなび」とは古来
   神の御座所のことで 社殿を持たなかった時代には

   山嶽や森林などを神の御座所とし「かんなび」「もろみ」と
   呼んでいた 
   明治10年(1877)に延喜式内甘南備神社となった


雄山山頂 三角点は無い

静かな山道はしっとりして神域を感ず












尊延寺











 天平3年(732)創建当時は荘厳な伽藍が立ち並んでいた
 鎌倉時代の承久の乱で焼失した
       
           枚方市指定文化財  木造不動明王立像 木造四大明王像 木造地蔵菩薩像


  解散後 バス枚方市駅行き 14:43 乗車帰路に着く 歩数12,500歩     お疲れさま!!


シニアクラブ 福祉バスツアー


 岸和田 国華園
                             2016-10-28   29名

  行程  
     翠ヶ丘住宅・・香里ヶ丘7丁目=「がんこ岸和田五風荘」=道の駅愛彩ランド=国華園

バスから降りてさあ行きましょ


枚方市の福祉バスを利用して翠ヶ丘住宅と香里ヶ丘7丁目
の二町内合同のツアー

参加者    パワー全開のおばちゃん24名と
       元気なおじさん3名

      バス車内は幼稚園児並みの賑やかさ
岸和田城


  楠木正成が一族の和田高家に築かせたことに始まり
  その長い歴史の間には 城主が次々と変わった

  天正13年(1585)に羽柴秀吉が入城し 小出秀政を城主
  にした 紀州征伐の拠点とするため天主閣を含め再築城
  させた(天守閣は5層であった)

  明治4年(1871)に廃城になり昭和29年に現在の3層3階の
  模擬天守に再建された


   
がんこ岸和田五風荘






   





   旧岸和田城主岡部氏の御茶屋跡で 寺田利吉が 1929年から10年の歳月をかけて
   五風荘と改めた邸宅 主家と3つの茶屋がある 
   回遊式庭園は風情豊かで趣のある茶室や雪見灯篭の配置など気持ちが落着く


  賑やかに話が弾んで あっちもこっちも おしゃべりがとまらない

  お料理も次から次へと運ばれてきて豪華なお膳立てに満腹!
  
  コンロの小鍋には豆乳が入っていて 火が付けられると小鍋の
  
  上澄みが湯葉になり引き上げた後はニガリをいれて」豆腐になる




道の駅 愛彩ランド(岸和田市岸の丘町)
















水ナスの漬物






   広い館内には 新鮮な農産物が生産者の名前入りで
   溢れるように 盛り上がって並んでいる 
   主婦感覚全開熱気濛々




国 華 園  (和泉市善正町  創立昭和2年)





出品者ずらりと並ぶ















技術と努力の結集












 花苗 菊苗 肥料 花の土                       
   いっぱい・・・       どれにしようかな 




国華園で買った菊を庭の片隅に植えて毎朝眺めてにっこり!