行程 京都駅アバンテイ前(9:10)==12番岩間寺==13番石山寺==昼食=
=14番三井寺==15番今熊野観音寺==京都駅アバンテイ前
西国12番 岩間山正法寺(通称)岩間寺 滋賀県大津市石山内畑町
奥深い参道を歩く |
本堂 |
日本一の長寿桂 |
宗 派 真言宗醍醐派
本 尊 千手観世音
創 建 伝 養老6年(722)
開 基 秦澄大師
大津市と宇治市の境にある標高443mの岩間山 中腹に建つ元正天皇の勅願寺院で往時は
熊野 吉野に並ぶ並ぶ三大霊場とし隆盛していた
ご本尊は15㎝の千手観音で秘仏である。人々の苦しみを救う為 毎夜厨子を出て136の地獄を駈け巡り 苦しむ人々を救済し、日の出頃 岩間山に戻られた時には全身は汗がながれ「汗かき観音」さんと呼ばれている
ぼけ封じほうろく灸 ぼけ封じ祈願会5月17日、10月17日 |
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉発句の池 |
西国13番 石光山 石山寺 大津市石山町
つつじが鮮やかに咲く参道 |
宗 派 東寺真言宗
本 尊 如意輪観音
創 建 天平19年(747)
開 基 良遍 聖武天皇(勅願)
東大門 阿 吽の仁王像は運慶湛慶の作と言われるが定かでない |
瀬田川のほとり加藍山(239m)の麓にあり 奈良時代から観音の聖地である
縁起によれば天平19年(747)聖武天皇の勅願で良遍僧正が創建
本尊如意輪観音は日本唯一の勅封の秘仏と言われ 開扉は33年毎、
安産、福徳、縁結びなど霊験あらたか
昼食タイム
西国14番 長等山園城寺(通称三井寺) 大津市園城寺町
宗 派 天台寺門宗
本 尊(本堂)弥勒菩薩
創 建 7世紀
開 基 大友与多王
7世紀に大友氏(古代)の氏寺として草創され 9世紀に唐から帰国した
留学僧円珍(宗祖)によって再興した
平安時代以降は皇室 貴族 武家などの幅広い信仰をあつめて栄えたが10世紀頃
から比叡山延暦寺との対立抗争激化し 焼き討ちに度々あったり豊臣秀吉に寺領を
没収されたりしたが 苦難を乗り越えてその都度再興した
慶長6年(1601)徳川家康により寄進された
もとは 奈良県比蘇寺の塔で室町初期の建築
室町初期の建築で 毛利輝元より寄進された
堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵が
ある
むかし俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に龍宮から
持ち帰った鐘を三井寺に寄進したと伝えられている
その後 山門(延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山
へ引き摺り上げて撞いてみると”イノー、イノー”
(関西弁で帰りたい)と響いたので 弁慶は怒って鐘を
谷底へなげ捨ててしまったその時のものと思われる
傷痕や破目などが残っている
天智 天武 持統天皇の御産湯に用いられた霊泉が
あることから御井(三井)と言われる
宇治の平等院 高雄の神護寺と共に日本三銘鐘に
数えられ 荘厳な音色は有名で「日本の残したい
音風景百選」に選ばれている
近江八景
三井の晩鐘。石山の秋月。堅田の落雁。粟津の晴嵐
唐崎の夜雨。瀬田の夕照.矢橋の帰帆。比良の暮雪。
西国15番 新那智山 今熊野観音寺 京都市東山区泉涌寺山内町
弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示をうけ 嵯峨天皇の勅願により観音像を
刻んで本尊とし安置した
後白河法皇は本尊を深く信仰し 持病の頭痛が平癒したので「新那智山今熊野」と名称を
与えられ 以来 中風 厄除けの観音として繁栄している
後白河法皇が頭痛でお悩みの時に今熊野観音様が枕元に立たれて後霊験を発せられた事
から枕の信仰が生まれ多くの人々が御祈祷された「枕カバーの御守り」を授かっている
御詠歌
むかしより たつともしらぬ いまくまの ほとけのちかい あらたなりけり
合掌礼拝
硅灰石(天然記念物) 石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触 してその熱作用のために変質したもの |
安産の腰掛椅子 高床式の経蔵の下の岩に座り祈願する |
源氏の間 紫式部は7日間参籠して物語を執筆した |
月見亭 後白河上皇の行幸に際して建てられた 毎年中秋名月の日に「秋月祭」で賑う |
瀬田川 樹木の生い茂る透き間から昔日の風景を偲ぶ |
昼食タイム
洗心御膳 |
洗心寮(昼食とお土産) |
西国14番 長等山園城寺(通称三井寺) 大津市園城寺町
仁王門 |
観音堂(本尊如意輪観音) |
宗 派 天台寺門宗
本 尊(本堂)弥勒菩薩
創 建 7世紀
開 基 大友与多王
7世紀に大友氏(古代)の氏寺として草創され 9世紀に唐から帰国した
留学僧円珍(宗祖)によって再興した
平安時代以降は皇室 貴族 武家などの幅広い信仰をあつめて栄えたが10世紀頃
から比叡山延暦寺との対立抗争激化し 焼き討ちに度々あったり豊臣秀吉に寺領を
没収されたりしたが 苦難を乗り越えてその都度再興した
三重塔 |
慶長6年(1601)徳川家康により寄進された
もとは 奈良県比蘇寺の塔で室町初期の建築
一切経蔵 |
室町初期の建築で 毛利輝元より寄進された
堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵が
ある
弁慶の引き摺り鐘 |
むかし俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に龍宮から
持ち帰った鐘を三井寺に寄進したと伝えられている
その後 山門(延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山
へ引き摺り上げて撞いてみると”イノー、イノー”
(関西弁で帰りたい)と響いたので 弁慶は怒って鐘を
谷底へなげ捨ててしまったその時のものと思われる
傷痕や破目などが残っている
閼伽井 |
天智 天武 持統天皇の御産湯に用いられた霊泉が
あることから御井(三井)と言われる
(近江八景)三井の晩鐘 |
宇治の平等院 高雄の神護寺と共に日本三銘鐘に
数えられ 荘厳な音色は有名で「日本の残したい
音風景百選」に選ばれている
近江八景
三井の晩鐘。石山の秋月。堅田の落雁。粟津の晴嵐
唐崎の夜雨。瀬田の夕照.矢橋の帰帆。比良の暮雪。
藤棚・咲いていたのは白藤であった 写真処理の露出を変えるときれいな薄紫になっちゃった! |
西国15番 新那智山 今熊野観音寺 京都市東山区泉涌寺山内町
本堂 宗派 真言宗泉涌寺派 本尊 十一面観音(秘仏) 創建 伝大同年間(806~810) 開基 弘法大師 |
鳥居橋を渡る 一の橋川(今熊野川) 泉涌寺の境内に発した流れは細い |
弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示をうけ 嵯峨天皇の勅願により観音像を
刻んで本尊とし安置した
後白河法皇は本尊を深く信仰し 持病の頭痛が平癒したので「新那智山今熊野」と名称を
与えられ 以来 中風 厄除けの観音として繁栄している
後白河法皇が頭痛でお悩みの時に今熊野観音様が枕元に立たれて後霊験を発せられた事
から枕の信仰が生まれ多くの人々が御祈祷された「枕カバーの御守り」を授かっている
御詠歌
むかしより たつともしらぬ いまくまの ほとけのちかい あらたなりけり
合掌礼拝