2016年7月31日日曜日

暑中お見舞い申し上げます


    お暑うございます お達者に お過ごしで おじゃりますか





       鬼の攪乱で病院生活一週間過ぎ  やっと娑婆に出てきたら 猛暑とオリンピックで
      世の中燃えてるよ~~~~~~~~~

      病名は虚血性腸炎で再発はしないらしい、食べ過ぎないように自戒する)
                       
              蝉しぐれ なぬか(7日)のいのちか わしゃ生きとるよ


2016年7月9日土曜日

東海道57次ウオーク 第7回

第7回 鳴海宿から藤川宿 
                               2016-7-1     33名

  行程   新大阪7:30=鳴海宿(散策)・・・桶狭間古戦場跡=知立宿=岡崎宿・・・
        ・・・岡崎城公園=藤川宿=新大阪  (歩行約6キロ 約3時間)
 
  
   鳴海宿      鳴海宿の東1里に有松村があり 有松絞の生産地としてしられている
                 本陣1軒 脇本陣2軒  宿内人別 3643人



   街道を行く旅人がすべて女性というのも 有松絞りが女性に人気があることを示している
   手前二人は徒歩で 次が宿駕籠 最後は馬でと さまざまで 供の荷物は有松絞の生地
   が詰め込まれているのかもしれない














          有松 鳴海絞は江戸時代(1610)頃に三河木綿に絞を施した
     手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになった


旧東海道の町並み








                                      
                                    あり松の 柳しぼりの見世にこそ                                       しはしと人の立ちとまりける
              (幕末の狂歌師 梅屋鶴寿)      
有松一里塚
  江戸から87里
唐子山山車庫
有松祭りに出される










桶狭間古戦場跡

今川義元墓  享年42歳

知立宿(池鯉鮒(ちりゅう)宿)  愛知県知立市 39番目の宿場  鯉や鮒が多く住む池があった 
                                                                 本陣1 脇本陣1 旅籠35 宿内人別 1620人
  
     馬市・・・鎌倉時代には馬市が開かれていた

      
 知立神社 創建  第12代景行天皇
        祭神  鸕鷀草葺不合尊
           (うがやふきあえずのみこと)
          彦火火出見尊  (ひこほほでのみこと)
               玉依比売命  (たまよりびめのみこと)

                                                 多宝塔      

                                                   国指定重要文化財
                    (室町時代様式)






花菖蒲園

明治神宮から下賜された 花ショウブは時期が終っていたが
一輪 待っていてくれたかのようで  「お見事ですぞ」

                   
 
                                       
       
  岡崎宿          愛知県岡崎市  本陣3軒 脇本陣3軒 宿内人別 6494人 

        東海道名所図会には東海道最長の橋と言われる矢作橋(やはぎばし)374m
橋を渡った左手には 家康生誕の岡崎城が描かれている




岡崎城  別名 竜城    徳川家康の生地
       
  築城 1455年ごろ西郷頼嗣(よりつぐ)・・・・・
  城主・・・・・・・1531年松平清康(家康の祖父)・・・    






三方ヶ原で武田軍に大敗した
家康は自戒の念を忘れぬよう画を描かせたものを基にして作像
















からくり時計が毎正時オルゴールの音色に合わせて家康が遺訓を謡いながら能舞が始まる

      
                                           家康公 産湯の井戸
            
                               天文11年(1542)12月26日誕生
                 この井戸の水を汲み産湯に使われた
               




藤川宿           愛知県岡崎市  本陣1軒 脇本陣1軒 宿内人別 1213人


 先頭の馬の背に御幣を立てているのは 幕府が朝廷に献上する「八朔御馬献上」の行列で
 関札の下に控えているのが藤川の宿場役人であろう
 二人の役人が頭を下げてお迎えしている横で三匹の犬がじゃれあっている
         (丸っこく小さな犬の形は円山応挙以来描かれてきた円山四条派の描法である)

高札場
さまざまな布告がかかっている











藤川宿西棒鼻跡(宿場の入り口に立つ、広重の絵にもある棒鼻)



旧家が続く軒並み





 藤川宿の松並木
 1キロほど続く
                      


      藤川宿は地味な宿場であったが塩の道「吉良海道」に通じる交通の要衝でもあり
      大名の通行も多く賑わっていた




   資料館で宿場の模型や図絵等見ながら江戸時代の旅人の行き交う風情に思いを馳せる

                               新大阪着19:30 お疲れさま     

東海道五十七次ウオーク 第6回

  第6回宮宿と桑名の渡し
                              2016-6-4    35名
  行程
  新大阪(7:30発)=熱田神宮・・・宮宿・・・宮の渡し~<七里の渡し>~桑名の渡し=新大阪
            (歩行約3キロ 約1時間30分)

 熱田神宮     愛知県名古屋市熱田区神宮













 ご祭神  熱田大神(三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を
                                    御霊代(みたましろ)とされる天照大神のこと
 相殿神  天照大神  素戔嗚尊  日本武尊 
      宮簀媛命(みやすひめのみこと  建稲種命(たけいなだねのみこと)
 
