2015-3-25-26 37名
行程 一日目 枚方7:30発=高槻8:20=明石海峡大橋=大鳴門橋=室津PA=吉野川SA=
石鎚山ハイウエイオアシス(昼食)=44番大宝寺=45番岩屋寺=道後温泉18:30
(バス走行約330km) ホテルルナパーク(泊)
二日目 ホテル7:30発=51番石手寺=50番繁多寺=49番浄土寺=48番西林寺=
46 番浄瑠璃寺」=47番八坂寺=砥部焼陶芸館=ハタダお菓子館=
吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋 淡路ハイウエイオアシス=
明石海峡大橋(バス走行約480km)枚方19:20着
第44番 大覚院 大寶寺 愛媛県上浮穴郡久方高原町
本 尊 十一面観世音菩薩
開 基 明神右京 隼人
創 建 大宝元年(701)
真 言 おん まか きゃろにきゃ そわか
大和朝廷の時代に 百済から来朝した聖僧が携えて来た
十一面観世音菩薩像をこの山中に安置していた。
飛鳥時代になって安芸(広島)から来た明神右京 隼人
という兄弟の狩人が菅草のなかにあった 観音像
を 見つけ草庵を結んで祀った
弘法大師がこの地を訪れたのは 120年後で(822)で
密教を修法されて 四国霊場の中札所と定められた
山門の両脇に大わらじが吊り下げられ右のわらじを さすったら自分の右足をさすり 左の大わらじを
さすって自分の左足を誰も笑いながらも 神妙にさする
第45番 海岸山 岩屋寺 愛媛県上浮穴郡久方高原町
本 尊 不動明王
開 基 弘法大師
創 建 弘仁6年
真 言 のうまくまんさんまんだ
そわた や うん たらた かんまん
標高700m 巨岩の中腹に埋めこまれる ように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場
である
麓のバス駐車場から石段や坂道を喘ぎ
喘ぎゆっくりと上る
大師堂 (国指定重要文化財)
上り坂の山際に数百体の地蔵様が整然と並んで古今の人々の
信仰の厚みを感じる
道後温泉街に建つ「ホテルルナパーク」に18:30到着
夏目漱石も入ったという「道後温泉」は多勢の観光客
で賑っている
2日目 ホテル7:30出発
第51番 虚空蔵院 石手寺
愛媛県松山市石手二丁目
本 尊 薬師如来
開 基 行基菩薩
創 建 天平元年(729)
真 言 おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
神亀5年(728)伊予の豪族 越智玉純がこの地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀って
鎮護国家の道場を建立し 聖武天皇(724~49)の勅願所となった、
翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫像し本尊に祀って
開基し法相宗の「安養寺」と称した
「石手寺」に改称したのは寛平4年(892)衛門三郎再来の説話によるとされている。
(折鶴の奉納)
衛門三郎伝説
むかし伊予の国(松山市)に河野衛門三郎という大百姓が住んでいた ある日一人の坊さんが
やってきて托鉢の鈴を鳴らした。三郎は昼寝を破られた腹いせに竹箒でお坊さんの碗をたたき
落した 椀は8ッに割れて飛び散った
そんなことがあった翌日から衛門三郎の八人の子供が次々と死んでしまった
毎日泣き暮らしていた或る夜 衛門三郎の夢枕に旅の坊さんが現れ「前非を悔いて情け深い
人になれ」と告げられた
夢から覚めた衛門三郎はあの時の旅僧は弘法大師だと気が付きました、そして許してもらおうと
四国中を二十数回廻ってる途中 阿波(徳島県)の第12番札所 焼山寺で倒れてしまった。
その時弘法大師が現れ「これでお前の罪も消える、最後に望みはないか」と声をかけられた
衛門三郎は「故あって離れている河野一族の世継として生まれ変わらせてください」
