亀山・鈴鹿方面の史跡を訪ねて
2018-3-24 44名
行程
枚方ラポール前(8:00)京滋バイパスー東海道の関宿―椿大神社ー椿会館
ー白鳥塚古墳ー加佐登神社ー佐々木信綱記念館ー鈴鹿市考古博物館ー京滋バイパス
-枚方ラポール前(18:30)着
道の駅 関宿でトイレ休憩
亀山羊羹 山菜佃煮・・・・ |
両備バス |
東海道の関宿東海道の関三重県亀山市関街新所
関は古代から交通の要衝であり 古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていた
東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町である
東西追分の間約1,8キロ 町屋200軒あまりが残っている
関宿の町屋 |
江戸時代の高札場 |
関地蔵院 |
宗派 真言宗御室派
本尊 地蔵菩薩
創建(伝)741(天平13年)
開基(伝)行基
関の地蔵と一休和尚
地蔵のご本尊が塵に汚れたので 里人が修繕して開眼供養を通りがかった一休和尚に
頼んだが 「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ出でぬ間の かかるうき世に 目あかしの
地蔵」と歌を詠み立小便をして立ち去ってしまった
これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらったが その晩 高熱を
出した村人の夢枕に地蔵が立ち 供養を元のようにせよと命じた
あわてて桑名にいた一休和尚に助けを求めると 地蔵の首にかけるようにと 古びた
下帯を手渡され 言われたとおりにしたところ高熱は下がったといわれている
関の地蔵が麻の布きれを首に巻いているのは この故事によると伝えられている
ひな飾り |
大旅籠「玉屋」 |
椿大神社(つばきおおかみやしろ) 三重県鈴鹿市山本町
伊勢国一の宮猿田彦大本宮 |
主祭神 道祖猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
創 建(伝)垂仁天皇 27年
拝殿 |
伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は
神社の背後につづく高山入道ヶ嶽(たかやまにゅうどうがだけ)
短山椿ヶ嶽(ひきやまつばきがだけ)を天然のやしろとして太古の神代より祭祀され
ていた「猿田彦大神」の御神霊を 第十一代垂仁天皇の27年に社殿を造営し 日本
最古の神社である
猿田彦大神の妻神の椿社 |
宮司さんの説明を拝聴 |
松下幸之助社 |
茶室 鈴松庵 松下幸之助翁寄進の茶室 |
椿とりめし御膳 |
椿大神社 椿会館 |
白鳥塚古墳 三重県鈴鹿市上田町
帆立貝式古墳 墳長80m 高さ13m 築造5世紀前半
白鳥塚古墳コバノミツバツツジ群落 |
白鳥塚古墳 |
この古墳は古くから日本武尊(倭建命)の墓と云い伝えがあり 尊が葬られた後に
白鳥となり飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれている
加佐登神社 三重県鈴鹿市加佐登町
本殿 |
創 建 不詳
エドヒガンザクラ |
古来 御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれ日本武尊が
死の間際まで持っていたといわれた笠と杖をご神体として
祀られている
明治6年(1873)「笠殿」から現社名へ改めた
佐佐木信綱記念館 鈴鹿市石薬師町
佐佐木信綱 凌寒荘にて |
佐佐木信綱記念館 |
卯の花苗木100円 |
明治5年 石薬師村に誕生
明治17年(13歳)東京帝国大学最年少で入学
大正6年(46歳) 学士院恩賜賞受賞
大正14年(54歳)「校本万葉集」の刊行
昭和12年(66歳)4月文化勲章受章 6月芸術院会員
昭和38年(92歳)熱海凌寒荘にて永眠
信綱は5才より 父弘綱から「万葉集」や西行の「山家集」の歌
を暗唱するように教えられ 6才の時に初めて短歌を作り 生涯1万余首を作歌した
鈴鹿市考古博物館 三重県鈴鹿市国分町
考古博物館 |
体験勾玉づくり |
館内 |
出土の馬の埴輪 |
伊勢国分寺跡の南に隣接して建てられた考古学専門の
博物館で 市内の遺跡から見つかった土器や勾玉埴生
などを展示している
体験学習で勾玉づくり、土笛づくりが楽しめる
伊勢国分寺跡 |
博物館の屋上に上って雄大に拡がる
国司跡 国分寺跡を眺める
桜はまだかいな |
枚方着18:30 おつかれさま
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