第6回宮宿と桑名の渡し
2016-6-4 35名
行程
新大阪(7:30発)=熱田神宮・・・宮宿・・・宮の渡し~<七里の渡し>~桑名の渡し=新大阪
(歩行約3キロ 約1時間30分)
熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮
ご祭神 熱田大神(三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を
御霊代(みたましろ)とされる天照大神のこと
相殿神 天照大神 素戔嗚尊 日本武尊
宮簀媛命(みやすひめのみこと 建稲種命(たけいなだねのみこと)
ならずの梅 高さ3m
「安永 天明時代頃の俗謡」
ひんやれ 宮の熱田のならずの梅は やれよいと やれ
よいと
花は咲けども実はならん しょんがえ・・・・・・・」
25丁橋
花崗岩の板石を25枚並べた反橋
名古屋で 最古で名所図絵にも乗っている
名古屋甚句
宮の熱田の二十五丁橋で アー 西行法師が腰をかけ
東西南北見渡して
これほど涼しいこの宮を
たれが熱田とヨーホホーーーー
名をつけたエーー トコドッコイ ドッコイショ
大楠
弘法大師お手植えとされる
樹齢1000年
信長塀
永禄3年〔1560)織田信長が今川義元の大軍を迎え撃つため
熱田神宮に必勝祈願をし 桶狭間の戦いに勝利をおさめた
このお礼として築地塀(信長塀)を奉納した
土と石灰を油で練り固め 瓦を積み重ねて上部を桟瓦で葺いた
優雅で重厚な築地塀である
名古屋名物「
ひつまぶし」の食べ方
・1杯目は白いご飯とうなぎに少しタレをかけてをたべる
・2杯目は わさびをまぶしてたべる
・3杯目は土瓶に入っている出汁をたっぷりかけて食べる
白いご飯もうなぎも美味しかったが 最後に土瓶に入って
いただし汁をかけ 美味しさに再度びっくりし完食しちゃった
裁断橋跡
裁断橋は豊臣秀吉の小田原征伐に出陣し病死した「堀尾金助」の
霊を弔うため 金助の母が老朽化した橋の修築おこなった
(裁断橋は精進川が埋め立てられて不用のものになった)
|
かなで刻まれている |
橋の擬宝珠には仮名で母が子を
思う銘文がきざまれている
「・・・・・・・・・・・・・・・・・十八になりたる子をたたせてよ
ふた目とも見ざる悲しさのあまりに今この橋をかけるなり
この書きつけを見る人は念仏申したまへや・・・・供養なり」
歌川広重東海道五十三次版画
宮宿(江戸から42宿) 名古屋市熱田区
本陣2軒 脇本陣1軒 旅籠屋248軒 宿内人別10,342人
宮とは熱田神宮のこと 毎年五月五日に馬の塔と呼ばれる神事が行われる
村人たちが熱田神宮へ豪華に飾り立てた馬を奉納した後に 裸馬に荒薦(あらごも)を
背につけた俄馬を走らせて競う物である
後方の藍染の半纏を着た一群と 手前の有松絞の半纏を着た一群とが先頭を競ってる
先頭で先導の声をかける男の表情には厳しいものがある
馬の尻に鞭打つ役の男も声を張り上げている
都々逸(どどいつ)発祥の地碑
「惚れて通えば千里も一里、逢えずに帰ればまた千里」
都々逸は熱田で生まれた神戸節(ごうどぶし)が起源ともいわれている
道路に東海道 弥次さん喜多さん
熱田湊常夜灯
宮宿と桑名宿を結ぶ東海道の唯一の海路で距離が七里であることから
「
七里の渡し」と呼ばれていた
所要時間は三時間程で潮位によって六時間かかることもある
宮(熱田)の神戸(ごうど)浜で乗船
熱田13:00~15:30桑名
船内でガイド氏の名調子に笑ったり頷いたり
遥か向こうに造船所がみえる デッカイよ
江戸時代の地図 木曽川、長良川、揖斐川の氾濫 洪水に苦しむ
木曽川 源流 鉢盛山(2446㎞) 長さ229キロ
長良川 源流 大日ヶ岳(1700㎞)長さ166キロ
揖斐川 源流 冠山 (1257㎞) 長さ121キロ
桑名の船着き場跡
桑名(七里渡し口) 歌川広重
桑名の渡し口に2隻の船が到着したところをとらえている
三方を海に囲まれて扇形につくられたため 扇城とも呼ばれた桑名城がみえると
まもなく渡し口のある揖斐川河口が近い
そこで渡し舟は帆を下ろし 櫓を漕いで渡し口まで進んだ 手前の2隻が帆を下ろして
いるのはそのためである 描かれていないが渡し口は本図の左の方面になる
********************
桑名の名物といえば 焼き蛤や あさりの時雨煮であるが創業して200年の柏屋の
安永餅(やすながもち)はご当地の銘菓で 作り置きをしないので1日2000個の限定
今回のツアーのスケジュール外であったが 参加者のたっての希望で急遽 本店に立ち寄った
ので ひなびた本店はてんやわんやで 客も時間制限のなか気ぜわしく買い占める
表面の焼き具合が香ばしく 小豆あんの程よい甘さともちもちとした触感はいくらでも食べられる
新大阪17:30到着 お疲れさま