大師は「衛門三郎再来」と書いた小石を手に握らせました
それから数年後伊予の国の領主 河野息利に玉のような男子が生まれたが 左手を握った儘
開かないので安養寺の住職に祈願してもらいました
「きれいな川の水で洗えば開く」とお告げがあり そのとおりすると手が開いて中から
「衛門三郎再来」と書かれた小石がころがり落ちました、小石は安養寺に収められ寺号を
「石手寺」に改めた
この小石は現在も 石手寺の大講堂正面に安置してあり拝観すことが出来る
第50番 瑠璃光院 繁多寺
愛媛県松山市畑寺町
本 尊 薬師如来
開 基 行基菩薩
創 建 天平勝宝年間(749~757)
真 言 おんころころ せんだり まとうぎ そわか
孝謙天皇の勅願により行基菩薩が90cmの薬師如来像を彫像して
建立し「光明寺」と号された
弘法大師がこの地を巡錫し「東山 繁多寺」と改め霊場とされた
また 天皇家の菩提寺である 京都・泉湧寺とのゆかりも深く
後小松天皇の勅命により(1395)泉湧寺26世快翁和尚が
第7世住職となっている
寺には16弁のご紋章のついた瓦が残っている
風は冷たいが桜はちゃんと咲き始めている
第49番 三蔵院 浄土寺
愛媛県松山市鷹子町
本 尊 釈迦如来(伝行基菩薩作)
開 基 恵明上人
創 建 天平勝宝年間(749~757)
真 言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
女帝 孝謙天皇(749~58)の勅願寺として 恵明上人により
行基菩薩(668~749)が彫像した釈迦如来像を本尊として祀り
開創された、
空也上人(903~72)が四国を巡歴し 浄土寺に滞留したのは
平安時代中期で 天徳年間(957~61)の3年間 村人たちへの
教化に努め布教をして親しまれた
境内入口に正岡子規の句碑
「霜月の空也は骨に生きにける」
第48番 安養院 西林寺
愛媛県松山市高井町
本 尊 十一面観世音菩薩
開 基 行基菩薩
創 建 天平13年(741)
真 言 おん まか きゃろのきゃ そわか
聖武天皇の天平13年 行基菩薩が勅願により堂宇を
建立した
大同2年(807)弘法大師がこの寺に逗留し国司の
越智実勝公と協議、四国霊場と定め国の安泰を祈願した
門前に正岡子規の句碑
「秋風や 高井のていれぎ三津の鯛」
「ていれぎ」とは清流に自生する水草で辛みがあり刺身の
ツマである、 松山市指定天然記念植物
第46番 養珠院 浄瑠璃寺
愛媛県松山市浄瑠璃町
本 尊 薬師如来
開 基 行基菩薩
創 建 和同元年(708)
真 言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
行基菩薩が和同元年に布教のためにこの地を訪れ仏法を
修行する適地として伽藍を建立した。
白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とした
寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から浄瑠璃寺とした
約百年後大同2年(807)弘法大師が荒廃していた伽藍を修復
四国霊場の一寺とした
第47番 妙見院 八坂寺
愛媛県松山市浄瑠璃町八坂
本 尊 阿弥陀如来(伝恵心僧都作)
開 基 役行者小角
創 建 大宝元年(701)
真 言 おん あみりた ていせい からうん
修験道の開祖 役行者小角が開基と伝えられるから
1300年の歴史を有する古い寺である。
飛鳥時代の大宝元年 文武天皇の勅願により
伊予の国司 越智玉興公が堂塔を建立した
弘法大師が百余年後弘仁6年(815)荒廃した寺を
再興して霊場と定めた
本堂の地下室には全国の信者から奉納された
阿弥陀尊が約8000祀られている
帰路は「砥部焼陶芸館」 「ハタダお菓子館」 「吉野川ハイウエイオアシス」に立ち寄り
それぞれの買い物を楽しむ・・・・・・・・・・・・ 枚方着20:30