 

ならずの梅  高さ3m

「安永 天明時代頃の俗謡」 
 ひんやれ 宮の熱田のならずの梅は やれよいと やれ
 よいと 花は咲けども実はならん しょんがえ・・・・・・・」
     



                                                                      25丁橋

         花崗岩の板石を25枚並べた反橋
                              名古屋で 最古で名所図絵にも乗っている



 名古屋甚句

宮の熱田の二十五丁橋で アー 西行法師が腰をかけ
東西南北見渡して これほど涼しいこの宮を
たれが熱田とヨーホホーーーー
名をつけたエーー トコドッコイ  ドッコイショ



                      大楠
                                    弘法大師お手植えとされる
                                     樹齢1000年

  



信長塀

永禄3年〔1560)織田信長が今川義元の大軍を迎え撃つため
熱田神宮に必勝祈願をし 桶狭間の戦いに勝利をおさめた
このお礼として築地塀(信長塀)を奉納した
土と石灰を油で練り固め 瓦を積み重ねて上部を桟瓦で葺いた
優雅で重厚な築地塀である
                


   名古屋名物「ひつまぶし」の食べ方
  
   ・1杯目は白いご飯とうなぎに少しタレをかけてをたべる
   ・2杯目は わさびをまぶしてたべる
   ・3杯目は土瓶に入っている出汁をたっぷりかけて食べる

  白いご飯もうなぎも美味しかったが 最後に土瓶に入って
  いただし汁をかけ 美味しさに再度びっくりし完食しちゃった

    
裁断橋跡
 
裁断橋は豊臣秀吉の小田原征伐に出陣し病死した「堀尾金助」の
霊を弔うため 金助の母が老朽化した橋の修築おこなった

(裁断橋は精進川が埋め立てられて不用のものになった)


かなで刻まれている

橋の擬宝珠には仮名で母が子を
思う銘文がきざまれている


   「・・・・・・・・・・・・・・・・・十八になりたる子をたたせてよ
   ふた目とも見ざる悲しさのあまりに今この橋をかけるなり
  
   この書きつけを見る人は念仏申したまへや・・・・供養なり」



     歌川広重東海道五十三次版画

    宮宿(江戸から42宿) 名古屋市熱田区        
                本陣2軒 脇本陣1軒 旅籠屋248軒 宿内人別10,342人

     宮とは熱田神宮のこと 毎年五月五日に馬の塔と呼ばれる神事が行われる
     村人たちが熱田神宮へ豪華に飾り立てた馬を奉納した後に 裸馬に荒薦(あらごも)を
     背につけた俄馬を走らせて競う物である

     後方の藍染の半纏を着た一群と 手前の有松絞の半纏を着た一群とが先頭を競ってる
     先頭で先導の声をかける男の表情には厳しいものがある
     馬の尻に鞭打つ役の男も声を張り上げている



都々逸(どどいつ)発祥の地碑

「惚れて通えば千里も一里、逢えずに帰ればまた千里」
都々逸は熱田で生まれた神戸節(ごうどぶし)が起源ともいわれている




道路に東海道 弥次さん喜多さん
   




熱田湊常夜灯


宮宿と桑名宿を結ぶ東海道の唯一の海路で距離が七里であることから
七里の渡し」と呼ばれていた

所要時間は三時間程で潮位によって六時間かかることもある


   
宮(熱田)の神戸(ごうど)浜で乗船
             熱田13:00~15:30桑名







船内でガイド氏の名調子に笑ったり頷いたり






        遥か向こうに造船所がみえる デッカイよ






江戸時代の地図 木曽川、長良川、揖斐川の氾濫 洪水に苦しむ

 木曽川 源流 鉢盛山(2446㎞) 長さ229キロ
 長良川 源流 大日ヶ岳(1700㎞)長さ166キロ
 揖斐川 源流 冠山  (1257㎞) 長さ121キロ

  








桑名の船着き場跡



                桑名(七里渡し口)          歌川広重

         桑名の渡し口に2隻の船が到着したところをとらえている

   三方を海に囲まれて扇形につくられたため 扇城とも呼ばれた桑名城がみえると
   まもなく渡し口のある揖斐川河口が近い
   そこで渡し舟は帆を下ろし 櫓を漕いで渡し口まで進んだ 手前の2隻が帆を下ろして
   いるのはそのためである  描かれていないが渡し口は本図の左の方面になる


          ********************

   桑名の名物といえば 焼き蛤や あさりの時雨煮であるが創業して200年の柏屋の     
   安永餅(やすながもち)はご当地の銘菓で 作り置きをしないので1日2000個の限定











 今回のツアーのスケジュール外であったが 参加者のたっての希望で急遽 本店に立ち寄った 
 ので ひなびた本店はてんやわんやで 客も時間制限のなか気ぜわしく買い占める
 表面の焼き具合が香ばしく 小豆あんの程よい甘さともちもちとした触感はいくらでも食べられる

                        新大阪17:30到着   お疲れさま