2015年10月10日土曜日

東海道五十三次ウオーク第5回

石部宿~水口宿  (約12km)
                           2015-10-3      44名 
 
   行程  京都竹田(9:00)=石部宿ー弘法杉ー横田渡し跡(大常夜灯)ー泉一里塚
        水口宿=京都竹田(17:00)



 前回の終着点の石部宿からスタート

 東海道の東下り(あずまくだり)は「京発ちの石部泊り」と言われ
 2日目はこの石部宿を早朝出発となる
東の見付跡








見付とは 枡形城門の俗称で、番兵が通行人をみはることから
「見付」といった。
石部宿には 東西二ヶ所あった
      
美し松









美し松   立札の奥地に400本余りの松が群生しており 枝が根本
       から分かれている珍しい松で天然記念物

  白洲正子著「近江山河抄」にも紹介されている

  「傘の形に密生しているのは、目覚めるような眺めである
  この松は 他へ移植するとただの赤松に還ってしまうそうである

                     


隧道   大沙川は天井川であったが明治17年に隧道が
      完成した
      堤の上に上ってみると 川ではあるが細い水溜り
      がある程度で 雑草が暑苦しく茂っていた




  




                  弘法杉

                              弘法さんが ここでお昼弁当をたべて 箸を
                地面に突きさした後日に杉の木が生えてきた
                幹の周囲 4.5m  樹高25m  樹齢750年


  天保義民之碑

 天保13年(1842年) 野洲 栗田 甲賀三郡の農民4万人が
 幕府による検知(見分)の中止を要求して決起した

 (検地役人は公然と収賄し贈賄した地区は素通りした又土地
 の寸法を測定する竿の寸法の目盛を付け替え面積を誤魔化す)

 農民達は三上村に押し寄せ 幕府が派遣した役人から10万日
 の日延べを勝ち取った

 しかし 事件後の幕府の仕打ちは凄惨で 一揆に関わった
 要人に過酷な拷問を加えたうえ 江戸送りにした

 三上村の庄屋 土川平兵衛他主要人物は全員抹殺された


 

 横田の渡しの大常夜灯 

  湖南市と甲賀市の市境を流れる野洲川は江戸時代は
  横田川と呼ばれ 横田の渡し場があり「東海道十三渡し」
  の一つに数えられ 両岸に常夜灯があり高さ7mを誇る
                 
                      
                     泉の一里塚
                 
                     江戸から114番目
                     樹木は榎
水口城
   遥か彼方の小山が「水口城址」


    寛永10年(1634)3代将軍徳川家光の上洛に際して築かれ
  「御茶屋」と呼ばれた
  本丸には将軍家の休泊に供せられように「殿舎」がならんで
  いた
  実際の城の利用は 家光の上洛帰途の寛永11年8月6日の
  一泊のみであった
 
 
   

  美冨久酒造

  「山廃純米酒ひやおろし」 「甘酒」 「甘酒あめ」・・・・

  
  酒3種類を試飲して

  
  おみやげを買って
  休憩する






歌川広重    水口(名物 干瓢)
     地面に莚を敷いてその上にまな板を置き 包丁で 夕顔の果肉を細く長くむいていく
     手伝っているのが二人の娘と思われる

     ひとりは赤子を背負いながら 母に夕顔の実を運んでいる
     もうひとりの娘は 地上に立てた棒に縄を張り そこに細く長くむかれた夕顔の果肉を
     上手にたるませながら干していく

     こうして立ち働く女たちには無関心に 暑さで着物の上半分を脱いだ腹掛姿で小荷物
     を担いでいくのは 一人旅のお気楽さ
                                   水口宿ゴール (16:30着  28000歩)

                                   

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めて拝見させてもらいました。28000歩て、すごいですね!来年モよろしくお願い致します
2班班長



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