2016年7月9日土曜日

東海道57次ウオーク 第7回

第7回 鳴海宿から藤川宿 
                               2016-7-1     33名

  行程   新大阪7:30=鳴海宿(散策)・・・桶狭間古戦場跡=知立宿=岡崎宿・・・
        ・・・岡崎城公園=藤川宿=新大阪  (歩行約6キロ 約3時間)
 
  
   鳴海宿      鳴海宿の東1里に有松村があり 有松絞の生産地としてしられている
                 本陣1軒 脇本陣2軒  宿内人別 3643人



   街道を行く旅人がすべて女性というのも 有松絞りが女性に人気があることを示している
   手前二人は徒歩で 次が宿駕籠 最後は馬でと さまざまで 供の荷物は有松絞の生地
   が詰め込まれているのかもしれない














          有松 鳴海絞は江戸時代(1610)頃に三河木綿に絞を施した
     手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになった


旧東海道の町並み








                                      
                                    あり松の 柳しぼりの見世にこそ                                       しはしと人の立ちとまりける
              (幕末の狂歌師 梅屋鶴寿)      
有松一里塚
  江戸から87里
唐子山山車庫
有松祭りに出される










桶狭間古戦場跡

今川義元墓  享年42歳

知立宿(池鯉鮒(ちりゅう)宿)  愛知県知立市 39番目の宿場  鯉や鮒が多く住む池があった 
                                                                 本陣1 脇本陣1 旅籠35 宿内人別 1620人
  
     馬市・・・鎌倉時代には馬市が開かれていた

      
 知立神社 創建  第12代景行天皇
        祭神  鸕鷀草葺不合尊
           (うがやふきあえずのみこと)
          彦火火出見尊  (ひこほほでのみこと)
               玉依比売命  (たまよりびめのみこと)

                                                 多宝塔      

                                                   国指定重要文化財
                    (室町時代様式)






花菖蒲園

明治神宮から下賜された 花ショウブは時期が終っていたが
一輪 待っていてくれたかのようで  「お見事ですぞ」

                   
 
                                       
       
  岡崎宿          愛知県岡崎市  本陣3軒 脇本陣3軒 宿内人別 6494人 

        東海道名所図会には東海道最長の橋と言われる矢作橋(やはぎばし)374m
橋を渡った左手には 家康生誕の岡崎城が描かれている




岡崎城  別名 竜城    徳川家康の生地
       
  築城 1455年ごろ西郷頼嗣(よりつぐ)・・・・・
  城主・・・・・・・1531年松平清康(家康の祖父)・・・    






三方ヶ原で武田軍に大敗した
家康は自戒の念を忘れぬよう画を描かせたものを基にして作像
















からくり時計が毎正時オルゴールの音色に合わせて家康が遺訓を謡いながら能舞が始まる

      
                                           家康公 産湯の井戸
            
                               天文11年(1542)12月26日誕生
                 この井戸の水を汲み産湯に使われた
               




藤川宿           愛知県岡崎市  本陣1軒 脇本陣1軒 宿内人別 1213人


 先頭の馬の背に御幣を立てているのは 幕府が朝廷に献上する「八朔御馬献上」の行列で
 関札の下に控えているのが藤川の宿場役人であろう
 二人の役人が頭を下げてお迎えしている横で三匹の犬がじゃれあっている
         (丸っこく小さな犬の形は円山応挙以来描かれてきた円山四条派の描法である)

高札場
さまざまな布告がかかっている











藤川宿西棒鼻跡(宿場の入り口に立つ、広重の絵にもある棒鼻)



旧家が続く軒並み





 藤川宿の松並木
 1キロほど続く
                      


      藤川宿は地味な宿場であったが塩の道「吉良海道」に通じる交通の要衝でもあり
      大名の通行も多く賑わっていた




   資料館で宿場の模型や図絵等見ながら江戸時代の旅人の行き交う風情に思いを馳せる

                               新大阪着19:30 お疲れさま     

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

以前、時代物の本を斜め読みした時、手ぬぐいを土産物として販売し、名を馳せたと言うくだりがあった。そうか!有松だったんや。街道ウォ-クは先人達の踏み跡を辿る旅なんやね。-ごまん-

ITO さんのコメント...

伝統ある有松しぼりの町は一度行ってみたかったところでした
高級なしぼりは目の保養に楽しみました

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